アルプスの少女ハイジ展 
 
〜 その作り手たちの仕事 〜
 
2005.9.10
 
 
 はるばる東京の「三鷹の森ジブリ美術館」までハイジに会いに行って来ました。まだまだ残暑。ジブリ美術館は井の頭公園の一角にあり、ツクツクボウシの蝉時雨。受付でローソンのチケットをフィルムチケットに交換してもらうと、中へ。ハイジ展の会場は、2階にありました。日時指定の予約制でも、土曜日とあって、かなりの盛況でした。
 
 
 すでにあちらこちらで目にしますが、やはりここでも、中島清文館長のメッセージで次の部分が目に留まりました。ハイジ以前のアニメは、アニメならではの題材で、ハイジのように実写でも表現しうるものはなかったとのこと。そんな中、ズイヨー映像の高橋茂人プロデューサーが、子供のための良心的な作品をということで、周囲の反対を押してハイジの企画を進めていました。高畑勲氏は、企画を託され、悩んだ末に敢えてアニメーション化する意味を見つけたのでした。アニメーションで日常生活を丁寧に描くことで実写とは違ったリアリティを追及できると。30分×52話ということで映画ではできない細かい描写も可能になります。宮崎駿氏はじめとする素晴らしいスタッフの方々が、その意思を支え、作られた作品だということです。当時、他にはなかった情報収集のための海外ロケーションハンティングをされ、一年間、一話の作り置きもない状態で、全仕事を遂げられたのは、作り手たちの情熱があったからだろうと。。今回の催しは、宮崎駿氏が当時の仕事の様子について、展示に手書きのメッセージを添えたり、当時の仕事の様子を漫画風にまとめられたパネルを作られたり、いろんな角度から語られていました。高畑氏はというと、会の準備が整ってから見に来られたそうです。
 
 放送から31年を経て、人気の続くハイジ。とうとう、当時レイアウトを担当されていた宮崎駿氏のホームグランドまでやって来たんだと思うと、感激もひとしおでした。
 
 
 少しこだわってみます。。^^;
 
<1> 高畑氏が、ほとんど忘れられていた古い原作に新しい命を吹き込んだのです。(引用)という宮崎氏のメッセージに目が留まりました。
 
<2> 次の展示は、右に高畑氏の若かりし頃の写真。左にスピリ氏の写真。。スピリ氏の写真の下に書かれた、「原作について」を引用します。ヨハンナ・シュピリは、スイス生まれの作家です。「ハイジ」は、1880年に書かれた彼女の代表作で、1920年(大正9年)に日本にも紹介され、 第二次世界大戦の敗戦を境に良く知られるようになりました。スイスが永世中立国で、戦争をしない美しい国というあこがれが人々の心をひきつけ、親のいない、貧しいが心の清らかな娘が、大金持ちの家に引き取られ、苦難の末、ついに幸せになるというストーリーが、ダイジェスト版で流布されました。一方、少女ものの原型として、たくさんの亜流 少女小説、絵物語、マンガその他)を産むことになります。経済の復興、高度経済成長の過程で、「ハイジ」は次第に忘れられ、1970年代には、原作を知っているけれど読んだことのないものに、スイスはただの観光スポットになって行きました。
 
<3> スペイン版ハイジのコーナーにも、ドイツ語圏を除いて、忘れられかけていた原作が蘇ったみたいなことが、宮崎氏の手書きで書かれていました。。
 
 放送の年、小学校の図書館で、原作を見ましたで。^^; ちゃんとした訳でした。^^; 原作が好きな、私より年上の方も知っているけどなぁ。。このホームページの参考図書にさせてもらっているような、原作にまつわる本も何冊か出版されています。出版年は新しくても、著者には長年の想いがあるようでした。。
 
 宮崎氏が、わざわざ3度も、「忘れられかけていた原作」と書かれたのには、何か理由があるのでしょうか? 初版当時の爆発的な人気が、いくらか落ち着いて来たということではないでしょうか?
 
