デーテ
 
 
 
 
 ドイツのフランクフルトに働きに行くため、ハイジをおじいさんに預けた叔母のデーテ。村人は口々にハイジがかわいそうだと言いましたが、フランクフルトに小さなハイジを連れて仕事には行けないので、仕方なかったのでした。村人に疎まれているおじいさんのところに預けるのは、デーテも心配でした。亡くなったデーテの母親にハイジを頼むと言われていましたが、叔母としても責任を感じていました。ついつい余計なことを話して、おじいさんを怒らせてしまいました。
 
 とは言うものの、ハイジを育てることを第一に考えるなら、ラガーツで働き続けることもできたでしょうが、自分の人生を優先して、フランクフルト行きを決めたデーテには、育てることは無理だったのではないでしょうか。26歳、若くて独身の叔母が、一人でハイジへの全責任を負い続けるのは、荷が重いとも言えると思います。ハイジは、おじいさんに育てられる運命だったのでした。
 

 デーテは、3年後、ハイジをフランクフルトに連れにやって来ました。羽根飾りの帽子を被り、都会風に着飾って。。ハイジに物質的に豊かな生活をさせ、教育を受けさせることができる方法が見つかったのです。デーテが勤めている家の親戚がゼーゼマン家で、住み込みで一人娘のクララと一緒に勉強したり遊んだりできる女の子を求めていました。

 
 デーテは、ハイジには願ってもない話だと思いました。後におじいさんが言っていたように、少しぐらいは、棚から牡丹餅を期待する気持ちもあったかも知れませんが。。ただ、事情はどうあれ、ハイジはおじいさんのところが幸せだったのです。どうも、ハイジのことがよく分かっていないデーテでした。
 
  おじいさんにとっても、ハイジは大事な存在になっていました。でも、もし、デーテがフランクフルトに連れて行かなければ、ハイジは、村人との接触のまったくない環境で、学校教育を受けることもなく、教会に通うこともないまま、大人になっていたでしょう。ハイジは8歳になっていたのに学校に通わせてもらえず、村の子供が知っているようなことを知らずにいました。デーテの訪問の前の日、ハイジを学校に通わせるように説得に訪れた牧師さんにおじいさんは、ハイジは人から悪いことを教わらないように、山羊や鳥と一緒に育てばいいと話していました。この頃のおじいさんの真面目な考えであったとしても、これは困るのでした。デーテや村人の心配は一理あると思います。
 
 デーテは、おじいさんのところに赴き、穏やかに話をつけるつもりでしたが、ここでも、ついつい言い過ぎて、おじいさんを怒らせてしまいました。二度と連れて来るな。。いくら頭に来たとはいえ、ほんとうの気持ちと正反対のことを口にするおじいさんもおじいさんでした。
 

 ゼーゼマン家でも、ハイジがクララより4歳も年下で、字も読めないことを知って、話が違うと言い始めたロッテンマイアを押し切って、デーテは、またまた強引にハイジを置いて帰りました。断られても、もう、おじいさんのところには連れて帰れないし、自分が引き取ることは、もっとできなかったのでした。

 

 今はマナーを知らないけれど、飲み込みの早い子だからと言ったデーテの言葉は、ロッテンマイアの記憶に残ることはなかったようでした。。ハイジは、ロッテンマイアには頭ごなしに叱られてばかりでした。召使のチネッテの冷たい視線もありました。

 
 しかし、クララや、留守がちなゼーゼマン氏、おばあさま、そして召使のセバスチャンには優しく迎えられ、毎日豊かに過ごすことができました。。ハイジは、よくしてもらっていることがちゃんと分かっていながらも、故郷を想わずにはいられませんでした。とにかく故郷を愛していたのでした。
 
 ハイジの夢遊病が発覚した夜が明けるとすぐに、デーテは、ゼーゼマン家に呼ばれました。ゼーゼマン氏の説明があり、ハイジを連れて帰ってほしいと言われて、がっかりでした。おじいさんに会わせる顔がなくて、替わりにセバスチャンが送って行きました。
 

 なんと、デーテは、こんなことになるとは思っていなかったということでした! ハイジがおじいさんのところにいるときは心配していたのに、ゼーゼマン家にいるときは信用しきっていたのでした。でも、それ以前に、ハイジがいかにアルムのすべてを愛していたか、分かっていなかったのではないでしょうか。

 
 さらに後には、医師のクラッセン先生が、ハイジのもう一人の保護者になったり、ゼーゼマン氏が後見人になったりと、なんだかすごいことになります。ハイジの人柄が招いた幸せですが、デーテは自分が育てた以上に充分なことになるきっかけを作ったとも考えられると思います。デーテがしたことは、ハイジにとどまらず、多くの登場人物の幸せにつながって行ったのでした。デーテ自身は、健気に働き、都会の生活を堪能したことでしょう。
 
 
 
 
 
写真 1985年撮影 ウィーン
フランクフルトではありません。。^^;
 
MIDI Adagio