0.周遊きっぷ
なんとなくカレンダーを見ていたら、海の日を含む3連休があることに気付いた。ちょっと山口県にでも出かけてこようかなと思って時刻表を開くと、JR西日本の未乗線に乗るのにちょうどよさそうだ。JR西日本はなぜか山口県内にだけ「未知の路線」が集中しているのである。思い立ったら行動は早い。早速ルートを決め、寝場所を電話で確保した。翌日、みどりの窓口で「津和野・秋芳・萩ゾーン」周遊きっぷを購入した。往復は東京−小郡の新幹線とし、ついでに行きの新幹線の指定も確保した。東京から広島までは「のぞみ3号」で、広島から小郡は「ひかり177号」である。新幹線特急券+のぞみの指定券+ひかりの指定券と、新幹線だけで3枚の切符である。さらに周遊きっぷの「ゾーン券」と「ゆき」と「かえり」の、合計6枚の切符を得た。それにしても、周遊きっぷは毎度のことながら購入が面倒くさい。昔の「ワイド周遊券」ならばこんなに手間かけずに買えたのに、時間がかかってしまい、後ろに並んでいる他のお客に悪い気がするが、私のせいではない。なお、目的はJRの宇部線、小野田線、美祢線、山陰本線の益田一幡生と仙崎支線であり、周遊きっぷの名称である津和野も秋芳も萩も今回は目もくれない(?)のである。そういえば「山口きらら博」とかいうものも開催されているようだが、こういう博覧会には興味なく、行く直前まで全く頭になかった。
1.旅立ちは「のぞみ」
7月20日(金)「海の日」は全国的に天気も良さそうであり、夏本番真っ盛りである。始発の南武線で登戸に出て、小田急線の準急で新宿へ。3連休の初日のためか、いかにも遊びに行きますという格好の客が多い。JR新宿駅の自動改札を「ゆき」の切符で入り、中央線に乗車する。快速はまだないため各駅停車であるが、東京行きは行ったばかりで次は千葉行き。これに秋葉原まで乗って、京浜東北線で東京に出た。駅の中で適当に時間をつぶし、新幹線ホームに入って、朝飯と飲料を買う。「のぞみ3号」は700系であり、今更珍しくもなんともないし、東海道新幹線もこれまた飽きるほど乗っているのでどうということもない。定刻の6:52に発車。遊びの客が多いが、隣りは「お仕事」のようである。あるいは仕事で東京に来て、昨日泊まって帰るところか。とにかくほぼ満席のようである。発車と同時に食事をはじめ、車掌が切符を見にきた後は、早起きの睡眠不足を補うためもあって適当に寝たりしていた。途中トイレに立ったら、デッキにもお客がいた。「のぞみ立席利用」だろうか。「のぞみ」の指定券だけは早めに確保しておいて正解だ。新大阪を過ぎても客は減らない。普段の平日の「のぞみ」ならば新大阪からは空くのに、まさかみんな「山口きらら博」に行く訳ではあるまい…。山陽新幹線に入ると、車掌もJR西日本に変わる。トンネルが多く、あまり面白くない線である。この「のぞみ」は300km/hは出さないが、ご丁寧に姫路あたりで「ただいまこの列車の最高速度285km/hで走行しています」との案内があった。これでも十分速いとは思うが。というまもなく広島に到着。ここで隣りに止まっていた「ひかり177号」に乗換えだ。わずか5分の接続でそれはいいのだが、前の方から後ろの方へ12両分移動しなくてはならない。自由席でもいいのだが、折角指定席をとったのだからと、ちゃんと300m歩いて行って指定の席にすわった。こちらもほぼ満席であった。車両は100系で、今となってはむしろ乗る機会が少なく久しぶりのような気がする。次の停車駅は小郡で、39分で到着。久しぶりの山口県である。とりあえず改札を出る。
2.宇部線
新幹線口の駅前からは「きらら博」行きのシャトルバスが出ていて、それに乗る人も多いようだ。その「きらら博」が阿知須で行われていることを案内図で見て初めて知った。これから乗ろうとしている宇部線の沿線であり、臨時電車もたくさん出ているようだ。駅に戻り宇部線のホームへ。隣りに「きらら博」塗装をした117系が止まっていた。ノンストップの「快速・きらら号」に使われるようだが、次の電車は通常の電車である。まもなく、白地に赤と青の2本のラインの115系電車が2両編成でやってきた。宇部新川行きである。駅の案内表示にはローマ字で「WANMAN/UBE−SHINKAWA」とあったが、この前半の意味が「ワンマン」であることに気付くのに時間がかかった。変な綴りである。「きらら博」でラッシュ並の満員も想定していたが、意外にすいている。「きらら博」に行きそうな感じの人はゼロではないが、ほとんどいないのである。みんな駅前からノンストップのシャトルバスで行ってしまったのだろうか。あるいは山口宇部空港から行く人が多いのか。そもそも全国からそんなに「きらら博」に人が集まっているのか?
