▽8/11(その2)

「にく、ニク、にク、肉、肉の市」
モンタッキーでは久々に、鳥の肉というものを食べた。
昼食後は古くからある市場に買い物に行った。
新参のマーケットなどどはまた一味違う場所である。

とにかくスリに気をつけろ、ということで普段よりも
厳重に貴重品を保護する。私はウエストポーチに
財布を入れていたが、これを更に上着で隠し、
常にポーチに手を当てておく。モンゴルは治安状態は
それほど悪いわけではなく、大抵の場合日本にいる時と
変わらない感覚で町を歩いていても問題ないが
やはり市場などでは警戒は怠らない方がいいと言う。
特に、安全ボケして自己防衛の意識の低い日本人などは、
うっかりすると簡単にカモにされてしまうのだそうだ。

市場の古い建物は一つの広い空間で、雑貨や加工食品を
扱う店がひしめき合うように並んでいた。チーズを買った。
牧民が作って、町へ売りにきたものだという。これがまた、
やたらにデカイ。通常の大きさの1/3ぐらいに切り分けしてもらって、
売ってもらった。この辺りの融通の加減が、いかにも市場である。
身振り手振りに、オヨネさんの簡単なモンゴル語の助けをもらって
コミュニケーションすることができた。

同じように棚を並べた店が並ぶ空間だが、その奥が
回廊のように繋がっており、通路に沿って店が並ぶ。
海賊版CDやおもちゃ、アイドルのブロマイドらしきものを
売っている店もあった。とても嘘臭い「なんちゃって」な
セーラームーンの変身アイテムなども売っていた。

その回廊の行き着いた先にもう1つ大きな空間があった。
ここはちょっと、外国人から観れば一種異様な空間にも思えた。
体育館ほどある広さの空間に並んでいるのは、ほぼ全て
「肉屋」である。デカイ、切り分けしない肉から
すぐに使えるように切った肉、燻製した肉など、
ともかく肉のオンパレードであった。
モンゴルの食生活を象徴するような空間が、そこにあった。
鳥の卵も売っていたが、これがやたらに高い。
やはり貴重品なのだろうな、と思った。

帰りがけに知人に頼まれていたお土産、
モンゴルの新聞を購入した。幾つかの種類があるが、
全てキリル文字というロシア語譲りの文字で書かれている。
この国にロシアの影響力が強まるに従って、
普及するようになったのだと言う。
紙面全体がいかにもアメリカナイズされた雰囲気に
覆われていて、ちょっと情けなく感じた。

 

「失ったもの、取り戻す時間」
午後からは自由行動で、特に行き場所が指定されていたわけではなかった。
夕食までそれほどまとまった時間が用意されているわけでもないので、
手近に行ける場所でいくつかスポットを教えてもらった。電車に乗って
少し遠くに行く案もあったが、後から考えればこの案に乗ればよかった、
と思っている。私は音楽に関心が高いため、ウランバートルの楽団の
演奏会を聴きに行くことにした。しかし、これがなんとも中途半端で、
正直私には「つまらない座敷演芸」としか映らなかった。

最初に出てきたのはナゼだかヨーガのお姉ぇちゃん。
こんにゃくのように柔らかい体でヨーガの秘技(?)を
次々披露してくれる。ナゾである。
次に出てきたのは舞踏集団で、スピーカーから流れてくる
テープの演奏に沿って踊る。これまたなかなか達者な踊りである。
派手なハリボテのマスクを被った神様のようなモノも出てきた。
モンゴルだか中国だかよくわからない演出で、ナゾである。
そして最後にはメインの合奏団が出てくるのだが、
編成は、喉歌歌手に馬頭琴(チェロ&コントラバス)、
東洋風フルートに洋琴、そして二胡。これまた中途半端な編成で、
「ヨーロッパ音楽の影響を受けた中国音楽の影響を受けたモンゴルの楽団」
という、そのような説明しかできない。ナゾである。

演奏は上手だったし、踊りも綺麗だった。
しかしやはり、「これはホテルと同じや」という印象だけが残った。
要するに借り物の文化を格好だけ真似たような要素が色濃く、
なぜこういう編成でこういう演目を披露することになったのか、
そこに歴史的な背景、文化的な背骨というものが全く見えない。
単に、清朝の時代に「先進の欧州文化」を取り入れた
中国的欧州模倣文化がモンゴルの都市部にも流入したらこうなりましたよ、
というだけの、それだけの存在なのではないか、と思ってしまった。
公演が行われるホールも、立派であるが何の好奇心もそそらない、
薄ぼんやりとした印象だけが残る場所であった。

この後多少の後悔を引き摺りながら、サイトウさんとダザイさんに
合流して買い物に出かけた。ちょうど、先のスカイショッピングセンターで
フレムを1着しか購入できなかったので、国立デパートで是非もう1着、
と勇んで出かけた。ウランバートルの街中をゆっくりと自分の足で歩いたのは
この時が実は初めてだった。多少埃っぽいが、全体に道路が広くて
余りの土地も多く、さすがに街そのものの大きさにゆとりがある。
交通マナーはてんでなっていないのだが、全体にゆとりがあるので
あまりひどい事故にはなりそうもない。それでも、近代化に伴って
交通事故は増えているようである。

途中、スフバータル広場に寄った。スフバータルとは、
清朝の支配からモンゴルを開放し、独立を勝ち取った英雄である。
モンゴルの紙幣の絵柄は2種類しかなく、1つはチンギス・ハーン、
もう1つはスフバータルである。彼を記念した広場が街の一角にある。
スフバータルの銅像が建っているこの広場はとても有名だが、
その銅像の台座には古来からのモンゴル民族の文字で
文章が刻んである。おそらくは、スフバータルを称える文章でも
書いてあるのだろう。この、いわゆる「蒙古文字」を国語の文字として
学校教育の場などで復活させようとする動きが何度も出ているらしいが、
なかなかうまくいっていないようだ。共産圏時代に突入して以降、
モンゴルではロシアのキリル文字が公的な教育の場で用いられ、
蒙古文字は使われなくなってしまった。ほとんど駆逐されたような状態で
人々の生活から追いやられた蒙古文字を復活させることは、
想像以上に困難なことのようである。文化というものを
安易な気持ちで手放すと、その失ったものを取り戻すのに
大変な労力と時間、そして自らの文化への高い自意識と関心が
必要なのだと、改めて思い知った。大切なのは、失う前に
そうならないように守り継いでゆくことである。

この後、国立デパートでフレムを1着購入し、店内をウロウロする内に
ホテルへ戻る時間になった。ホテルへ戻ったら身支度をし、空港へ。
私たちが乗ってきた日⇔蒙直行便の、ちょうど1週間後の便で、
今度は日本へ帰る算段である。空港まではガナーさんが運転してくれた。
本当に長い距離をお一人で運転されて、おつかれさまでした。
空港にはホルルスラーさんとチムゲーも見送りに来てくれていた。
エルデネが来ることができなかったのが残念である。
彼らに別れを告げ、出国審査窓口を抜けると
出発の時間までロビーで待つ。ここで不思議に、費えたはずの
デジタルカメラの電池が復活したのでヤマトおかーさんの
購入された馬頭琴を撮影。

「お空の旅は、寒いわぁ〜。」

深夜のウランバートルを飛行機が発つ。出発の時刻には日付も変わっていたかもしれない。

 

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