開拓者達が何時、何処でインディアンからパープル・マーチンとヒョウタンの巣箱について学んだかは諸説がある、、ピューリッアー賞、その他多くの自然、環境保護等の賞を受賞した作家るエドウィン・ウェー・テール( 1899~1980)(『ウォルデイン』の著者ヘンリー・デイヴィド・ソローHenry David Thoreau(1817~1862)と並び評価された作家)はアメリカのバードハウスの起源について次の様に述べている。註7

”初期のアメリカへの移住者はインディアンの部落で彼らがパープル・マーチンの為にヒョウタンの巣箱をぶら下げていたのを見た。然し実は、(巣箱の歴史はもっと古く、1492年)クリストファー・コロンブスが新大陸に上陸した時に、乗組員達は野鳥がヒョウタンの巣箱で生活しているのを見ているのである”

インディアンたちがパープル・マーチンの為にヒョウタンの巣箱を使用していたことを最初に指摘したのは英国の植物学者であり、聖職者だったジョン・バニスターJohn Banister (1650~1692)である。彼は博物学者John Rayが編纂した”History of Plant”の第2巻に彼がヴァジニアで発見した植物について書いている他”Observations on the Natural Productions of Jamaica", "The Insects of Virginia”等8冊の著作がある。その中に”インディアンは、パープル・マーチンにポールの先端に取り付けたヒョウタンに巣作りをさせ、コーンを盗み食いし、ニワトリを襲撃するカラス等を防がしていた”註8と述べている。

次いで、ロンドンで博物誌を学んだ英国人。マーク・ケートビーMark Cateby(1683~1749)は『Natural History of Carolina,Florida and the Bahama Island』(1731-47)の中にパープル・マーチンの挿絵を入れ”彼らは家鳩を飼育するように、棒の先にヒョウタンを吊るし家を提供していた。パープル・マーチンは威勢のいい鳥で、家禽を襲うカラス、タカを追い払った”と述べている。註9

18世紀になるとアメリカ鳥類学の父と言われるアレキサンダー・ウイルソンAlexander Wilson (1766-1813)は『American Ornithology: The Natural History of the Birds of the United States』の中で ”孤独な生活をしていたインディアンはパープル・マーチンに対して特別な尊敬の念を持っていたようだ。”と述べ、更に先住民族チョクトウ、チョクソウ・インディアンたちの作ったバードハウスについて”彼らはヒョウタンを使ってバードハウスを作り住まいの近くの樹木に横木を渡しそこに懸架していた”、”インディアンたちは自分達の集落の周囲に多数のヒョウタンの箱を用意することにより、野生のパープル・マーチンを[semi domesticated] (飼いならし)、共生を図った”と述べている。註10

鳥類画家生としても著名なJohn James Audubon (1785-1851)はパープル・マーチンを”privileged
piligrim and

アメリカ農務省森林局発表の2004年度『アメリカ・バーダー調査』速報註1によると、バードウオッチングを楽しみ、自宅の庭にバードハウスを懸架、バードフィーダーで餌を与えバードバスを用意しているバーダー数は8520万人、アメリカ総人口2億8042万人註2の34%、国民の3人に1人がバーダーである。

コーネル鳥類学研究所、米オーデュボン協会は庭に集る野鳥の種類、鳥数を調査する『The Great Backyard Count』をアメリカ全州のバーダーの自主的参加により毎年実施している。2008年度は2月15日から同18日までの4日間行われ、参加者は自宅の庭に集る野鳥の数を毎日15分間カウントし結果を『The Great Backyard Count』に報告した。発表された調査結果によると提出されたリスト件数は85,725件野鳥の種類は635、数えられた野鳥数は9,805,216羽だった。2007年度に比してみると、提出件数、鳥種は増加しているが、鳥数は減少している。

市民達と野鳥とのふれあいは、たとい些細なことであっても絶えず新聞等によって報道され、市民達が自然と親しむための貴重な情報となっている。2007年度、一年間を通してアメリカの新聞に『バードハウス・フィーダー』と言う文字が使用されたニュースは898件、一日平均2.5件、2008年度は7月末現在で既に586件、一日平均2,8件である。

アメリカでは、コミュニテー、教会、学校、自治体等が中心となり四季に応じたフェステイバル、バザーが開催されるが商品として必ず登場するのがバードハウスである。

そしてバードハウスのオークションが活発に行われている。オークションには、司会者がバードハウスを入札者に示し価格を競り合う本格的オークション、購入希望者が事前に陳列されたバードハウス見て、入札用紙に金額を記入、入札するサイレント・オークションがある。

出品されるバードハウスは、地域の著名人、アーチスト、野鳥愛好家ー特にリタイヤーし、悠々自適の生活を送っている人たちの製作したバードハウスであり、その収益金は、生活困窮者の子供への援助金、脳性小児麻痺患者救済、エーズ撲滅運動等々に寄付され、社会的諸問題解決のために役立っている。またキリスト教会のバザーにもバードハウス、バードフィーダーは登場し、収益金は後進国でのキリスト教伝道資金等としても使われている。