とにかく、宇部線の電車は何事もなく定刻の11:52に発車。駅間も短く私鉄の雰囲気である。阿知須では結構おりた。小郡を出てから最初の比較的大きな町である。「きらら博」の最寄り駅でもあるので、「きらら博」のパンフレットを持っていた2人(唯一の「きらら博」客?)もここでおりたようだ。それ以外は地元の人のようである。阿知須を過ぎて海もところどころ見え始める。海水浴場もあるようで、泳ぎに行く格好をした客もどこかの駅でおりていく。しばらくは長閑な雰囲気のローカル線だが、間もなく工場も多い宇部市の中心地に近付き、雰囲気が変わってくる。宇部新川で終点。ここが宇部市の中心であるが、あとでまた来るので、すぐに接続している隣りの下関行きに乗り換えた。1分の接続である。山陽本線に直通するので4両編成であり、ステンレスの415系である。宇部新川−宇部は本数も多い。しかし「きらら博」期間中は小郡−阿知須に負けているかもしれない。「415系か」とあまり深く考えずに車内に入ったが、中にはJR九州の路線図や九州の広告、これはJR九州の車両なのである。JR九州の車両が宇部新川まで乗り入れているとは知らなかった。居能、岩鼻と、いわくありげな駅を過ぎ、宇部で山陽本線に合流する。宇部線も無事乗り終えた。宇部は宇部市の中心からははずれているが、「本線上に市の名前ずばりの駅」という訳で、以前は宇部新川が宇部駅を名乗っていたらしい。宇部ではおりずにそのまま乗って行き、次の小野田で下車した。宇部市を通り過ぎて、小野田市の方を先に訪れることになった。小野田はもちろん初めてであり、昼飯も兼ねて町をブラプラすることにした。
3.小野田線
小野田の町はやや寂しい町である。食べるところがありそうでなさそうで、それに外も暑い。駅から少し歩いていくとやや大きな店があり結局そこに入る。「たぬき茶屋」という店で結構混雑していた。市内唯一の店という訳ではないだろうが…。13:00を過ぎたあたりで、ちょうど店内に大勢いた客が食事を終えて出るところだ。そのため新しい客は後回しなのか、何回か呼んでも一瞥しただけでなかなか来ない。何回か呼んでやっと来て注文をとるが、前の客の残りを片付けようとしない。しばらくして別の人が来てやっと片付け始めた。そして注文を聞いた。「すでに注文しました」というと不思議そうな顔をして行ってしまった。何という対応だ。そのあたりが顔に出たのか、「大変お待たせいたしました」と非常に丁寧なお詫びとともに持ってきた。頼んだのは「デミかつ井」。デミグラスソースのかかったかつ井だが、普通のかつ井の方が良かったかな。食事を終えて、ブラブラと駅に戻る。駅周辺には大きなデパートやスーパーのような店は見当たらないが、駅前にはやや大きめの本屋があった。ちょっと涼みに入ると、あまり冷房が効いていない。東京では寒すぎる位クーラーを効かせた本屋があるが、あてがはずれた。
駅に戻り、14:20発の小野田線の宇部新川行きに乗車する。クモハ123の1両のみである。宇部線は幹線だが小野田線は地方交通線、その差は車両にも出ている。車内もすいている。小野田を出て山陽本線と分かれると長閑な田園風景であり意外であった。しかし、少し行って南小野田、小野田港のあたりは予想通りの工場群。という間もなく、居能で宇部線に合流。ただしここでおりてもしょうがないので次の宇部新川まで乗る。この電車も宇部新川行きだ。さっきは通り過ぎた(1分接続の乗換えをした)だけの駅だが、おりてみることにした。宇部市の中心駅である。小野田駅前に比べるとかなり栄えている。モスバーガーがあったので、ここでバニラ・シェイキを買って、飲みながらブラプラ歩く。とりあえず海の方まで行ってみることにするが、しばらく行くと目の前に工場があって行く手を阻まれた。宇部市は宇部興産グループの城下町、その工場群が並んでいるのである。適当に歩き回り、1時間ほどで駅に戻ってきた。
