酒転童子の生い立ちと周りの出来事
(上から順に読んで下さい)
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*生まれと育ち
北海道旭川市で生まれ育つ。
俺が生まれた時代、ほとんどの家庭、というより日本そのものが貧乏だった。
敗戦後すぐのことで、みな食べるのがヤットの時代だった。
ところがである。 我が家には当時庶民が口にする事ができない食べ物がたくさんあった。
チーズ、バター、コーンビーフ、チョコレート、ジャム、マーマレード、蜂蜜、ホットケーキの粉、
トマトジュース、パインの缶詰、濃縮レモンジュース、ピーナッツバター、などなどである。
なぁ〜んでか? それはねっ、俺の親父が旭川市に駐留していたアメリカの進駐軍に勤めていたからだ。
親父は、車の修理工として進駐軍に雇われたのだ。 アメリカ軍が認める腕を持っていた、という事だ。
クリスマスツリーなんて、どこの家にも無い時代に、我が家にはそれがあった。
色とりどりの、まぁるい電球が点滅していて、幼いながらにきれいだな、と思ったものだ。
この時代の味で忘れられないものがある。 チーズとピーナッツバターの味だ。 本当に旨かった。
ところがである。 1952年(昭和27年)、進駐軍は引き上げた。
親父とお袋はこの時、再び敗戦を味わったのである。
なまじ贅沢な食べ物を口にしていたおかげで、辛酸をナメたと思う。
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*天文台
1950年7月15日、常磐公園に旭川市天文台が開設。
北海道開発大博覧会の目玉として、開設された。
市立の天文台では、日本で最初のものだ。
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*ゴジラ
1954年、ゴジラ日本上陸。
やっと復興のきざしが見えてきた東京を、再び焼き尽くす。
映画を見た時、本当の事かと思った。
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*オーロラ
1957年9月13日(金)、オーロラを見た。
いつものように、俺の家の目の前にある石狩川の堤防で遊んでいた。
夕焼けになり 「そろそろ家に帰らないと」 と思いながらまだ遊んでいた。
暗くならないので、「きょうの夕焼け、ずいぶん長く続くなぁ」 と思いながら空を見た。
呆然とながめてしまった。 北から西にかけて、空が赤紫色に染まっていたからだ。
山の稜線のあたりは明るい赤紫で、天頂近くでは暗くなり、空のインク色と溶け合っていた。
その時はオーロラだとは知らないので、「なんだ、この色???」
そのうち恐ろしい気持ちになり、「きょうの夕焼け変だ!!!」 と家に飛び込んだ。
すると晩酌をしていた親父がボソッと、「色がな・・・」
窓の障子が赤紫色に染まっていた。
翌朝、新聞を見ていた親父が、「きのうのあの色、オーロラだったんだ」
俺は絶句した。 「もっとよく見ておけばよかった」 と後悔した。
学校に行き、クラスのみんなに、「きのうのオーロラ、すごかったよな」 と言っても、見た奴は一人もいなかった。
今まで生きていて、あの時のオーロラを見た、という人に出会った事が無い。
2004年9月、旭川市図書館に電話をした。
1957年9月14日(土)の、旭川版の朝刊を見る事が可能か、たずねてみたのだ。
図書館の担当の方が、
「マイクロフィルムで保管してあるので、来館して頂ければ、プロジェクターで見る事ができます」
との事だった。
さっそく行ってきた。
担当の方が、マイクロフィルムをプロジェクターにセットしてくれた。
1957年9月14日の部分まで、探してくれた。
旭川市天文台が発表したオーロラの記事があった。 うれしくなって、コピーをもらってきた。
コピー代が10円の、俺の宝物だ。
もう一度、オーロラを見たいものだ。
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*テレビ
1959年春、我が家にテレビがやってきた。
親父が借金して買ったものだ。 当時の皇太子の、結婚式のTV中継を見たくて買ったのだ。
我が家の経済状態では、超超贅沢品だった。
テレビが来てから、ほとんど行かなくなった場所がある。 それは映画館だ。
それまで毎週行っていたのに・・・。 もちろん封切館じゃないけどね。
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*時代劇
1963年、TV時代劇の傑作 「三匹の侍」 が始まる。
演出は、当時まだフジテレビの社員だった、五社英雄である。
今観ても、おもしろいと思う。
1980年代のいつ頃だったか、NHKの教育で放映した事がある。
観ていて、「どうして今こういう時代劇がつくれないんだ?」 と思ったものだ。
1998年、三匹の侍の原作本が復刻された。 もちろん購入した。
完本 三匹の侍 : 細野耕三 著 : あきつ出版株式会社 である。
