一大率・難升米の読み方

白日別の意味

卑弥呼と天照大神


目次

「檍」の意味

台与の出自


7章 台与の出自

 台与(とよ)は卑弥呼(ひみこ)の後継者である。卑弥呼の死後、邪馬台国(やまたいこく)の新女王となった。
 今まで、卑弥呼の出自を論じた文献は多数あっても、台与の出自を論じた文献は見たことがない。
 この章では「台与の出自」を述べるのが目的であるのだが、その解明の為にはどうしても「卑弥呼と天照大神(あまてらすおおみかみ)」の関係を述べておかなければならない。

 

1節  卑弥呼と天照大神

1. 「卑弥呼=天照大神」説

 「台与の出自」を述べる前に、確認しておかなければならない前提条件がある。その第一は

 卑弥呼天照大神は同一人物である。

ということである。
 卑弥呼は記紀(古事記と日本書紀)の天照大神(古事記では天照大御神)である、という説を唱える論者は多い。したがって、この章で既に多く語られた「卑弥呼=天照大神」説の詳細を繰り返し述べるのは適切でないかもしれない。しかし、卑弥呼天照大神」説が「台与の出自」を明らかにするための第一の前提条件であることを考えると、最小限の要点を述べておかなければならない。
 本節では魏志倭人伝の「卑弥呼と台与」の記述部分と、記紀の「天照大神(天照大御神)」の記述部分を比較することのみにとどめるが、それは次の(
1)〜(8)の項目において相互に共通点をもっている。

1)女王と女神

倭人伝

邪馬台国は卑弥呼という女王が統治している。後継者の台与も女王である。

記紀

天照大神という女神が統治している。

2)神事(しんじ)と神政

倭人伝

卑弥呼は武力でなく鬼道(きどう=神事)により人々を治めた。

記紀

天照大神は日の神であり、神政(しんせい)をおこなった。

3)男王と男神

倭人伝

卑弥呼は宿敵の狗奴(くな)国男王・卑弥弓呼(ひみきゅうこ)に苦しめられていた。

記紀

天照大神は男神の素戔嗚尊(すさのおのみこと、古事記は須佐之男命)の乱暴に苦しんでいた。

4)女王(または女神)が亡くなると世が乱れた

倭人伝

男王を立てたが国中従わず、相争(あいあらそ)って1000人以上が死んだ。

記紀

天照大神が天石窟(あまのいわや)へ入ってしまうと、国中闇になった。

5)日食
 卑弥呼が亡くなったと思われる西暦
247248年頃に日食があったことがわかっている。日食により昼間から暗くなったことが記紀においては「国中闇」と表現されたのではないかと思われる。

倭人伝

卑弥呼が死んだ。直径100歩余りの墓を造り、奴隷100人以上を共に葬って殉死させた。

記紀

天照大神が天石窟(あまのいわや)へ入ってしまうと、国中闇になった。

6)鏡が重要な役割をはたしている

倭人伝

卑弥呼は好物(こうぶつ)の銅鏡100枚を魏帝より賜った。

記紀

天照大神は八咫鏡(やたのかがみ)に誘われて天石窟から出てきた。

7)新女王が擁立されると世の乱れが治まった

倭人伝

宗女(そうじょ)台与を新女王としたところ、国中はやっと治まった。

記紀

天照大神が天石窟から出ると、国中が明るく照り輝いた。

8)卑弥呼(ひみこ)と日(ひみこ)

 これには説明を要する。

 日本書紀によれば天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名は大日貴(おおひるめのむち)である。
 大日貴の「」は、「靈」と「女」の和製合体漢字である。(倭製と書いた方が正しいかもしれない。)
 「靈」は「巫」を意味するので、(「靈」+「女」)は(「巫」+「女」)と同じ意味であり、「巫女(みこ)」の事を指すものと考えられる。
 このように、「」は「みこ」とも読めるので、その場合「大日貴(おおひるめむち)」は「大(おお)・日(ひみこ)・貴〈むち〉」ともよめることになる。つまり、日(ひみこ)は卑弥呼(ひみこ)のことであると考えることができるのである。

 更に詳しく述べるとしよう。大日貴(おおひるめむち)の「大・日・・貴」はそれぞれどのようによむのであろうか。
 「大(おお)」と「貴(むち)」は尊称の接頭語・接尾語であり読み方も疑問の余地がないので、問題は「日・」である。日本書紀(にほんしょき)の別の箇所では稚日女尊(わかひるめのみこと)という神が登場するので、この場合は「日(ひる)・女(め)」である。従って、日本書紀は「日・」を「日(ひる)・(め)」として読んだのである。
 私の考えでは、古代より現代まで数々の和製漢字が出来ては消えていったが、榊(さかき)・辻(つじ)・樫(かし)・鰯(いわし)・鯱(しゃち)などの和製漢字は現在まで残ってきた。ところが「(みこ)」は、
3世紀頃もしくはそれ以前に作られたのであるが、日本書紀の出来上がる8世紀初頭には使われなくなってしまった為、文字だけが残っても読み方がわからなくなってしまったのではないだろうか。(もちろん、現在では使われず漢和辞典にも載っていない。)
 「」は字の一部に「女(め)」が使われている漢字なので、
8世紀初頭には「(め)」としか読むことができなくなってしまっていたのではないだろうか。それで「日・」を「日(ひる)・(め)」として読むことにしたのだが、本来は「日(ひ)・(みこ)」であった。
 
8世紀初頭までに和製漢字である「(みこ)」が使われなくなってしまったのは、既に、「みこ」に「巫女」の文字が使われる様になっていたからである。

倭人伝

卑弥呼(甲ひ甲み□こ)……* □は甲類か乙類か不明の為

記紀

天照大神の別名は大貴(おお・甲ひ□み□こ・むち)

 (*甲類・乙類については、第2章第1節「4. 万葉仮名(まんようがな)と借字(かりじ)」をお読みください。)

 

2. 二人の天照大神

 前述、1.の(1)〜(8)の共通点全てが同時に起こることは、偶然にはあり得ないと考える。卑弥呼と天照大神は同一人物であるとしか考えようがないのである。
 特に、(
7)の倭人伝における台与の擁立記事は重要である。記紀では卑弥呼も台与も同じ天照大神とされているが、倭人伝で二人の女王が記されているということは、天照大神も二人(二柱)いると考えられるからである。
 つまり、天石窟(あまのいわや)に入る前の女神を初代天照大神、天石窟から出て来た女神を2代目天照大神とすれば、卑弥呼(ひみこ)は初代天照大神であり、台与(とよ)は
2代目天照大神であるということになる。

 先に、卑弥呼天照大神」説が「台与の出自」を明らかにするための第一の前提条件であると述べたが

 卑弥呼は初代天照大神であり、台与は2代目天照大神である。

というのが「台与の出自」を明らかにするための第二の前提条件である


 

前ページ へ

 

トップページ へ

 

次ページ へ