さて小野田線の「本線」は先程乗ってきた訳だが、小野田線には支線もある。これからそれを訪れよう。小野田線はやはり1両のみのクモハ123。これで雀田まで戻る。いたいた、今やJR唯一となった旧型国電クモハ42001。こういう戦前の電車が21世紀までよく現役で残っていたものである。小野田市の文化財ともいえる、と何かに書いてあったが、壊れるまで使うのであろう。中に入るとビデオカメラを持った男女2人組がいた。どうもプロのようだ。そのカメラマン(ウーマン?)以外の客は9人ほど。「鉄ちゃん」4人、「まともな客」5人と見た。(私はどっちに入っているのかって?) 撮影隊は女性のみ乗込み、男性の方は外から撮るようだ。主に運転席を撮っていたが、客室内も撮っていたようなので、無断で人の顔を出して販売しかねない。念のため今後の発売ビデオに注意しておこう。電車は定刻の16:27に発車。真夏の盛りに冷房のない旧型国電に乗るという体験ができるのも今や貴重である。次の浜河内で「まともな客」と見た5人が全員おりてしまった。「鉄ちゃん」だけの車内となり、次の長門本山で終点。支線も含めて小野田線も無事乗り終えた。駅前は何もなく、すぐに海があるのでちょっと行ってすぐ戻る。私とプロの撮影者以外の3人は、全く予想した通りの行動、カメラを取出し、クモハ42001を撮り始めた。ここに来ても「鉄ちゃん」的行動をしない私がかえって浮いてみえる。そして全員が6分後に折り返す電車に乗った。しかし、地元の客も1人加わり、長門本山は「鉄ちゃん」専用駅ではないことも証明してくれた。帰りは浜河内からは誰も乗ってこなかった。雀田に戻る。プロの撮影者は運転手に一言礼を述べた後おりて、もう1人とともに車でさっといなくなってしまった。それ以外の「鉄ちゃん」3人と「まともな客」1人は、間もなく来た宇部新川行きに乗っていなくなってしまった。しょうがないので駅前を散策。といっても何もない。駅に戻ると他の客も何人か集まってきていた。雀田で切符を売っていた人は「本山支線」の運転手に「今日はもう帰る」と宣言していた。まもなく小野田行きの電車が来たが、この車掌にも同じことを告げると「まだ明るいよ。もう終り?」などと笑いながら応えていた。田舎の駅員という仕事は気楽でいいなあ…。小野田行きに乗車。ワンマンのはずが車掌がいるが、「機動改札」という腕章をつけていて、車内で切符を売ったり切符を見たりするのが仕事のようである。周遊きっぷを見せた。かなり年配に見えたので、もしかしたらJRのOBの嘱託かアルバイトかな? 小野田で下車。小野田駅は先程おりたので15分後の山陽本線は改札を出ずに中で待つ。その間、上りの「あさかぜ」がEF66に引かれて通過した。また、上下のコンテナ貨物が1本ずつ、EF66に引かれて通過した。山陰本線はやはり大幹線である。下関行きは湘南色の113系の4両編成。宇部線、小野田線に比べると駅の間がやたら長い。下関には定刻の18:12に到着した。
4.下関のフク