 展示にもあったように、原作本は、現在も出版されています。古き善き古典の一つとして、21世紀も現役だろうと思います。私は、スピリのメッセージが好きです。。アニメと原作は、私の中では対等に共存しています。。ただ、「大人の」読者の中には、スピリの宗教観に壁を感じる方がいらっしゃるようです。別冊宝島によると、高畑氏もそうみたいです。
 
 ゆっくり原作を読んでいると、アニメの一コマを思い浮かべることがよくあります。文学者でもある高畑氏は、原作を緻密に読んでおられるような気がします。生かせるところはちゃんと生かして、カットするところはカットし、別のものに置き換えるところは置き換えて、独自の作品に仕上げられたのだと思います。。だからある意味、このアニメが最大最強の亜流でもあると思います。アニメ化によって、ハイジがさらに広く知られるようになって、よかった。アニメのハイジがほんとうのハイジだと思わせるようなカリスマ性、素晴らしい。しかし、スピリがいなければ、この作品は生まれなかったのです。 
 
 パンフレットには、高畑氏のメッセージとして、2001年チューリッヒであった、スピリ没後100年のシンポジュームで、日本で原作がどれだけ愛されているかから話をして来ましたと、一言添えられていました。3階の図書閲覧室の一番目につくところに福音館文庫ハイジが置かれ、同じく3階のショップでは、岩波少年文庫ハイジが販売されていました。。
 
 高畑氏の写真の下に書かれた、「高畑勲が考えたこと」を引用します。高畑勲は、日本のアニメーション界を代表する演出家のひとりです。60年代の模索を経て、70年代に自己の演出論を確立しました。大冒険や事々しい大仰な事件の連続、刺激の強いアニメ的表現ではなく、人の日常の暮らしの中にこそ、発見するに値するものがある。見落としがちなものに改めて光を当て、丁寧に心の動き、その変化の過程を表現することで、小さな世界が全世界にも匹敵する感動をもたらすというものです。「ハイジ」において高畑は、スイスの山百姓の暮らしを調べ、夢のようなスイスではなく、人々が生きる生活の場としてのスイスを下敷きにし、原作をふくらませました。印象的な前半のハイジの山での生活は、ほとんどが彼のオリジナルと言ってよいものです。
 
 アニメに出てくるスイスの生活は、地元スイスの人も、日本人が作ったと思わないほどの正確さで描かれていると聞きます。アニメは、スピリの地元のスイスにも、自然に受け入れられ、多くの人に愛されているそうです。同様のことが、フランクフルトにも言えると思います。 
 
 今回の催しでは、触れられていなかったのですが、故渡辺岳夫氏のBGMも素晴らしく、映像を助けていると思います。渡辺氏も渡欧して、インスピレーションを高められたとか。。
 
 
 展示内容、行きます。。
 
●原作本とシナリオ 野上彌生子訳、洋書、子供用の抄本、現在出版中の福音館文庫など。そして、全52話のシナリオ。どこか一話の1ページが開かれていました。今回のパネル展示で分かったのですが、シナリオは、アニメ制作の初期に作られるものということで、実際の台詞とは随分違っていました。
 
●海外でも人気の代表選手としてスペイン版が紹介されていました。コミック本など、イラストの色が若干エキゾチックに見えます。アニメの音声が流れていて、BGMは、日本のアニメのままでした。
 
●マイエンフェルトからデルフリ、山小屋までを模型で再現していました。とてもよくできていました。おじいさんやハイジ、ヨーゼフ、ペーターや山羊たちも生き生きと作られていました。。汽車も走っていました。山小屋の側には、牛が放牧されているところまであって、クララが牛に驚いて一瞬立ったシーンを思い出しました。ただ、模型の大きさの割りに大きなブランコには、ちょっと退いてしまった私でした。^^; だって、ハイジのオープニングに欠かせないブランコでも、誰も乗っていないと、天井から吊るされたロープが2本ですもの。想像力が乏しいですかね。^^;
 
