宇治上神社・宇治神社

宇治上神社本殿
▲宇治上神社本殿: それぞれが一間社流造り(正面側面とも幅一間)の3棟の内殿を一列に並べ、共通の覆い屋で覆ったという特殊な形式。平安時代後期の作とされ、現存する神社建築では日本最古のものとして国宝に指定。


多くの人が訪れる平等院とは川をはさんで反対側、早蕨の道が通る小高い丘の中に、ひっそりとしたたたずまいの宇治上神社。派手な色彩や装飾こそないが、京都でもっとも静寂に包まれている世界文化遺産は、湧き水が流れ、厳かで清らかな空気の中、これからも宇治の守り神として歴史を積み重ねていくに違いない。

○宇治上神社・宇治神社の歴史
醍醐天皇のとき、山城の国司が社殿を造営したのが起源とされ、平等院が建立されるとその鎮守社となったと伝えられる。かつては隣接の宇治神社と二社一体で、宇治上神社は「本宮」あるいは「離宮上社」(りくうかみしゃ)と呼ばれ、宇治神社は「若宮」あるいは「離宮下社」(りくうしもしゃ)と呼ばれていたが、明治時代に分離した。本殿と拝殿は昭和27(1952)年に国宝に指定、平成6(1994)年には平等院と共に世界文化遺産に登録されている。

○宇治上神社・宇治神社の御祭神
本殿に祀られている左から、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)(弟君)、応神天皇(父君)、仁徳天皇(兄君)。 応神天皇は菟道稚郎子皇子を愛し、皇太子としたが、応神天皇が崩御したときに菟道稚郎子は兄である大鷦鷯尊(おおさざきのみこと・のちの仁徳天皇)に皇位を譲ろうとした。しかし父に背くことになるとこれを固辞、3年間天皇がいない状況が続いたため、兄に皇位を継がせるべく菟道稚郎子は宇治川に入水して命を絶ったと、悲運の皇子として日本書紀に描かれている。宇治川の東岸、京阪宇治駅の北側にあるこんもりとした杜が宇治陵で、皇子の墓とされている。

○宇治上神社・宇治神社のみどころ
宇治上神社拝殿


宇治上神社拝殿
縋破風(すがるはふ)といわれる手法を用いた独特の美しい屋根が特徴的。その美しさから、宇治離宮「宇治院」の建物が下賜されたのではないかとも言われる。切妻造桧皮葺きで、左右にひさしを出し、中央には板唐戸、左右に蔀戸(しとみど)があり、鎌倉時代の寝殿造形式の住宅建築として国宝に指定。

宇治神社本殿


宇治神社本殿
菟道稚郎子皇子の宮居跡と伝えられる。鎌倉時代後期に建立されたもので重要文化財に指定されている。

桐原水


桐原水
宇治七名水のひとつ。ただし、六名水が枯れてしまった現在、残っている唯一のもの。



・宇治上神社
 京都府宇治市宇治山田59
 京阪宇治線「京阪宇治」駅下車徒歩10分・JR奈良線「宇治」駅下車徒歩18分
 境内自由

・宇治神社
 京都府宇治市宇治山田1
 京阪宇治線「京阪宇治」駅下車徒歩5分・JR奈良線「宇治」駅下車徒歩13分
 境内自由




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