下関駅に下りるのは意外にも初めてであるが、本州の西のはずれにとにかくやってきた。改札を出るとここが、○○○○が車で突っ込んできて何人も殺害するという痛ましい事件が起きた場所、ということも思い出してしまった。そういう話は忘れよう。ホテルは確保してあるが、適当に安いところを電話してとっただけで、場所は「駅から近い」ということしか知らない。しかし、そこは広くない町、この辺だろうと歩いていったら「下関グリーンホテル」はあった。チェックイン後、食事をしに町に出る。下関海峡メッセの高い塔のような建物が見える。釜山行きフェリーの乗り場も近い。下関と韓国は近所である。町中にもハングル文字が目立つ。日本語、英語の他に韓国語でも併記してある看板が多い。さて、何を食べようか。漁港のある、駅の反対側に行ってみようと思う。その前に駅に寄り「月光・しおじリバイバル運転記念」のオレンジカード(2枚組)を売っていたので、つい買ってしまう。どちらも無縁だった特急だが、立派な台紙つきだし、どうせ帰ってからもカードは使えるし。
駅を抜けると目立つのが「フク」の看板。フグのことを下関ではフクと呼ぶ。そういえば下関といえばフクだなあと思い出す。そこでたまたま目についた「とらふく」という店に入る。カウンターだけのこじんまりとした店。先客は中年夫婦2人だけだったが、そろそろ終わって出るところだった。結局、1人で貸し切り状態になってしまった。フクさし、小フク唐揚げ、フクチリ、雑炊、最後にデザートのコース。これにビ−ルを何杯かつけて、結構お腹がいっぱいになる。「旅行ですか」と聞くので「今日は下関に来て、明日は長門市の方に行く予定」というような説明をした。「鉄道」が主目的とはおそらく想像していないだろう。川崎から来たというと、「川崎に親戚がいる」とか「東京の道は混んでてわかりにくい。葛飾に行ったら迷った」とか、どこに行っても「東京とは無縁だ」という人がいないのが面白い。ただ「下関で育ったので東京の魚は食べられない」ともいう。それもわかるような気がする。TVでは世界水泳でシンクロをやっていたので観戦した。日本の金メダルを確認するまでずっと店にいた。「他の国ははっきり言って乱れがあり、日本の敵ではない。ロシアだけが要注意だ」と意見が一致した。日本が終わって金を確信、ロシアが終わって確定した。店を出る。おそらく一人旅の食事での最高金額記録をかなり更新した。適当にブラプラと町中を散策し、ホテルに戻った。
5.特急「いそかぜ」
翌日21日(土)。今日も快晴で暑そうだ。下関発は9:20の予定であり、時間があるので町中を散策する。8時になると同時に、駅前で某政党候補者の選挙演説が始まった。党首や有名人の応援もないせいか聴衆はわずかだった。釜山行きフェリーの方に行ってみる。人通りも少なく、ここから先は立入禁止のような文字があったりしたので、近くを見てすぐ戻る。韓国との物流の拠点の一つでもあるようだ。この国との今後の関係は良くなるか悪くなるか…。身近なところでは、2002年のFIFAワールドカップは大丈夫か…。旅先でいらんことまで考えてしまう。海峡メッセの方まで行く。高い塔だけが目立つが、朝行ってもしょうがない。駅に戻り、まだ選挙演説をやっている中、適当な店「Letzen」に入り朝食を取る。
駅に入り、特急ホームの9番線で待ちながら、他の列車をばんやり眺めている。ディーゼルカーの門司行きが来たが、山陰本線から来た列車だろう。JR九州の行橋行きがとまっている。ここはJR九州の起点駅でもある。隣りの駅は九州だ。EF81の重連に引かれたコンテナ車が目の前を通過。九州からやってきた列車だろう。といううちに特急「いそかぜ」が、化石のような(?)国鉄色キハ181系の3両編成で、小倉からやってきた。すいているとは思っていたが、予想以上にガラガラのまま出発。益田行きで、終点まで乗る予定である。山陰本線のこの区間を走る唯一の優等列車であり、7月7日のダイヤ改正による「山陰本線高速化/新型特急車投入」も、この区間だけ完全に蚊帳の外なのである。そして、この区間が初めて乗る区間だ。幡生から山陽本線と分岐し、架線なし単線の線路になるが、下関市内はまだ家や建物も多い。