〜コラム〜   

2007年06月03日 歯医者さん

歯医者さんへたまに通う。歯にトラブルがある時に行くのだが、あの「キーン」の音は今でも好きになれない。少年の頃、虫歯ができると「甘いものばかり食べるからだ」とか「言うことを聞かないからだ」と言われた。そして「厳しい先生の所で診てもらえ」などと子供にとって辛いことを聞かされた。病院に着くと、あの「キーン」の音と、診察を受けている他の子供の泣き声と先生の厳しく叱る声が、尚更気持ちを萎縮させるのであった。歯医者通いのときは正に気持ちはブルーであり、到着してドアを開ける前に一人気合を入れ、診察の苦痛に耐えていたのだ。そしてようやく通院が終わるといった時は、天にも昇る気持ちだった。

7年くらい前だっただろうか。奥歯が痛くなった。どうにも我慢できなくなり、知人に紹介をしてもらった歯医者さんへ行った。ドアを開けるとあの音が聞こえる。嫌であったが歯痛のほうが辛いので逃げ出さなかった。レントゲンを撮ってもらうと下の奥歯の左右に親不知があるという。一番奥の歯を押し込むように生えており、これが原因だという。先生曰く、「残念ですが、ここまでくると抜くしかありません」といったことをいわれました。覚悟を決めてその後何回か通院し、無事抜歯を終えた。
その歯医者さんは怖くなかった。むしろ親切丁寧な対応であり、入口で気合を入れるおまじないが必要無いと悟った。助手の女性も優しかった。これは僕が大人だから、子供のときに受けた扱いと違うのだなとも思ったが、実際にこの病院に通院する子供にも優しく接していた。

昨日、知人がやっている歯医者さんへ行った。こちらでもとても親身になって診ていただいた。患者一人一人によって症状が異なるので、その人に合ったメニューで進めて行くという姿勢が感じられ、患者としても納得し安心できるものでありました。他の患者さんで子供さんが診察を受けていたが、子供を叱り付けることなどなかった。聞こえてくる声はとても優しかった。


僕が子供のころに受けたあの恐怖の診察は何だったのだろう?先生の人柄なのか?それとも自分の思い込み?でもきっと歯医者さん自身も、患者へのサービス改善努力をされていることなのだろう。


子供の頃僕もこういう応対をしてほしかったな。




そう、歯磨きについて指導をいただいた。
実は通院前に歯磨きをして何も食べずに来たのだが、手鏡を持たされて歯を見つめる。金属の先のとがったので歯茎のあたりを少しこすられただけで、あら不思議。歯垢が出てくる出てくる。さすがプロですなと言いたいところだが、これは歯ブラシで十分磨けるものだそうです。つまり磨き方が悪いということでした。

どうしても力任せにごしごしとやってしまいがちなのですが、1本ずつに軽く当てストロークを短くブラシするのだそうだ。磨き終わったあと、口の中がとても気持ちよかった。歯もつるつるである。
誰でも一度は、歯医者さんで歯磨きをトレーニングしてもらう必要があるのではと思った。

8020運動というのがある(らしい)
待合室のポスターに書いてあった。
80歳まで自分の歯を20本保とうという趣旨の運動らしい。具合が悪くなってから歯医者さんに通うのではなく、悪くならないように普段から気をつけよう。そのためには正しい歯磨きは欠かせないですね。

みなさん。歯医者さんは怖くありません(笑)
勇気を出して行ってみましょう。



2006年08月15日

昭和二十年八月十五日に日本は敗戦し戦争が終わった。その22年後に僕は生まれた。
小学校の時に何度も戦争の話を聞いた。空襲の話、食べ物が無かった話、親兄弟が招集された話、自由にモノが言えなかった話などなど・・・

子供の時の思い出。

夏休みの暑い日、蝉がミンミンと鳴いている。おもてに遊びに行きたいが、宿題があり母親の顔色をうかがいながら過ごしていた。テレビ番組は戦争関連の特集を組み戦争の悲惨さを伝える。そしてその日は高校野球のテレビは正午のサイレンと黙祷を伝える。
そして、ゆっくりとこの日の時間は過ぎていった。
テレビはまたいつものような番組に戻った。