新聞各紙には著名人の死亡記事が掲載されているが、内容は故人の経歴、業績に止まらず「生前755のバードハウスを製作寄贈したとか、リタイヤー後は毎年子供たちのためにバードハウス教室を開催していたといったバードハウスに関連事項が記載されているのは大変興味深いことである。

新聞が野鳥に関する記事を掲載するのは決して最近のことではない。自然と人間の共生を示唆したレイチエル・カーソン(1907~1964)が二十世紀半ばに発生した、農薬DDTの毒性による環境破壊を取り上げ、人間の愚かさを指摘、『沈黙の春』が誕生する切っ掛けとなったのも新聞の投書註3からだった。

オルガ・オーエンス・ハキンズ夫人は、マサチューセッツ州ダックスベリーに居住し、野鳥たちに餌を与え、沐浴するバードバスを用意、雛を育て、寒さ、嵐を防ぐシエルター・バードハウスを庭園に設けていた。ある日、農薬散布の飛行機から散布された害虫駆除農薬DDTにより彼女の庭園に集っていた野鳥たちは無残にも死亡してしまった。そして野鳥たちの死を悼む彼女の悲しみの投書が『ボストンヘラルド』誌に掲載され、それを読んだレイチェル・カーソンが環境問題に強い関心を持つ契機となったのだった。註3

野鳥を『Feathered Friends』『Bird Neighbors』『Wild Bird Guest』等の名で呼び、野鳥を身近な『友人』として迎え、『野鳥と人間の共生』を信奉しているアメリカの8520万人の市民達は野鳥と親しみ、毎日の生活を楽しんでいる。これこそ、アメリカ人の生活の中に見られるバードハウス文化である。

日本では、江戸時代、大名達は金銀を鏤めた鳥篭でウグイスやコマドリなどを飼育



harbringer of spring”(光栄ある巡礼者であり春の到来の予告者)であり巣を襲う外敵に勇敢に立ち向かう鳥”と賞賛し,”インディアン達は彼らを『watchdog』(番犬)として尊敬していた。”と述べている。註11

アメリカのバードハウスの起源はインディアンたちの「ヒョウタンの巣箱」であり、一日に2000匹の蚊を捕食するパープル・マーチンの家を居住地の周囲に作らせるため、「ヒョウタンの巣箱」を多数居住地の周りに設置、集合住宅化するコロニー現象もインディアンたちの英知だった。そして、19世紀になるとパープル・マーチンの保護運動はアメリカ先住民族のみならず、ヨーロッパ系の市民達も含めた大衆運動となり、バードハウスのコロニー化現象が急速に進んだ
.。


註7 : John K. Terres:Songbirds in your garden (1953) に書いた序文、入手した古書の後扉に張られていた二人の写真、上が専門地質生物学者であり、オーデュボンマガジン編集者であった著者John K. Terres(1905~2006)、下の写真はテールである。
註8 : .John Banister: Natural History of Virginia (1678-1692)
註9 : Robin Doughty and Rob Fergus: The Purple Martin (2000)
註10 : Alexander Wilson: American Ornithology ;or The Natural history of the Birds of the United States(1828)
  Some people have large conveniences formed for the Martin with many apartments,whichare useally tenanted and occupied regulary every spring, and in such places, particular individuals have been noted to return to the same box for several successive yearrs  Even the solitary Indian seemes to have a paticular respect for the birds, The Chactaws and Chickasaws cut off all the top branches from a sapling near the cabin, leaving the pronge a foot or two in length,on each of which they hang a gourd or same calabash, properly hollowed out for their conveninence . On the banks of the Mississippi the Negroes stick up long canes with the species of apartment fixed to their tops, in which the Martins regulary breed , Wherever I have travelled in this country  I  have seen with pleasure the hospitarity of the inhabitants to this favorite bird.
註11 :John James Audubon:Birds of America(1831)

                                             (Aug.29,2008) 

3. 検証インディアンとパープル・マーチン

約1万3000年前註5ベーリング海峡を渡って米大陸に移住したアメリカ先住民族アメリカ・インディアンはモンゴルの遊牧民達が使用していたような饅頭型パオ様式のテントで生活し、トウモロコシなどを栽培、集落を形成していた。

彼らがヒョウタンをバードハウスとして何時頃から使用していたのかは詳らかではない。一説によると、彼らの周囲で生活していたパープル・マーチンは非常に怜悧な野鳥でトウモロコシを盗食するカラスの集団、インディアンたちが飼育していたニワトリ、子羊、子犬などを殺戮する猛禽類タカ、ワシなどが頭上にやって来ると、警戒音を発し、インディアンたちに敵の襲来を教えたと言われている。

また、春になると避寒地メキシコから、インディアンたちの集落に戻り、家を作り、雛を育てる・・・と言ったパープル・マーチンの生活様式は、インデイアンたちの農業カレンダーであり、同時に、パープル・マーチンの日常生活はインデ


