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設立趣意書

『原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島』実行委員会設置へ向けて

夫をかえせ
子供をかえせ
焼き殺された青春をかえせ
二つの国の原爆を海の底に投げすてろ!
と栗原貞子さんが詠ったのは、1952年でした。

その後、この「二つの国」に加えて、英国、フランス、中国を巻き込む猛烈な軍拡競争が始まり、核兵器の数は1986年のピーク時には6万9千発以上にまで増加しました。1990年代初期に冷戦時代が終わり、核兵器数はその後急速に減少しましたが、しかし現在でもその数は3万発あると言われています。

しかも、核兵器保有国の数は減少するどころか、イスラエル、インド、パキスタンと増加し、さらに現在では北朝鮮とイランの核兵器開発が憂慮されています。その背景には、米国政府の核拡散を促進するような政策があることは否定できません。自国の核兵器に関する政策では、ブッシュ政権はCTBTの批准を拒否し、ABM条約からも脱退し、新型核兵器の開発とそのための地下核実験再開の準備をすすめるという核兵器拡大政策をとっています。一方外交面では、核兵器開発を進めている北朝鮮は「ならず者国家」であり「国際的脅威」であるとして敵視しながら、その北朝鮮に核開発で援助を行ったパキスタンは脅威ではないと主張します。同じように、核兵器を含む「大量破壊兵器」を保有あるいは開発しているという理由で、イラクに対しては「自衛」と称して無法な先制攻撃を行う一方、イスラエルが核兵器を保有していることには沈黙を押し通しています。NPTが今やその機能を失いつつある真の原因は、米国政府のこうしたダブルスタンダードに他なりません。

核兵器開発競争時代には無数の核実験が世界各地で行われました。米国のネバダ、中央アジア・カザフスタンのセミパラチンスク、南太平洋のビキニ・マーシャル・ムルラワ、オーストラリアのマラリンガ等々、1996年末の段階で2051回という数字を記録しています。実験によってこれらの地域は放射能によって汚染され、数多くの地元住民の人たちや実験に参加した軍人たちがヒバクシャとなり、健康を損ない亡くなっていきました。さらには、核兵器製造に必要なウランが採掘されているオーストラリア、アメリカ、ナミビア、カナダ、インドなどでも、放射能による環境汚染がヒバクシャを数多く作り出しています。

また最近の湾岸戦争、コソボ紛争、アフガン・イラク戦争では、いわゆる「劣化ウラン弾」が大量に使用され、これまた放射能汚染による犠牲者を地元住民と戦闘参加者の双方に大量に作り出しています。同時に核兵器も小型化してきており、核兵器と通常兵器の区別が急速に消滅しつつあるのが現状です。

このように、核兵器はこの59年の間に、広島・長崎のみならず、世界各地で数多くの人間を殺害し、激しい環境破壊を行うことによって様々な動植物を殺害してきました。しかも、もっと広い目で見てみれば、核兵器開発に伴う秘密主義は民主主義の基盤そのものを破壊し、世界各地で紛争と暴力を産み出す根本的な原因の一つとなってきたことが分かります。その出発点は言うまでもなく、59年前の広島・長崎に落とされた原爆でした。

それだけではなく、広島・長崎の原爆投下には、近現代戦争に共通する「無差別爆撃」と「大量殺戮」という「人道に対する罪」の普遍的要素が最も典型的な形で集約されています。

非戦闘員である市民を攻撃目標とする「無差別爆撃」は、第1次世界大戦から本格的に行われるようになりました。飛行機が使われた初めての大規模戦争であったこの第1次世界大戦では、ドイツ軍によるパリやロンドンへのたび重なる空爆、連合軍によるフライブルクやフランクフルト・アム・マインなどへの大規模爆撃が展開されました。しかも、「一般市民への空爆は戦争を早期に終わらせる効果を持つため、長期的に見れば人道的な戦争方法である」という、全く根拠のない無差別爆撃の正当化理論が第1次世界大戦末期から唱えられるようになりました。

第2次世界大戦においては爆撃機の規模は大型化し性能も格段に強化され、搭載爆弾の殺傷力も第1次世界大戦期とは比較にならないほど強力なものとなりました。その結果、ドイツでは50あまりの主要都市が全て破壊され、空襲で亡くなった人は60万人にのぼりました。英国のロンドンやコベントリーなどの諸都市の市民の間にもドイツ軍の空爆で多くの犠牲者が出ました。かくしてヨーロッパにおいては、枢軸国と連合諸国の双方が、多数の主要都市の市民を攻撃目標にした爆撃のテロ化を激化させ、無数の死者を出しました。アジア太平洋地域において無差別爆撃を戦略として最初に展開したのは日本軍であり、その攻撃目標に選ばれたのは南京、武漢、上海、重慶などの中国諸都市の住民でした。しかし、太平洋各地の戦域で日本軍の敗北が続く太平洋戦争末期になると、北海道から沖縄まで全国64都市が米軍の無差別爆撃の標的となり、数多くの人たちが降り注ぐ焼夷弾の犠牲となり、100万人の死傷者(そのほぼ半数が死亡者)を出したと言われています。この無差別爆撃は、原爆という驚異的な破壊力を持つ無差別大量殺戮兵器が使用されることによって、広島・長崎で歴史的頂点に達しました。