誰もが辛い戦争を思い出したくないのだろう。でも年に一度やってくるこの日。
こんな辛い結果になる戦争なんて嫌だって思った。
そして、戦争に備えることの全てが悪だと思っていた。


大人になって

しかし、何故戦争になってしまったの?っていう疑問があった。どんなに争いは嫌だと言ったところで、攻められたり、不合理な要求を突きつけられれば、争いになってしまうのだ。そして勝ったものが支配するものなのだ。こうして戦争が起きてしまうのだと思うようになった。

抑止力という意味で軍事力は必要、でも軍に参加するのはイヤ。これが今の日本なのかな。僕も同じかな。

61年前の終戦以来、戦争に巻き込まれていない国、日本。平和ボケという言葉が生まれて久しい。ノーテンキに生きている。これでいいのだろうかと思いながら毎年誕生日を迎える。




2006年07月02日 復職

昨年7月1日付でN社へ出向していたが、今年7月1日付で、元のK社へ復職することになった。ちょうど365日。N社の方々には大変お世話になった。数々のチョンボにも目をつぶっていただき、本当にありがとうございました。多くの現場を見せていただき、たくさんの方々と知り合いました。この期間の体験は私の貴重な財産です。
お酒をいただく機会が多くあり、昨年のコラムに望むところだと書いたが、皆様予想以上に強くこちらは「参りました」と言っておこう。
予想以上に飲めない自分に気付きました。お酒はほどほどに・・・これが、N社で学んだ最大の事です(爆)



2006年06月02日 深酒

6月1日に御茶ノ水に勤務箇所が変わった。N社へ出向してもうじき1年になす。
昨日、社員食堂で担当部署の方と飲み会をした。社員食堂はアフター5にはお酒を扱い、社内外の人に利用されている。生ビールで始まり、芋焼酎なんかを調子よくいただいた。

目が覚めた。電車の中。その駅は小田急線の唐木田だった。小田急多摩線の終点。小田急線に乗った覚えは無い。何故、ここにいるのかわからなかった。
記憶が途切れている。食堂でお酒を飲んでいたところから記憶がない。
きっと、千代田線直通の常磐線で帰るつもりだった。ところが眠ってしまい、我孫子あたりでの折り返しにそのまま運ばれてきたのだろう。千代田線は代々木上原で小田急と乗り入れをしている。その流れできっとたどりついてしまったのだろう。

松戸まで帰らなければならない。時刻表を見ると電車は終わってしまっている。タクシーで松戸まで帰ると大変な金額になる。仕方なく、タクシーで近所の健康ランドへ連れて行ってもらい、そのまま雑魚寝の部屋へ入る。

気持ちが悪く、起き上がるのも一苦労。便所で戻してしまった。

久しぶりに大失敗をしてしまった。お酒はしばらく要りません。しかし、弱くなったなあ。



2006年02月18日 ソウルフード

ソウルフードといえば石焼ビビンバでしょうか。ソウルへ行ったときには・・・・・っていうぼけた事をとりあえず書いておきます。(そりゃ韓国のソウルだろってか)←もう言い古されている!
初めて海外旅行へ行ったのは韓国です。そう15年前。とても印象に残っていて今でも好きな国の一つです。当時は韓国なんてあまり興味を持つ人がいなかったのですが、「冬ソナ」ブームを機に今では旅行者や韓国語を勉強する人がとても増えているそうです。

さて、本来のソウルフードですが、横浜出身の僕にとっても崎陽軒のシウマイ。これはやはり横浜の定番としてはずせません。そうそう、崎陽軒の「シウマイまん」が好きです。販売箇所が限定されているため、あまり売っていないみたいですが食べてみてください。
それから、スガキヤ。「寿がきや」って書くのかな?ジャスコの最上階にある飲食コーナーにあった。そうラーメンが安かったのを覚えている。
名古屋で学生やっていた時、スガキヤが名古屋のメーカーであることを初めて知った。スーパー内の店舗だけかと思っていたが、普通に店舗を出しているのを見て驚いた記憶がある。
それから、ういろう。青柳と大須があるんですよね。
CBCラジオの15時の時報後に「わーい3時だ!大須ういろの時間だ〜!」っていう定番のコマーシャルを思い出します。
「味噌カツ」に初めて出会ったのも名古屋。初めて聞いたとき何て気持ち悪いものなんだろうって思いました。だって普通「豚カツ」といえば「豚」だし、「チキンカツ」といえば「鶏」でしょ。「味噌カツ」だから「味噌」にコロモを付けて揚げている物だと信じて疑わなかった。そんなもんを名古屋の人は食っているのかと・・・・
ある日、知人が食っている味噌カツをちらりと見て、「味噌」が揚げてあるのではなく豚カツに味噌ダレがかかっているものを「味噌カツ」という事を初めて知りました。一口貰って食ったら、あら不思議。これうまいじゃないの!それから、病み付きになりましたよ。