あまりのおもしろさに、一気に読んだのだが、翌日また最初から読んでしまった。
こんなことは、池波正太郎 以来のことだ。
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*科学館
1963年11月3日、旭川市青少年科学館がオープンした。
目玉はプラネタリウムだ。 地方都市にプラネタリウムを備えた科学館があるのはめずらしい時代だった。
プラネタリウムにはしょっちゅう行った。 しかしニセモノの星空に夢中になるなんて、なんか変だと思う・・・。
2005年1月30日、旭川市青少年科学館が閉館した。 新しい科学館ができるのはうれしいが、さみしさも感じる。
前日の1月29日(土)、デジカメをぶら下げて科学館に行った。
2階の事務所に行き、写真を撮ってもいいかたずねた。 「どうぞ」と言ってくれたので、「ホッ」とする。
展示物を撮影しながら、「この科学館をそっくり新科学館に展示すればいいのに」 などと、バカな事を考える。
プラネタリウムも見学した。 子供の頃、この星空に夢中になったのである。 今見てもスバラシイと思う。
このプラネタリウム、旧東ドイツ・カールツアイス製のZKP-1型で、名機の誉が高いものだ。
41年間ありがとう、ご苦労様でした。
2005年7月23日、ついに旭川市科学館が新装オープンした。
プラネタリウムは、カールツアイス製の「スターマスターZMP」だし、天文台だって二基備えている、優れものの科学館だ。
さて、俺はいつ行こう。
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*寄席
高校の修学旅行の時、東京での自由時間に、上野の鈴本演芸場に行った。
三平、小せん、馬生、などなど、「生の落語、なまら面白いしょ」
なまら : 北海道の方言で、すごく、の意味。
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*動物園
1967年7月1日、旭川市に動物園がオープンした。
日本最北の動物園、「旭山動物園」だ。
ジェットコースター等も追加されて、そこそこ人気があった。
ところが・・・ま、色々あって、入場者数は下がる一方だった。
現園長が園長就任のずっと以前に、各町内の集会場で、動物たちのスバラシサについて講演をしていた。
たしか1984〜5年頃だったと思う。 客足を取り戻そうとしていたに違いない。
俺もここの町内の集会場に来られた時、幼い息子の手を引いて、聴きに行った。
ゾウの病気の話、オオカミのお父さんの話 等等、日々動物達と接している内容の話だった。
特に、オオカミのお父さんの話には、感動した。
こういった事の積み重ねが、あの「14枚の素描」につながったのだと思う。
この14枚の素描(14枚のスケッチ)を基に、ここ数年の関係者の努力で、動物園が大変貌を遂げた。
そしてナント、2004年7月、8月の月間入場者数が、日本一になったのである。
俺が日本一になった訳ではないのに、なぁ〜んかうれしくなるのはナシテなんだべ?
おそらく、園長の講演を聴いていたからだと思う。
2005年8月7日には「くもざる・かぴばら館」がオープンした。
2006年には「チンパンジーの森」ができる。 実に、うれしい事だ。
旭山動物園は、いったいどこまで進化するのだろう???
なして : 北海道の方言で、どうして、なぜ、の意味。
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*歩行者天国
1969年8月6日〜17日の旭川市夏祭り期間中、平和通りから車を追放し、歩行者天国を実施。
旭川市民は、少なからずオドロき、拍手パチパチしたものだった。
評判が良かったため、1972年6月1日から恒久的に車を追放、買い物公園がオープン。
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*自動二輪免許
1984年、中型バイクの免許を取得した。
自動車学校の教官がこう言った。
「いい歳ぶっこいて、なしてバイクに乗りたいの?」
俺は答えた。
「釣りの時、川原をバイクで移動したら、楽チンでないかい」
教官が言った。
「それ、いいっしょ」
バイクの面白さは、乗ったモンにしかわからない。
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*公園
1989年(平成元年)、旭川市常磐公園が「日本の都市公園100選」に選ばれる。
この常磐公園、1910年(明治43年)に開設された。
旭川市で一番最初の公園だ。
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*禁煙
1990年の夏、禁煙をした。
俺は、一日に60本の煙草を吸っていた。
いわゆる、ヘビースモーカーというやつだ。
数日の連休の初日、「明日から煙草をやめよう」 と思った。
ま、理由は色々ある。
「明日から煙草をやめるので、今日は100本吸おう」 と思い、朝起きてすぐ、コンビニに行った。
5箱の煙草を買ってきた。