しかし、その後も無差別爆撃は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、コソボ・セルビア戦、さらには最近のアフガン、イラクでの戦争と、戦争が起きるたびに戦略的な重要性を増し、クラスター爆弾、枯葉剤、劣化ウラン弾など、人体を含む生態系ならびに環境を著しく破壊するような兵器が大規模に使われるようになりました。最近は、ハイテクを活用し攻撃目標を絞る「精密爆撃」方法により巻添えになる市民の数が極端に少なくなったという軍事専門家たちの主張とは裏腹に、いわゆる「誤爆」による民間人犠牲者があとをたちません。広島・長崎の原爆投下から59年、このように無差別爆撃による大量虐殺は今も続いています。

それにもかかわらず、日本政府の中には、日本の核武器保有の「必要性」と他国への先制攻撃の可能性をも公言してはばからない人たちがいることは、極めて悲しい事態と言わねばなりません。我国の憲法第9条には、広島・長崎の原爆投下で殺害された推定21万人(1945年末までに死亡した推定総計数)の被爆者を含む310万人という日本人の戦争犠牲者と、数千万人とも言われるアジア諸国の戦争犠牲者の人たちの霊が宿っている、ということをこの人たちが全く理解していないのは残念でなりません。私たちは、憲法第9条の精神を単に形式上だけ維持するのではなく、積極的に世界に向けて拡大・活用させていく義務と責任があります。

したがって、世界最初の核兵器被害者を生み出した広島・長崎の市民である私たちは、世界のヒバクシャの声を代表し、核兵器が持つ犯罪性、その人道と環境に対する由々しい犯罪性、無差別爆撃と大量殺戮の犯罪性を強く世界に訴えていくべき道義的責任を負っています。

1947年3月3日、極東国際軍事裁判(通称「東京裁判」)において、弁護人の一人であったアメリカ人、ベン・B・ブレイクニーは、原子爆弾はハーグ陸戦条約で禁止されている兵器であると主張し、広島・長崎への原子爆弾投下の犯罪性を間接的に指摘しました。その後も幾度か核兵器の使用が戦争犯罪であることを裁判に訴える試みは日本国内でも海外でも行われてはいますが、全て失敗に終わっています。

広島・長崎の被爆者の方々の高齢化が近年急速に進み、「被爆体験の風化」が憂慮されている今、私たち両都市の市民は、この60年近くの核兵器開発・実験をめぐって発生して来た様々な問題と、ますます悪化する現在の世界状況に強力で有効な警告を発するため、あらためて広島・長崎への原子爆弾投下の犯罪性を徹底的に追及することを考える必要があります。つまり、原子爆弾投下の犯罪性追及という行動は、恒久的平和を願う広島・長崎の精神を再び活性化させ、どのような理由であろうと暴力と戦争を絶対に否定するメッセージを日本から世界に向けて発信することと深く連結していることは明らかです。

こうした目的のために、私たちは原爆投下60周年となる2005年に、広島において「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」を開廷することを呼びかけます。この裁判は市民の皆さんの御協力によって開設される法廷ですから、「国家主権による裁判」ではなく、法的拘束力をなんらもたないものの「民衆主権による裁判」であります。どこの国家も正義を遂行する責任を果たそうとしないからこそ、私たち市民の手で、国家の利害関係から全く離れて公正に行う正当な裁判であって、ある特定のイデロギーに基づいた政治運動では決してないことを明言しておかなくてはなりません。

公正で正当な裁判により、原爆投下当時の直接の責任者であるハリー・S・トルーマン大統領とヘンリー・スティムソン国務長官などの関係閣僚メンバー、マンハッタン計画の責任者であったレスリー・グローブズ将軍や原爆開発に深く関わったロバート・オッペンハイマーをはじめとする科学者達、それに大統領の命令を実行する上で責任のあったジョージ・マーシャル参謀長、カール・スパッツ陸軍航空司令官をはじめ、ポール・ティベッツ中佐、チャールズ・スィーニー大尉などを訴追することを目的に、この国際民衆法廷の開設を私たちは呼びかけます。戦争犯罪には時効がありませんので、原爆投下の責任は米国の現政権にも及ぶはずです。

15年という長い間にわたってアジアへの侵略戦争を行い、その結果、敗北は明白であったにもかかわらず全面降伏することに躊躇したため、結局は原爆投下という大惨事を招いた当時の日本政府と昭和天皇にも被爆者の方々に対する責任の一端があると私たちは考えます。被爆者の中には当時の日本の植民地、朝鮮や台湾から日本での労働を余儀なくさせられていた多くの人々や、占領地であった中国や東南アジアの人たちも含まれていることは周知の事実です。日本政府はこの人たちが被爆したことに対しても一定の責任を負っていると私たちは考えます。

しかし、被告人の選定は専門の検事団によって行われるべきです。公正で正当な裁判であるためには、検事はもちろんのこと、判事も弁護人も全て法律専門家でなくてはなりません。したがって私たちは、国際刑事法廷に実際に携わった経験のある法律専門家たちにこれらの役務を担っていただくように要請することを提案いたします。

被害者証言は、広島、長崎、韓国、北朝鮮、台湾、モンゴル、米国、カナダ、ブラジル、オーストラリアなど世界に分散しておられる多数の被爆者の方々の中から、各地域を代表していただける方々にお願いできればと私たちは希望いたしております。

2005年12月の開廷を実現させるためには、今後様々な議論と努力、それに資金が必要です。したがって、この「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」の趣旨と目的を御理解していただき、皆様の御支援と御協力のもとに、ぜひとも開廷にまでこぎ着けたいと念願いたしております。

原爆投下60周年を核兵器廃絶と戦争のない世界創造に向けた転機とするため、この国際民衆法廷運動への皆様の御支援、御協力をお願いいたします。

2004年12月5日
「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」実行委員会