数年前、東京でも「山本家総本家」や「矢場とん」やらが出店したりと名古屋が静かなブームになっている。初めて名古屋ライフを満喫したのは20年前。

韓国といい名古屋といい、世の中の流行は小生より10数年遅れているのではないか?なんていう勝手な考えを起こしている江戸ピン青年でした。チャンチャン♪
ちなみにそういう計算でいくと、次の流行は「なぎら健壱」さんです。(爆)



2006年01月08日 洋食屋さん

 スパゲティやハンバーグ、オムライスといったといった食べ物が好きだ。下宿していた学生の頃、友人宅の近所に洋食屋ができた。友人の所へ行くたびによく通った。そのお店のマスターはホテルのコックから独立した人で、喫茶店や定食屋の食事に辟易していた僕は、その美味しさに虜になってしまった。
 そのお店で夏休みにアルバイトで働いた事がある。働いたといっても皿洗いやホールだけであるが。オムライスを作るマスターのフライパンの手つき。何の狂いも無く、いとも簡単に卵に丸まっていくチキンライスを見てすごいなあと思っていた。どうやれば上手くいくのかと訊ねたのだが、「こういうふうに返して〜」と実践してくれるのだが、家に帰って自分でフライパンを返しても上手くいかなかった。
 ハンバーグのミンチを両手でキャッチボールのようにパチパチと投げて、フライパンでジュッとやくところなど、間近で作っている姿を見てかっこいいと思った。小さい時にいろんな職業に憧れたけど、コックもその1つだった。
 卒業前に最後に訪れた時、マスターは店で一番高いメニューのステーキをご馳走してくれた。「頑張るんだよ!」と帰り際僕と友人に言ってくれたのを覚えている。卒業後に何度か名古屋へ行ったが、そのたびに遊びに行き懐かしい味を堪能した。
 その何年後だろうか、お店を移転したとのハガキをもらい、遊びに行ったことがある。久々にお会いするマスターは、店に入ったときに一瞬僕であることに気がつかなかったみたいだった。久しぶりにマスターのハンバーグを堪能した。でも、マスターがなんだかとても痩せていたのを覚えている。

一昨年だったか昨年だったか、名古屋へ行く機会があったので、マスターの店に寄ってみた。お店はあるのだが看板が代わっており、知らない人が経営していた。移転したのだろうか?また、あの美味いハンバーグが食べたいです。東京へ来て以来、マスターの味を超える洋食に出会っていない。アンドウさん。今どうしているんですか?



2006年01月04日 新年

出向して初めての新年を迎えた。暦どおりのお休みだったので、年末年始を仕事せずに過ごした。毎年、仕事で「出」になっていたが、「休み」に戸惑いを感じてしまうのは悲しい性なのか?特にやる事も無く、実家でだらだらと過ごしてしまった。
さて明日から出勤。新しい気持ちで行かなければ。
「行動力」「直感力」「チャレンジ精神」
今年のテーマはこれで行こう。でも高田渡「ブラブラ節」にならないようにしないとね。



2005年12月03日 外泊

飲み会があった。だらだらと飲んでいるうちに酔ってしまった。自分では大丈夫なつもりでいても、体がいうことをきかなくなっている。二件目で沈没する。
店を出た記憶が無い。そして知らないところで目覚める。ビックリした。店のご主人が近所のビジネスホテルに連れてきてくれたのだろう。
しかし、まったく覚えていないとは・・・・・・
お酒はほどほどにしておかなければ。
最近気づいた事。
お酒に弱いということ。
飲むのは好きだけど、決して強くはないのですね。