下関−小串は本数も割とあるのである。川棚温泉に停車、わずかに乗ってくるがすいていることに変わりない。海もところどころ見えてきて、あとは大体海沿いに走るのである。滝部に停車。駅名クイズなどで必ず出てくる特牛(こっとい)は次の駅で、ここは通過。あとは長門市、東萩に止まるだけだ。最近のJRの特急にしては停車駅が少ない気がするが、他に止めるような駅はないのである。長門市はあとでまた来るので、とりあえず通り過ぎる。東萩で結構おりていよいよガラガラになった。乗ってくる人は少ない。念のため指定席(一番後ろの車両)を見たら多少は(自由席2両の合計ぐらい)乗っていた。東萩からの観光帰り客か。なお、萩は通過して東萩に止まる。萩市の中心駅は東萩の方なのである。定刻11:59に益田に到着。山陰本線も「本線」の方は無事乗り終えた。隣りから登場したての最新型気動車特急キハ187系「スーパーくにびき」が接続をとってすぐに発車していった。ホームで「いそかぜ」を撮影している人を見かけた。国鉄色のキハ181はいい被写体だろう。特急「いそかぜ」もこんな利用状況では先行き存続も危ないだろうし?? 益田で下車。ここでおりたのは私1人、あとはみんな「スーパーくにびき」に乗り換えた。一応、益田もそこそこの「市」なんだけどなあ。益田市は島根県である。益田の2駅手前から島根県に入っている。益田は9年ぶりであるが、以前の印象があまりない。駅で「スーパーおき/スーパーくにびきデビュー記念」のオレンジカードを購入する。ちょうど昼時なので駅前の定食屋で食事。またかつ井だ。暑いので駅前をちょっとだけ散策して駅に戻る。
6.仙崎とみすゞ
米子行きは見たこともない銀色の新しい気動車(キハ126というらしい)が2両編成でとまっていて、客も結構乗っていた。間もなく発車。これから乗る長門市行きの方はキハ40で(2両編成)ガラガラにすいていた。定刻の12:53に発車。今来た道をのんびりと戻る。同じ線でも特急と普通では雰囲気が違って感じる。静かな気だるい車内だが、外国人(フランス語を話していた)観光客が東萩まで乗っていた。隣りのボックスに座っていたオバサンが急に話しかけてきて「そこに蜂がいる」という。びっくりしたが、無益な殺生はせず、窓を開けて逃がしてやった。14:37に長門市に到着。この列車は長門市行きのはずだが、ここからそのまま小串行きになるという。27分停車するのと同じだ。私はそれはもう関係ないので長門市で下車する。
仙崎支線まで1時間ちょっとあるが、これを待って乗り、仙崎で6分で折り返しというのもつまらない。青海島への観光客目当てかタクシーが並んでいたが、それも無視して、なんと1駅ブラプラ歩こうと考えたのである。2kmちょっとで道もほぼ線路沿いにあるようなので歩いても大したことはなさそうだ。長門市内散策も兼ねられる。暑いことは暑いが、海に近いせいか結構風があるのが救いだ。少し歩くと蒲鉾工場が見えてきたりして独特のにおいがする。長門市は蒲鉾で有名らしい。右に時々踏切が見えるので道を失うこともない。「↑青海島」の看板もわかりやすい。左には海も見えて海からの風が快い。仙崎の文字が見えてきて「みすゞ通り方面」に曲がると仙崎駅前に出た。思ったよりも早く着いたので港の方に行ってみる。時間があれば青海島にも行ってみたいが、今回は省略である。海産物問屋に入る。中には人が結構いた。ここは観光地なのである。名物の仙崎蒲鉾も、1人暮らしでは持て余す、それよりもこの暑さでは帰るまでもたない、ということで結局何も買わずにひやかすだけとなった。