●「おしえて」「まっててごらん」「ユキとわたし」「ペーターとわたし」を作詞された岸田衿子氏(←ムーミンの岸田今日子氏のお姉さん)の手書きの原稿と、手書きの楽譜、作曲の渡辺岳夫氏の手書き? 清書係がいたのかな? 私は、この催しで、このコーナーがいちばん心に残りました。岸田氏の字は、とても素朴な印象を受けました。ワープロのない時代、縦書きの原稿用紙に書かれていました。メロディと合体するときに変更になったのか、実際に歌われた歌詞とは、若干違っていました。楽譜の方は、録音の際、使われたものだそうです。あと、青焼きコピーの絵コンテや、主題歌まで忠実に吹き替えられたスペイン語版LPレコードなど。
 
●山小屋内部<かまどや木の食卓など> 宮崎氏の設定をもとに実物の大きさで再現されていました。いろんな生活道具が揃っていました。今回の催しの展示を担当された方が、スイスに赴き、いろいろ調達して来られたそうです。ヨーゼフのぬいぐるみもいました。特注のようでした。部屋に溶け込んでいます。ハイジの赤いショールが椅子にかかっていました。窓辺には、おじいさんがハイジのために作った木のアイベックスなどが並べられ、床には積み木。。。実際の山小屋をモデルに設定を作り、その中にカメラを持ち込んだつもりで仕上げられた、こんな丁寧に設定を生かした作品はハイジまではなかったと宮崎氏のメッセージ。。あと、おじいさんの仕事部屋<大工道具一式など>、ペーターの家の一角<おばあさんのつむぎ車など>。。おばあさんがつむいでいたのは、亜麻だったんですね。。
 
●全52話のストーリー アニメのカットとあらすじ 
 
高畑の目指したものということで、第話、着ぶくれハイジが、山小屋に連れて行かれるまでの描写について高畑氏がどのように考えておられたかが、パネルに書かれていました。「30年以上前、一回目の放送を見た人は覚えているでしょうか?」と始められていました。言われてみて、小学生の頃、本放送で第一話を見たとき感じた「重さ」を思い出しました。最初に見たときの印象が心に残っています。どう見ても幸せそうにない女の子が、評判のよくないおじいさんのところに連れて行かれる。。どうなるのだろうと、はらはらどきどきして見た覚えがあります。しかしハイジは、荷物になるからと着せられた服を次々に脱げ捨て、気難しそうなおじいさんの前に堂々と向かい合います。。高畑氏は、いろんなことを緻密に考えて演出の段取りをされると聞いたことがありますが、映像の一コマ一コマに、考えがあり、そのことを証明するようなお話でした。
 

●アニメを作るにあたり、1973年7月16日から25日まで、高畑氏、宮崎氏、作画監督の小田部羊一氏、担当プロデューサーの中島順三氏の4名が、スイスとドイツのフランクフルトにロケーションハンティングに行かれたのは、もう有名な話です。ロケハンが残したものということで、その際、撮られた写真や、小田部氏の現地の人たちのスケッチが展示されていました。このスケッチがいろんな登場人物に生かされたそうです。当然と言えば当然ですが、スケッチは大人の絵。今の私には、こちらの方が魅力的です。しかし、アニメには、子供にも親しみやすい絵になって登場します。よく見ると、写真に、スケッチに登場した人が写っているかも知れません。^^

 
●小田部氏によるキャラクター設計図 ハイジ、ペーター、クララ… 最近のグッズは、このあたりからも商品になっています。あと、実際に使われたセル画と、設定画いろいろ。セル画って、思っていたより小さかったです。。ほとんど残っていないそうです。
 