2005年06月25日 内示

 一昨日であるが会社で内示を受けた。現在取引をしているN社への出向というものだ。1年か2年ということだ。この日の夕刻、複数の上司と人事担当者と共に、N社を訪問した。7月1日に発令となるので事前打合せを行う。
 人事交流としてN社へ行くのは僕が始めてだ。日頃から仕事の上でお世話になっているので、担当者の方などよく存じ上げているが、先方の社員として働くことに、ちょっと戸惑いを感じる。制服のサイズ合わせを行う時、複雑な気持ちになった。
 僕の使命は、体験を通じ先方の現業最前線にいる部門の人たちを知ること。これにつきるのかな。我社との今後の取引をしていく上での、より円滑な業務が出来るようにすること。そのためには、酒が飲めなければいけない(笑)
 先方は当社以上に飲み会が多いと聞く。望むところじゃないか。



2005年06月19日 ホットドッグ

ふと、ホットドッグを食べたくなった。モスバーガーへ行き、プレーンドッグを食べた。トーストされたパンにソーセージがのり、ケチャップとマスタード。それに微塵切りのタマネギである。齧ったときの、ソーセージとタマネギの歯ざわりがなんともいえない。
余計なものはいらない。付けない。これだけでいい。っと思う。

生まれて初めて食べたのは、小学3・4年の頃だ。スイミングの帰り、駅のスナックコーナーだった。あの時のホットドッグは、パンの真ん中の切り込みに繊切キャベツとウインナーが乗っただけのもの。オーダーが入ると店のお姉さんが電子レンジで30秒くらい温めて出してくれる。これに、テーブルに置いてある赤と黄色の専用ボトルに入っているケチャップとマスタードをつけて食べるのだ。これで100円だった。

自由につけられるもんだから、ケチャップをパンが見えなくなるくらい塗りたくっていた。マスタードはとても辛くて、チョッとだけしかつけなかった。自分で自由につけて食べるというスタイルがとても新鮮だった。そして、こうした店で食べていることがすごく大人になったような気がした。

あれから30年か?今はこのスナックコーナーは無い。あの時いたお姉さんは、今でもお姉さんだろうか?一緒にスイミングに通ってた友達のT君は今どうしているだろうか?

また、あのホットドッグが食べてみたい。決して食材が吟味されていたわけではないだろうが、なんだか旨かった。また、どっぷりと自分でケチャップをつけて、それとチョッとのツーンとくるマスタードで食ってみたいなあ。



2005年04月16日 訃報

フォークシンガー高田渡さんの訃報を聞いた。
えっ?て思った。
高田渡さんを知ったのは、高校の時、1枚のレコードを聴いてから。時代を風刺する歌詞の内容に随分とショックを受けた。初めて氏をステージで見たのはそれから10年後くらいだろうか。吉祥寺のバウスシアターというところでなぎらさんのコンサートで。ステージそでから出てきた氏は、ヨレヨレの服で髭もじゃで????って感じたのが第一印象。お酒を随分召し上がっていらっしゃったのだろう。
体調を崩されて入退院を繰り返したり、禁酒を行ってなぎらさんを驚かしたりなど、とにかく渡さんがいると、みんな世話を焼いて、ペースを合わせざるを得ない、でも憎めないみたいな感じのひとであったと思う。その人の歌のメッセージというのが小さく、そして強く心を震わせていた。
もう、聞けないと思うととても寂しい。
ご冥福をお祈りいたします。



2005年04月09日 春

ここ数日で、ほんとうに暖かくなってきた。電車もクーラーを入れている。コートは必要なくなり、クリーニング屋さんは、冬物を預けるお客さんの対応に追われている。春だ。そう、また春がやってきた。

年度の初めである4月。組織である会社は、人の出入りが多くなる。フレッシュマンの初々しいスーツ姿と、長年の勤めを卒業される大先輩。僕も1年に1歳ずつ年齢を重ねています。あっという間にお盆休みを向かえ、食欲の秋になって、元旦を迎える。悔いのない時間を過ごそう。食べて、飲んで、旅して、、、(それだけか?)