仙崎駅に戻る。駅の中に「みすゞ館」というのがあるのでちょっとのぞいてみる。金子みすゞという仙崎出身の童謡詩人の記念館である。明治36年生まれ。数々の作品を発表し西条八十にも絶賛されたが、26歳で自ら命を断った。そのまま「幻の詩人」となったが、死後50年以上もたって512偏にわたる遺稿が発見されて、近年になって脚光を浴び「みすゞブーム」にすらなった。このようなことを仙崎に来てほとんど初めて知った。現在「みすゞ」という映画を制作中で現地ロケも行われているとのこと。さっきなんとなく見た「みすゞ通り」という名の通りも、もちろん金子みすゞに由来する。「みすゞ館」も結構人が見ていて、列車待ちの冷房確保にもいいようである。
さて、列車は15:50に来るはずである。しかし駅で待っていたオバサン4人組が「47分のみやせんの電車が釆ない」と騒ぎ出した。私にも話しかけてきたが「今度のは56分ですよ」と教えてあげた。たぶん47分は2週間前のダイヤ改正前の時刻だ。掲示の時刻表にも「56分」と書いてある。しかし「56分は山陰線で47分のみやせんがあるはず」などという。「みやせん」は「美祢線」のことだとわかるが、この支線は「山陰線」なのでそう表示してある訳である。実際は美祢線と一体で運行しているのだからオバサンを惑わせる。しかし50分になっても現れず、私もちょっと心配になった。と同時にさすがオバサンパワー、掲示してある電話番号を見つけ長門市駅にかけたようである。「仙崎47分の電車が来ないんですけど」に対して、「山陰線のダイヤが乱れていて56分の列車は10分ほど遅れます」とのこと。こういう情報をすばやく確認したことはオバサンに感謝。16:02頃にキハ120が1両だけでやってきた。3人おろして5人乗せてすぐに発車。こういうことがあるので、先程長門市から仙崎まで歩いて正解である。「定刻通り」もここでくずれた。さて乗ったのが5人ということは4人のオバサン(長門湯本に行くらしい)と私だけだ。さっきの「みすゞ館」の客は列車待ちではなかったようだ。本来ならばこのまま美祢線に直通して厚狭まで行くはずだが、これは長門市で打ち切りで、長門市で乗り換えろということだ。さっき歩いた道の横を通り、あっさりと長門市に到着。これで山陰本線も無事(ちょっと遅れたが)乗り終えた。
7.美祢線
美祢線は階段を上って乗り換え。オバサン達は走り出したが、「まだ時間がありますよ」と駅員が言う。16:12のはずで、もともと長門市に12分停車するのである。乗り換えたのはキハ40が1両のみ。すでに客が結構乗っていた。大半は高校生で、試合で遠征帰りの運動部という雰囲気だ。しかしみんなおとなしくて真面目そうであった。こういうグループにありがちなうるささはなかった。この列車も「遅れている山陰線の接続待ちのため少々遅れて発車します」という。まもなくさっきの折り返しの小倉行き特急「いそかぜ」がやってきたが誰も乗り換える人はいず、何のために待ったのかわからないが、10分遅れて発車した。いよいよJR西日本最後の未乗線である。美祢線は幹線であるが、石灰石輪送がなくなった今は、どう見ても地方交通線というにふさわしいローカル線だ。2つ目の長門湯本でさきほどのオバサン達はおりて、旅館のお迎えの車でどこかに行ってしまった。ここを過ぎると勾配がきつくなる。ほとんど止まるのではないかと思えるほどになり、改めてパワー全開にしてやっと登っていくように感じる。キハ40の非力ぶりが露呈されてしまっている。本来ならばキハ120ですいすい越えるはずだったのだろう。それでも遅れを取り戻すためか、平坦部ではスピードを出しているようだ。美祢では割と乗ってきた。沿線では一番大きな駅で、美祢市の中心である。南大嶺の手前で廃止になった大嶺への支線の跡が見える。廃止されてからあまり立っていないため、まだ痕跡は残っている。湯ノ峠を過ぎ、いよいよ厚狭に到着。5分遅れで到着した。これで美祢線も乗り終えたとともに、JR西日本の全路線に乗ったことになったのである。最後が厚狭駅とは自分でも予想外であった。上りの山陰本線にはすぐに接続しているが、折角だから厚狭駅におりてみる。駅前はさびしい。新幹線の駅も出来たのに、寝台特急も止まるのに、乗り換えだけの駅なのか。厚狭は市ではなく町(山陽町)である。