ィアンたちの時計の役割を果したと言われている。本来、パープル・マーチンは森林の中の樹洞、キツツキの作った巣穴、崖の洞窟等に巣を作る習性を持っていた野鳥だった。当時インディアンたちは飲料水、酒を運ぶ水筒としてヒョウタンを使用していたが、たまたま乾燥させるために樹木にかけていたヒョウタンにパープル・マーチンが巣を作った。これを見たインディアンは自分達の生活に貴重な情報を提供するパープル・マーチンを身近に呼び寄せるために作ったのがヒョウタンのバードハウスであった。註6



註5 Charles C.Mann; 1491:New Revelation of the Americas Befor Columbus

Erickson and Balee belong to a cohort of scholars that in recent years has radically challenged conventional notions of what the Western Hemisphere was like before Columbus. When I went to high school, in the 1970s, I was taught that Indians came to the Americas across the Bering Strait about thirteen thousand years ago, that they lived for the most part in small, isolated groups, and that they had so little impact on their environment that even after millennia of habitation the continents remained mostly wilderness. Schools still impart the same ideas today. One way to summarize the views of people like Erickson and Balee would be to say that they regard this picture of Indian life as wrong in almost every aspect. Indians were here far longer than previously thought, these researchers believe, and in much greater numbers. And they were so successful at imposing their will on the landscape that in 1492 Columbus set foot in a hemisphere thoroughly marked by humankind.

註6: James R. Hill Ⅲ: (Purple Martin Conservation Association :Founder and Executive Director.)
Thanks To Native Americans,Purple Martins Underwent a Complete Tradition Shift
Purple Martin Conservation Association:http://www.purplemartin.org/update/Indigenous.htm 
し鳴き声を楽しんだ。やがてそれは武士だけではなく裕福な商人の中にも広まり一般化、庶民達もウグイス、コマドリ、ルリ、メジロホオジロ、などを籠で飼育、鳴き声を競い合わせ楽しむようになった。そこに日本独特の飼い鳥文化が誕生し、『飼育道』と称せられた。これに対し、野鳥を自然の中で楽しもうという運動を起こしたのが、1934年、中西梧堂による日本野鳥の会の創立である。

1920年代には、農林省鳥獣調査室の内田清之介が中心となり、全国的に、森林を蚕食する害虫駆除の野鳥を増殖する目的で巣箱を架設する運動が推進された。日本では、野鳥を益鳥、害鳥に分類し、野鳥を人間の生活の補助的機能として考えてきた。然し、強力な殺虫剤の開発と共に、野鳥を増殖させる目的の『巣箱』は急激に減少し今日に至っている。野鳥を”生活のパトナー”として遇して来た長い歴史を持つアメリカと日本の野鳥に対する考え方には大きな差異が存在する。

大岩紀鹿は内田清之助との共著『小鳥巣箱の造り方とその応用』の中の『巣箱の起源』註4と題した論文の中で、『古代未開の種族は野生の鳥獣を馴らして、その日常生活に多大の恩恵を蒙ってゐたのでありますから従って鳥類或いは獣類の為に自分の棲み家を分けてやってゐたと云うことは明らかな事実であります』また、ヒョウタンについては、『米国へ最初に殖民した当時、東部の印度人が燕の為に瓢箪を下げていたのを見たと云われて居ります。』と述べている。当時の日本の巣箱に関する資料は99%が米国関係の図書であったにも関わらず、自分の棲み家を分けてやってゐたと述べるに止まり、フェザードフレンド野鳥は友達と言った概念については論及していない。

日本では、野鳥愛好者数の調査は行われていないので実態は詳らかではないが、日本最大の愛鳥団体、日本野鳥の会会員数47,000人から推測しても日米の愛鳥家数には大きな差があるように思われる。因みに米オーデユボン協会の会員数は56万人である。日米間の愛鳥家数の大差には種々の要因が考えられる。その一つは、日本人の『自然は人間の為に存在する』という思想と米国人の『自然はイコールパートナーであり、自然そのものにも生存権がある』という自然保護に対する基本姿勢の違いにあると言え
よう。



註1 :Don Hendershot : Bird Nerds Unite
Bird Nerdsは日本語では適当な翻訳語は見当たらないが、”熱狂的な野鳥愛好家””野鳥オタク”の意もある 1/18/2006
註2:S.Census Bureau: MAY 17,2007
註3 『レイチエル・カーソン』ポール・ブルックス著 上野恵子訳 新潮社
  
   『昨夏、蚊を退治するために飛行機が私たちの小さな町の上空を飛びました。・・・・・・  いわゆる「無害」
   のシャワーを浴びることによって、7羽 の鳴鳥が直ちに死にました。私たちは翌朝玄関の前で3羽の死骸を拾い
   ました。彼らは私たちの 身近なところで生活し、私たちを信頼し、そして 私たちの家の庭の木に毎年巣を作っ
   ていたのです。そのまた翌日、3羽の死骸が水浴び場付近に散らば っていました。

註4:内田清之助、大岩紀鹿共著『小鳥巣箱の造り方と其応用』(1929)


2. ヒョウタンから始まったアメリカのバードハウス文化

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1. 8520万人の市民達が野鳥と生活を楽しんでいるアメリカ

アメリカ文化としてのバードハウス 1