2005年03月23日 年度末

残すところ、8日になってしまった。会社も決算に向けて数字に必死だ。
また、人の動きも多くなる。新期で採用される人もいれば、社を去る人もいる。
後輩が3月いっぱいで辞めてしまう。残念だが考えるところがあってのことらしい。
いろんな困難に出会うであろうが、逆境に負けない人になろう。

只今、逆境に負けない人になろうキャンペーン実施中。



2005年03月06日 床屋

いつもの店へ行く。引越しを重ねると床屋も探さなければならない。昔の行きつけに通えば良いが、わざわざ時間をかけて行くのも面倒なので、飲み屋と同じように自分にあった床屋を探すのも楽しみみたいなものだ。今の店は自宅近所にあり、2年くらい前にリニューアルして、おばさんと若い兄さんがやっている。

僕が床屋に好んで行くようになったのは中学2年の時だろうか。かつては床屋に行くのが嫌いで仕方なかった。じっとしていることが辛かったが、一番嫌だったのは床屋の主人が子供だと思ってカラカイ半分の態度をとることだった。

中学2年の時、その床屋が急に引越してしまい、居抜きで別の経営者が営業を始めた。いつものように仕方なく床屋のドアを開けると、いつもと違う主人がそこにいた。言葉遣いも中学生であった僕にも丁寧であった。かみそりを当てる前に、湯に浸しヒヤッとしないようにする気遣いなどすっかり嬉しくなった。ヘアトニックをつけてよろしいでしょうか?なんて言われてなんだか急に大人になったような気がしたのを覚えている。

暫く前からご主人は体調をくずされ、今は残念ながら営業をやめてしまったが、客が納得する仕事をするいい店だった。

最近、短時間で安価にやる床屋があるが、僕は行かない。人それぞれ価値観が違うので、良し悪しの判断はできないが、やはり時間をかけて丁寧にやってくれる床屋でやってもらうのが好きだ。
今通っているお店もそうだが、こうした店にこれからもがんばってほしい。僕も通い続けようっと。



2005年03月03日 開店

知り合いの松本さんが、ご自宅に寿司屋さんを開店された。先日案内のはがきが届いた。昨年まで、蕨の店で働いており、埼玉県の吹上町から毎日1時間以上かけて通勤されていたそうだ。一度訪れてみよう。

蕨とはコンセプトが違うこだわりの店だと思う。楽しみだなあ。



2005年02月23日 腰痛

昨日朝から急に腰痛がはしる。
朝、起きようとしたが、痛くて容易に起き上がれない。起き上がっても前へかがむことも出来ない。そんな状態で出勤した。いつものように動けず、痛みとため息ばかり。一日た経てば治ると思っていたが、結局変わらず。あんまり痛いので、病院に行った。
総合病院の整形外科にかかり、レントゲンを撮った。
幸い背骨には異常なく、ヘルニアとかではなかったので安心した。急性のぎっくり腰とのことだった。
シップと痛み止めのクスリを処方されて診察は終わった。しかし、、、ぎっくり腰とは、、、、歳なんだなあ。



2005年02月21日 待機電源

最近、節約生活に関するホームページを見た。光熱費の部分で、電化製品の待機電源が結構食っているとのこと。
その都度、コンセントをはずせば良いのだが、そんな面倒なことはやってられない。
コンセントにスイッチをつけておけば良い。
スイッチの付いたタップが売られているが、結構高いので、コードとスイッチを秋葉原電気街で買って作ったものを使用している。
効果の程は?
でも忘れちゃうんだよね。消すの。要は自覚の問題なんだね。



2005年02月18日 電話番号

バスの中で、携帯電話がポケットに入っていないのに気がついた。どこで忘れたのだろう?さっき飲んでた店だ。電話をしようにも携帯がない。バスを降りて公衆電話から電話をしようにも、番号がわからない。104で訊くが、登録されていませんという答えが返ってきた。今日の足取りをたどり、職場まで帰ってみた。机に入っていた。安心した。
しかし、携帯電話無しにはいられない生活にどっぷりとはまってしまっている。頑なに所持しなかった友人のショーホー君もついに手にしたようだ。世の中便利になって、それに慣れてしまうと、イザというときに大変なことになる。気をつけよっと。





2005年02月15日 ワイン

最近、ちょっとワインをたしなんでいる。決して通なんかではない。はっきりいって銘柄の知識なんか皆無である。上野駅のワイン店で、店お薦めのワインと、チーズ、クラコットを買って、家で一杯やる。
昔は、ワインで悪酔いしあまり好きではなかったのだが、嗜好が変わったのだろうか?
そういえば、最近食も細くなった。昼食は弁当で十分だし、夜もバカみたいに飲まなくなった。やっぱ歳なんだなあ。最近自分の頭髪を鏡で見ていて白髪が確認できるようになった。いつまでも青年ではいられないんだなあ。