駅に戻り山陽本線の電車に乗る。小野田、宇部、と昨日通ったところを戻り、さらに小郡まで乗る。このあたりは駅間が非常に長く、6駅で34分もかかる。小郡で下車。新幹線口とは反対の表口に出る。まずは明日の帰りの新幹線の指定を確保しておく。昼過ぎに小郡を出ることにして13:17の「ひかり」で新大阪まで行き「のぞみ」乗換えとした。小郡からの「ひかり」は禁煙席1席だけがあいていますということであった。「最後の席」は8号車8Bであった。ついでに「山口きらら博記念」のオレンジカード(2枚)を購入した。「ホテルα−1」は駅からすぐ分かる。チェックイン後外に出るが、表口という割には店がありそうでなさそうで、厚狭同様、「新幹線は乗換えだけのためにとまる寂しい町」である。小郡も町である。山口市に吸収されそうでされずに「小郡町」を守っている。跨線橋を渡り新幹線口の方に行ってみる。端の上から「SLやまぐち号」用の客車が止まっているのが見えるが機関車は見当たらない。新幹線口側は昨日もおりたが、ホテルとバスターミナルがあるがそれだけ、なのである。しかしまた戻るのも癪なので、たまたま1軒あった「山頭火」という駅近くの店に入った。半分居酒屋半分蕎麦屋という店だが、どちらかというと食事に来る人が多いようだ。1人で入って居酒屋モードになっているのは私くらいだった。ビールにはじまり、あとは小郡の酒「山頭火」をちびちびと飲みながら、「JR西日本完乗達成」をひとりで静かに祝う。食事も兼ねているため、つまみも結構とったが、昨日の店の半額以下であった。また跨線橋を渡り表口に出てホテルに帰った。
8.ザビエルと中也
22日(日)、今日も快晴で朝から暑い。今日は帰る日だが、午前中は全くあいている。そこで山口市を訪れることにした。行ったことのない沖縄県を除けば、唯一未訪間の県庁所在地でもあったし、折角山口に来たので寄って行くべきだ。9年前、山口線には全線乗っているが、山口は素通りだった。ホテルを出て、小郡駅構内の店で朝食とする。隣りの客が、買ったばかりと思われる「月光/しおじ」のオレンジカードを眺めている。すると、店のオバサンにオレンジカードを見せて会話が始まった。「昔、こういう電車が走ってたんですよ。」「そう…」「583系でどうたらこうたら…」「電車が好きなんですね」 (すると、待ってましたとばかり)「今朝はやぶさで果たんですよ。これから山陰の方に写真を撮りに行くんです…」「………」「これから、新しい特急に乗って行くんです。」「あ、おきが新しいのになったわね(それなら知ってるわ)」「いや、スーパーおきです。187系がどうしたこうした…」「………」というような会話(?)が続いた。オバサンは明らかに迷惑そう顔だった。私は隣りで黙って食べていただけ。