マルタ・プファンネンシュミット氏の絵の展示。ロケハンの際、チューリッヒのスピリ記念館で学芸員からもらった絵本。本自体に絵はなく、文房具やお菓子についているマークと絵を交換するようになっていたそうで、拡大カラーコピーされた絵が、たくさん展示されていました。アニメを作る上で、第一級の資料になったそうです。よく見ると、アニメの一コマがいっぱいです。宮崎氏がアニメ制作時にこれらの絵に出会ったときの感想が書かれていて、今に至ってもホットな印象を受けました。いくつかは、今の岩波少年文庫の表紙と挿絵になっています。岩波少年文庫によると、この挿絵が施された本は1944年の初版で、1880-1881年のハイジの初版当時の服装や生活を詳しく調べて忠実な絵に仕上げられたものだとのこと。描かれた時代を反映しているのか、19世紀らしく仕上がっているのか、今見ると、どことなく暗い雰囲気の絵たちです。 
 
パネル展示<美術監督 故井岡雅宏氏のこと> 井岡氏の背景はほんとうに美しいのです。井岡氏の功績を称え、スタッフに多くを求めず自分で被って行かれたことなどが書かれていました。また、要になるショットを知る天才であったと。。井岡氏は北海道の人だと手書きで書かれ、とても美しい雪のデルフリの背景が紹介されていました。残念ながら、背景はわずかしか残っていないとのことです。
 

パネル展示<撮影の方法> 高畑氏は、遅いスピードで背景を動かすことによって、風景の広がり、空気、奥行きなどを表現したいと考えました。言われてみれば、遅い動きのおかげで、美しい背景を鑑賞できているような気がします。

 
パネル展示<演出家の仕事> 専門用語は分からないながら、すべてのパーツに演出家は関わっていたということが書かれていたように思います。きちんとこなそうとすると、無限大の仕事量になり、孤独な仕事でもあると。。こんな徹底した演出をやり通したのは、ハイジでの高畑がはじめてでした。正に「創造的な仕事をなしとげる三つの条件」若いこと、無名であること、貧乏であることだったのです。(引用と書かれていました。
 
パネル展示<その他> 当時の仕事振りに伴ういろんなことが紹介されていました。実際に体験してみないと分からない苦楽があったのではと思いました。たいへんだったけど楽しく、やがて充実感に変わって行ったようなことが書かれていたと思います。
 
カフェ「麦わらぼうし」で、「オオツノのホットドッグ」と冷たい麦茶が昼食でした。パンからながーいソーセージの角が出ているの〜。^^ 「山小屋のチョコレートケーキ」は、展示を見終わったあと、並んで待っていて、寸前で売り切れ。。(@_@;) 同じ時間になると、「オオツノのホットドッグ」も売り切れていました。
 
3階のショップで、場面設定図やキャラクター設計図や井岡氏の背景の絵はがきと、記念キーホルダーを一つ買って来ました。。絵はがきだけで結構な枚数になってしまいました。。
 
 
 以上、3階の図書閲覧室で購入したパンフレットを参考にして、展示内容と、館内でのことを「ざっと」思い出してみました。ハイジ展を見るだけで精一杯で、あとの常設展は素通りしただけになってしまいました。短編映画もパスでした。井の頭公園で深呼吸してから、バスで帰りました。^^; 
 
 
 パンフレットの高畑氏のメッセージに、レイアウトを担当された宮崎氏の仕事の重要性について書かれていました。ハイジは、今では一般的になっているレイアウト・システムで作られた最初の作品。宮崎氏によって、映像の一カットの質が格段によくなり、全話にわたって質が均等に保たれるようになったということでしょうか。それにしても、膨大な量のカットをこなされたわけです。
 
 
 
三鷹の森ジブリ美術館ホームページ
※今回の催しでは、シュピリと表記されていましたが、引用文を除いて、スピリに統一しました。
素材 Rosemary MIDI みんなにないしょ 2007.11.16.BGM設置