Johanna Spyri
 
 
 
「アルプスの少女ハイジ」の著者、ヨハンナ・ルイーズ・ホイサー<旧姓>は、1827年6月12日、スイス、チューリッヒから約25km の山村ヒルツェルに、父ヨハン・ヤーコプ・ホイサーと、母マルガリータの次女として生まれました。7人の子供<うち一人は幼くして他界>のうちの、4番目です。
 
父ヨハン・ヤーコプ・ホイサーは、苦労して医学の道を志し、無医村だったヒルツェルで開業。ドクトル・ハウスを新築。時には精神病の入院患者を家族と同じ食卓に迎え、子供達も世話をしたということです。
 
母マルガリータは、ヒルツェルの牧師シュワイツァーの娘。詩人メタ・ホイサーとして讃美歌を残しています。家庭では、子供達にも詩を作って読んで聞かせました。父シュワイツァーが亡くなってからは、母、伯母、従姉妹たちが同居、たいへんな大所帯の主婦になりました。また、入院患者の世話など、夫の仕事を献身的に支えました。
 

子供のころのヨハンナは、ハニーと呼ばれ、野原を駆けまわる、活発な少女だったということです。母の影響で、子供のころから詩を書き、母の交友関係から、アンナ・フリース<後に画家>や、コンラート・フェルディナント・マイヤー<後に歴史小説家>、その妹ベツィとの長い親交が始まります。

 
14歳から16歳まで、チューリッヒで、語学と音楽、おもにフランス語とピアノの勉強。伯母の家に滞在。16歳のとき、プロテスタントの堅信礼を受けます。まもなく、フランス語地方のイヴェルドン・レ・バンに数ヶ月滞在。
 
ヒルツェルに戻ったヨハンナは、妹たちにフランス語やピアノを教え、家事やドクトル・ハウスを手伝い、また、読書をたくさんしたということです。<ゲーテ、レッシング、ホメロス、女流詩人アネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフなどの作品。ことに、ゲーテは、生涯を通して敬愛。> 
 

ヨハンナ25歳のとき、兄の友人、ヨハン・ベルンハルト・スピリと結婚。ワイマールに新婚旅行。チューリッヒに居住。弁護士で、スイス連邦新聞の編集長でもあった夫、多忙の寂しさと、慣れない都会生活から、ホームシックにかかり、3年後、子供が生まれるまで続きました。この時期、ヨハンナは、心の拠りどころを宗教に求め、信仰に目覚めたということです。夫が、亡命中の作曲家リヒャルト・ワーグナーを援助していたため、ワーグナーの演奏会や講演会に夫とともに出席。<道徳的な家に育ったヨハンナは、恋多きワーグナーを快く思っていませんでしたが、ワーグナーはヨハンナに食器を贈って感謝しました。>

 
28歳のとき、長男ベルンハルト・ディートヘルムを出産。息子は、音楽の才能に秀で、やがて、ヴァイオリニストを志望しますが、生まれつき病弱だったため、断念。
 
31歳のとき、ブレーマー・ハウスに転居。
 
ヨハンナ41歳のとき、夫がチューリッヒ市の官房長になり、市役所公舎に転居。息子は成長し、夫は超多忙。ヨハンナは、暇をもてあまし、読書をしたり、思い出や身近なことをつづったりして過ごしていました。ヨハンナからの手紙を読んで文才を発見した知り合いの牧師の勧めで、売上金を普仏戦争犠牲者への支援活動に寄付するということで、小説を書き始めます。44歳のとき、処女作「フローニーの墓の上の一葉」を、J.Sという頭文字だけを記した匿名で出版。売上金を寄付。作品は好評を博し、以後、いくつかの作品を匿名で出版しました。
 

 

<引用図書> 国際児童版世界の名作18 アルプスの少女ハイジ(講談社)

 
 
ヨハンナは、しばしばイエニンスに住んでいた旧友サリの家を訪れていました。イエニンスからマイエンフェルトへの道を歩きながら物語の構想を練り、完成したのが、「アルプスの少女ハイジ」でした。1880年、ヨハンナ53歳のとき、「ハイジの修業時代と遍歴時代」を匿名で出版。読者の熱望に答えて、翌年、「ハイジは習ったことを使うことができる」は、本名を明記して出版しました。
 
ヨハンナ57歳のとき、 息子が結核のため他界。29歳。同じ年、夫が、激務からの過労と、息子を亡くした心労から、肺炎にかかり、急逝。62歳。翌年、夫の思い出をつづった、「ある弁護士の生活から」をバーゼルの新聞に連載。一時、駅前通りの家に、そして都心に遠くない山手のツェルトウェーク通りの家に転居。大きな悲しみから立ち直ったヨハンナは、数々の作品を残し、残りの人生を独身で過ごしました。残念ながら、ハイジ以外の作品は、現在では、邦訳が出版されていませんが、どの作品も、若い者、幼い者への深い慈しみが感じられるものだということです。<邦訳が出版されたことがあるのは、「グリトリの子どもたち」「ばらのレースリ」「コルネリの幸福」「やぎ飼いのモニ」「アルプスの白ゆり」など。「スピリ少年少女文学全集」全12巻が白水社から出版されたこともあるようです。邦訳されていないものを含めたヨハンナ・スピリ全作品数では、49。> 
 
1901年7月7日、チューリッヒ市内、ツェルトウェーク通りの自宅で永眠。74歳。チューリッヒ中央墓地に埋葬されました。死を前に、ヨハンナは、原稿、メモ、手紙などを、すべて処分しました。
 
 
 
 
 
 
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