2005年02月14日 救急車

13日の夜(正式には14日早朝)帰宅した。ちょっとお酒を飲んでいたので遅くなり、JR松戸駅よりタクシーで帰宅した。タクシーを降りると赤色灯のチカチカが目に入った。僕の住んでいる団地の前で救急車が止まっている。良く見ると隣の階段に済む僕の隣部屋の住人宅だ。幼い子供がいるのか、いつも駆けずり廻ったりととにかくウルサイにはうるさかった。それをたしなめる母親の声が聞かれた。
救急隊員が階段を下りてきて、その後に子供たち二人が抱えられて救急車に乗せられて行った。深夜に大変だ。
風邪をこじらせ発熱でもしたのだろうか?
隣の住人と顔をあわせたことは無いが、最近良く聞く嫌なことが原因でなければいいが。



2005年02月12日 携帯電話

携帯電話を初めて使ったのは平成3年の春だった。
自分のものでは無かったが、当時の機種はお酒のビンの大きさくらいではなかっただろうか。料金も驚くほど高く、とても簡単に“携帯”できる代物ではなかった。
自分の携帯を持つようになったのは平成7年。家電量販店で販売されるようになり、先輩が買った翌日に僕も真似して買ったのを覚えている。当時、会社の単身寮に住んでいて、自室へのNTT回線の引き込みを禁じられていたこともあり、自分専用の電話が欲しかったのだ。着信専用にと思い、基本料金が一番安い契約をしていた。その電話機はアナログ式で、お酒のビンまではいかないものの、缶コーラくらいの大きさだった。でも、初めて使った携帯よりもはるかに大きさや料金は使いやすかった。

あれから8年経った。今ではアナログからCDMA1とい方式に変わり、機能もいっぱい付いている。大きさも折りたたみ式になり、胸ポケットに仕舞えるようになった。料金もリーズナブルになり、益々利用者に便利になってきている。替わって公衆電話が減っている。そりゃそうだ。わざわざ公衆電話を探さなくても何処でも掛けられるのだから。上野公園のテレホンカードを売っていたイラン人はいつ頃から姿を消したのだろう?そう、テレホンカードもICのカードが出来てそれがまた無くなると言う。次から次へと変わり行くのは本当に早い。

一昨日、実家に帰っていて両親に携帯電話を買ってあげた。正月に帰ったとき「基本料金ってどれぐらいするんだい?」ってしきりに聞いていた。特に頻繁に通話する訳ではないみたいだが、外出先でシルバーライフを謳歌する二人にとって、あって不便なものではない。持てる金額であれば欲しかったのだろう。確かに家族割引なるお得な料金設定を活用できるので負担はそんなに大きくないのだ。

ショップで新規の申込を行い、小一時間で設定をしてもらった。払ったお金は1円。キャンペーンなんだろうか、うんと安い。もっとも最新の機種なんかではないが。また下4桁番号も希望することが出来る。
父親が一言「ずいぶん簡単に電話がもてるようになったなあ。昔は電話を引くといったらそりゃあ大変な手続が要ったのに。しかも番号まで選べるなんて」
携帯を手にしている僕でも変わったと感じるのだから、その驚きも当然であろう。

あとは使い方を覚えてください。昔と違って交換の人を呼び出すんじゃありませんからね。まあ、そこまでは古くないか。








年月日 出向

7月1日付けで出向となった。
辞令は

総務部勤務を命ずる
就業規則第○○条により休職を命ずる
N社へ出向を命ずる

となっている。

発令上は「休職」なのだ。「求職」ではなく「給食」でもない。

1年間、N社の現業機関を実習させていただく。先ず始めは練馬にある流通センター。取引先が期日に商品を正確に納品するのは「当たり前」と思っていたが、その「当たり前」を実現させるための取組を目の当たりにしている。機械で処理できるものと、人間がやらなきゃ駄目なものと、、、、、それを分けるのは人間だから、人間が頑張らないとお話にならない。

たくさんの方から励ましの言葉をいただきありがとうございました。
来年6月までの長丁場でありますが、じっくり実習してまいります。