一日に100本の煙草を吸うというのは、煙草が短くなるとその火で新しい煙草に火をつける、という事だ。
家には子供達とカミさんがいるので、ベランダで吸いまくった。
さすがに、飯の時は吸わなかったが、晩酌のウヰスキーを飲む時は吸った。
もちろん、ベランダで。
ウヰスキーを飲みながら、80本をクリアした。 「あと20本か・・・」
酒転童子をしながら、まさにモクモクと煙草を吸った。
92本目だったか93本目だったか、急に気持ちが悪くなり、トイレに行って反吐を吐いた。
トイレから出て、残りの煙草を握りつぶし、ゴミ箱に捨てた。
せっかく飲んだウイスキーも吐いたので、少し飲み直し、寝た。
翌朝目が覚めた。 気持ち悪くて目が覚めたのだ。
あきらかに、二日酔いの気持ち悪さではないのである。
試しにゴミ箱から煙草を出してみたら、マスマス気持ち悪くなった。
気持ち悪さが3日ほど続いた。
禁煙に成功した。
禁煙するには、煙草をやめてはダメである。 吸って吸って吸いまくる事だ。
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*禁酒
禁煙ができたので、同じ方法で禁酒もできるのではないか? と考えるのは自然な事だ。
やってみた。 ウヰスキーを飲みまくった。
当然、翌朝は二日酔いである。 迎え酒は肝臓に負担をかけるらしいので、やめる。
しかし、いつもの飲む時間が来ると、ダメであった。
どなたか禁酒の方法、教えて下さい。
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*CAD
1994年、CADと出会う。
それまで俺にはパソコンがあてがわれてはいなかった。
図面をワープロの「図形」を使って作図していた。 ウソみたいな話だ。
CADを使ってみると、スイスイ作図できるので、おどろいてしまった。
これなら遊びに使える、と確信した。
このHPの図は、暦をのぞいて1994年〜1996年ぐらいに作図したものにチョット手を入れたものだ。
もちろん、新しいものもある。
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* HP(ホームページ)
俺がHPを作りたいなぁ、と思ったのは2004年2月の事だった。
即、HPを作るソフトを買った。 攻略本も・・・。 そして挫折。
別の攻略本を買って、また挫折。 違う攻略本を読んでまたまた挫折。
ある日、TVの番組表を見ていたら、NHKの教育で、「ホームページをつくろう」と言う番組を見つけた。
あわてて、テキストを買ってきた。
とってもやさしい!中高年のためのパソコン講座 ホームページをつくろう:日本放送出版協会 だ。
おかげさまで、2005年1月22日に、記念すべきトップページを転送する事ができた。
HPを開く事ができた時、最近味わった事のない、うれしさが込み上げてきた。
実に、HPを作ろうと思ってから、11ヶ月もたってからの事だった。
2ページ目も、1月30日に転送ができた。
トップページからリンクできた時は、拍手パチパチものだった。
と言う事でこのHPは、NHK教育が用意した、一番簡単な作り方で作ったものだ。
情けない、と言えば情けない事に違いない。
しかし・・・です。 俺の年齢が、「こんな時代によくぞ間に合ったものだ」 と 本当につくづく思います。
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*ドクターストップ
2005年7月23日(土)の朝、腹が痛くて目が覚めた。
実は数日前から痛かったのだが、ウヰスキーで誤魔化していたのだ。
それがついに、誤魔化し切れなくなったのだろう。
病院に行った。 血液採取、レントゲン、超音波、CTスキャン、等々を行った。
結果、肝臓が肥大しているんだそうだ。
肝臓はもの言わぬ臓器と言われているが、俺の肝臓は悲鳴を上げた事になる。
先生が言った。 「お酒を飲んではいけません、死にたいのなら別ですが」
数十回はオーバーだが、十数回は聞いてきた、なじみの言葉である。
禁煙は一回しかできなかったが、禁酒は十数回もの経験がある。
ま、それだけ簡単な事だ、と言うことだ。 ただ、どのぐらいの期間続けられるかが問題だ。
しかし肝臓が痛くなるのは初めての事なので、正直ビビっている。
この日は点滴を打ったのであるが、「明日も点滴を行うので来るように」 と言われた。
明日は日曜日である。 打ちに来いと言う事は、そうとう悪いと言う事なのか???
ウヰスキーをマイナス20℃に冷やし、グラスに注ぐ。 ウヰスキーが注がれた部分のグラスが凍る。
そのウヰスキーを喉に放り込む。
ウヰスキーの粘度が上がっているので、喉にまとわり付くが、すぐに飲み込む。
そうしないと、喉が凍傷になるのだ。
ウヰスキーがゆっくり食道を通過し、胃に落ちて、冷たく熱い感覚が広がる。
至福の時である。
いつになったら、またこんな飲み方ができるのだろう。
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shutendohji