ホームに行く。山口線の乗り場は結構にぎわっていた。小郡−山口は本数も多いのである。8:25発の山口行きに乗車。キハ47の2両編成である。駅間も短く、近郊路線である。美祢線は「幹線」なのに、本数も多く客も多く特急も走っていて県庁所在地を通る山口線は「地方交通線」だ。途中の駅で客の乗り降りが結構あり、22分ほどで山口着。とりあえず下車。まだ朝早く店もあいていないが、ブラブラと町中を散策する。スカイロードをしばらく行って亀山公園の付近に出た。公園内で合唱の音階練習をしているのが聞こえる。遠くに瑠璃光寺の五重の塔(国宝)が見える。また、山口市内観光のメインのひとつ、ザビエル記念聖堂がここにある。遠くからもよく見える。付近まで行ってちょっと中に入ってみるが、「ただいまミサを行っております。入室されたら最後まで出ないで下さい」などと書いてあり、外から建物を眺めるだけにした。キリスト教を日本に伝えたフランシスコ・ザビエル所縁の場所であり、信仰心のない私が入っていったら怒られそうだ。市役所の裏手を通り、ブラブラと商店街を抜けて駅に戻る。
まだ時間があるので、ちょうど出る小郡行きに1駅乗って、次の湯田温泉でおりた。温泉に入るのではなく、中原中也記念館に行ったのである。今回の旅のテーマは夭折した詩人か? 中也はみすゞよりはメジャーな存在なのか、記念館も立派である。中也所縁の遺品や遺稿を中心に展示されている。開館早々(9時開館)なのににぎわっている。金子みすゞのような新鮮な発見と感動も特になく、折角山口湯田温泉に釆たから中原中也くらいは触れておこう、という感じである。プラブラと温泉街(というほど大きくない)を歩き駅に戻ると汽笛の音がした。駅に着くと同時に「SLやまぐち号」が重連の機関車にひかれて入線してきた。すっかり存在を忘れていたが、タイミングがよい。子供連れで結構混雑している。汽笛が鳴り煙とともにSLが去った後、しばらくしてやってきた小郡行きのディーゼルカーに乗って小郡に戻る。
9.ひかりレールスター
あとは帰るだけだが、時間はまだ十分にあり小郡で昼食をとる。新幹線口の方に出て、結局駅構内の店で食事をとる。小郡は駅構内にしか食事をするところがないのか。いや、そういうのが「鉄旅」の基本だ。暑いのでビールをジョッキで一杯。あとは唐揚げ定食。土産物屋などで時間をつぶし、新幹線ホームに入る。今から乗ろうとしているのは「ひかりレールスター」である。山陽新幹線でしか乗れないので選んでとったのである。8両編成である。単なる700系の塗り替えではない。中はグリーン車並にゆったり。3人掛けでないのもいい。乗ったのは先頭車で、前はコンパートメント。そのすぐ後ろは「オフィスシート」であり、その後ろである。つまり普通の席の一番前の通路側で「最後の1枚」の座席はここである。快適な車内、数ある新幹線の普通車の中では一番いいだろう。小郡駅は13:17の定刻発車。小郡を出ると、広島、福山、岡山、新神戸にとまる。隣りのオバサンは豊後荻−東加古川の切符を持っていて岡山でおりた。岡山からは坂出一紀伊田辺の切符を持った若い女性に変わった。外はトンネルばかりで、しかも通路側の席なので、内部の観察ばかりしているのである。コンパートメントは家族連れで満室。うるさいガキどもを閉じ込めておくのに効果的? 新大阪に到着。この列車の終点である。乗り継ぎの「のぞみ」まで29分あるが改札は出ず、下のコンコースで寛いでいる。人がたくさんいて、急に大都会にやってきたような気分である。それに見慣れた場所…
10.帰京
新大阪に着いたら「帰宅モード」になってしまった。まだ旅の余韻に浸っていたいのに、東海道新幹線の新大阪−東京は「日常の電車」なのである。「のぞみ60号」は700系で何度も乗っているものである。それでも明るいうちに上りの新幹線に乗るのは久しぶりではある。「レールスター」から乗り継ぐと若干狭く感じる。京都と名古屋にとまり、定刻の18:21に東京に帰ってきた。「西の旅」もとりあえず一区切りというところか。東京駅近くの店で食事をして家に向かった。
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