―――――――2010年冬季オリンピックを滑る―――――――



         
 

2004年もおしつまった12月半ば、アメリカの西海岸、バンクーバーに降り立った。

そこから、約2時間、海岸沿いに北を目指して車をとばすと小さな村がある。ウィスラー・ビレッジという。丁度クリスマス前ということで、町全体が赤・黄・青のイルミネーションで飾られ、おとぎの国に来たみたいだ。ながらく、外国の地でスキーをすることに夢をみていた僕にとって、いよいよ明日からここで滑られると思うと、その夜は眠れないほど興奮した。それに、六年後のオリンピックが、ここで開催されるのが決定したというからなおさらだ。


翌朝早く、身支度をして登高ゴンドラの前に来た。日本人らしき人もちらほら見えるが、当然、おおかたが西洋人で東洋人の姿はほとんどない。異国のスキー場といっても、別に衣装や道具はわが国と変わったところがないが、スキーヤーの多くがヘルメットをかぶっているのを不思議に思った。これは後で分かるのだが、カナダ・スキーの大きな特徴なのだった。

広場から、二本のゴンドラが出ている。2,182メートルのウィスラー山と2,440メートルのブラックコム山行きである。早速、プライベートの日本人ガイドを雇って、二つのピークを目指すことにした。どちらも、20分ほどゴンドラで、ほぼ2,000メートルまで登り、そこから更に2,3本のリフトを乗り継いで、岩と氷雪だけのゲレンデの最高点にたどり着く。

頂上近くの山小屋からの360度の眺望が見事だ。
その日の麓は小雨まじりの天候だったが、上につくと太陽ものぞき、遠くに青く光る氷河をかいま見ることが出来た。想像していた以上にすごい。日本のスキー場も、近年は発展し外国に負けないのではと思っていたのだが、やっぱり違う。何処が違うのか。コースの長さか、巾か、斜度か、雪質か、リフトか。

このようなものは、あまり変わりがない。違いを、簡単にいうと、「ここを滑ってはいけません」という斜面の多いのが日本で、「どこでも滑ってよろしい」がカナダだとでも言おうか。実際、頂上近くから東西南北、どこを滑降してもいいのだ。「日本はスキーごっこだ」と感ずるほど、むこうは自由なのである。何事にも、わが国では規制が多いのが特徴で、「若し何か事故があれば、管理側の責任になる」のに対して、あちらは、「事故があっても、それぞれ各自で責任を持つこと」が徹底しているのだろう。日本の役人は、とにかく責任をとらされるのを恐がる。国民も「こんな危険なところを放置するのは行政の責任だ」と、ねじ込む傾向があるからだろう。これを、もうすこし詳しく説明する。

スキーヤーの技術の程度によって、2・300もあるコースは四つに分けられている。
初級(ビギナー)・中級(インターメディエイト)・上級(アドバンス)、ここまでは日本と同じだが、この上に熟練者(エキスパート)コースがあるのだ。

勿論、山だから樹林もあるし、森林限界をすぎれば、岩だらけだ。でも、この国では、そんなことお構いなし。腕(脚)に自信があれば、2,30メートルの岩壁を飛び降りてもいいし、木々の間の新雪の急勾配をすっとばしてもよい。これが熟練者コースである。
最初に言ったように、みんなヘルメットをかぶっている理由はここにある。しかし、相当危険なのだろう、救急搬送されるスノー・ボートを目にするのは稀ではない。といっても、初心者でも頂上まで上がれるのがうれしい。
どこへ登っても、大きく表示された四つのコースを、自分の技術に応じて滑れば良いのだから、下手は下手なりに結構楽しめる。 ここで、すこしウィスラーの歴史にふれる。古くは、19世紀以前のゴールドラッシュ時代からこの地に入植が始まったらしい。
しかし、本格的なリゾート地としては、1960年代に入ってからで、意外とその歴史は浅い。現在では、北アメリカを代表する山岳リゾート地に発展したのだ。

ウィスラーという名称もそう古くはない。
今のウィスラー山は当時の開拓者の間ではロンドン山と呼ばれていたという。ウィスラーの命名の由来は、この山に多く住むマーモットというリスよりかなり大きいげっ歯類動物による。彼らは、お互いの連絡に鋭い笛(whistle)のふくような鳴き声をだす。そこから、ウィスラー山(笛を吹く山)という名に変わったのだと教えられた。


それはともかく、六年後に、世界の一流選手がその技を競う斜面を,自分が滑り降りたのだと思うと、何か偉くなったような嬉しい気持ちがした。
その頃、80歳になっている僕はもう一度、このゲレンデに立つのを夢に見る。その為には、日々これ鍛錬に怠りのなきよう精進しなければならない。


        16.12.26
 
写真だけをじっくり鑑賞する?(別窓開きます)


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