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大垣概説


1,大垣の位置

 岐阜県大垣は、日本列島のほぼ中央,濃尾平野北西端の、伊吹山地・養老山地と揖斐川に挟まれた平野部に位置している(図1・2)。


図1 岐阜県の位置
岐阜県位置図

図2-1 西美濃・大垣の位置
西美濃・大垣の位置

図2-2 濃尾平野における大垣の位置
濃尾平野における大垣の位置
カシミールで作成。国土地理院数値地図標高データ50mメッシュを使用。


2,大垣の歴史

 大垣を含む西美濃地方は大和文化の発祥地である京畿地方に近く、岐阜県では最も古くから栄えた地域である。東海道・東山道の重要な回廊でもあり、東西文化の接触地帯となっていた。特に関ケ原付近は古くから東西交通の要衝として、軍事上からも重要な位置を占めていた。東山道方面に対する京畿の守りとして不破関が設けられたこと(646年)や、東西分け目の戦いとなった壬申の乱(672年)や関ケ原の役(1600)がここで戦われたことはよく知られている。

 
 大垣は奈良時代に東大寺領大井荘として開発されたのが始まりとされる。大垣の名は暦応3年(1340)の東大寺文書に「大柿」とあるのが初見で、当初は大垣と大柿が併用されていた。文安の頃(1444〜49)、大垣氏が砦を構えて東大寺城と称したが、後に大垣城と呼ばれるようになった。天文4年(1535)、美濃の守護土岐氏の家臣が城郭を増強し、天正13年(1585)には豊臣秀吉の命で天守閣が築城された。城下町としての形を整えていったのはこのころからである。

 
 関ケ原に代わり、大垣が東西交通の要衝としての地位を得るようになったのは、関ケ原の役以後のことである。寛永12年(1635)、譜代の戸田氏鉄が尼ケ崎から十万石の大名として移封された。それ以後、移封されることもなく、戸田家治世は明治維新まで続いた。大垣はその安定した治世の下、美濃国最大の城下町として発展した。また、大垣城下は水陸の交通の便がよく、美濃路の宿場町・揖斐川水運の湊町としての機能も持ち、西美濃の経済的中心としても機能していた。

 
 明治期は、県庁誘致の失敗、度重なる大水害や濃尾大震災により人口は大きく減少し、大垣にとって低迷の時期となった。明治33年(1900)の木曽三川分流工事以降は水害も激減し、紡績会社が進出するなど近代工業都市へと変貌、大正7年(1918)には市制が施行されるに至った。

 
 第二次世界大戦末期(昭和20年7月29日)の大空襲により市街地の大半を焼失した。戦後は、主な産業を軽工業から重工業、情報産業へと移行させながらも、引き続き工業都市として発展してきた。2004年現在,人口15万人の岐阜県下第二の都市となっている。



3,大垣の範囲の変遷

 
 大垣の範囲は,江戸期以降,表1のように拡大してきた。

  
表1 大垣の範囲の変遷
区分 期間  面積(平方km)  人口 (調査年)
@  藩政期〜区政期  慶安2年(1649)〜   0.87   16,000(江戸期)
A  明治の大合併  明治22年(1889)〜    5.24   19,439人(1889)
  38,324人(1928)
B  昭和初期の合併  昭和3年(1928)〜   27.69   65,123人(1941)
  56,471人(1946)
C  戦後の合併  昭和22年(1947)〜   79.75  133,524人(1967)
 154,013人(2004)


 @ 藩政期 
 

 大垣城下町の基礎が完成したのは、大垣藩十万石の初代藩主戸田氏鉄が摂津尼崎より入場して14年後の慶安2年とされている。城郭の南(京口)から東(名古屋口)にかけては美濃路が貫通し、これに添って町屋が,西から北には城郭を囲むように侍町が並んでいた(図3)。人口は江戸期を通じて一定していて,武家が6,000人,下級雑兵が500人,町屋が5,500人の計16,000人であった。
 廃藩置県後まもなく区が編成されたが、大垣は旧城下町の区域を継承していった。


 A 明治の大合併  

 明治22年,市町村制が施行され,国による強制的な合併が行われた。施行時には隣接14村を吸収合併し、「安八郡大垣町」となった(図4)。大正7年(1918)の市制施行後は「大垣市」となったが,この区域は昭和初期の合併まで続いた。


 B 昭和初期の合併

 昭和に入ると,市制施行後,初めての合併が行われた。昭和3年の北杭瀬村合併に続き,昭和15年までさらに5ケ村を合併した(図5)。


 C 戦後の合併 

 戦後の地方財政の困窮,大垣市による大垣輪中全体の市域化構想により,昭和22〜29年(1947-1954)に9ケ村を合併,さらに昭和42年(1967)の赤坂町の合併で現在の市域が出来上がった(図6)。


 当サイトでは,@を「旧大垣城下」,Aを「旧大垣市街」,Cを「大垣」とする。また,西美濃地域から揖斐郡(池田町を除く)と海津郡を除いた西美濃平野部の北・中域を便宜上,「大垣地方」(図2)と呼ぶことにする。


図3 大垣城下町(江戸期) 図4 大垣町(1889〜1928)
大垣城下町 大垣町


図5 昭和初期合併後の大垣市(1940〜1947)


図6 戦後合併後の大垣市(1967〜2005)
昭和初期合併後の大垣市 戦後合併後の大垣市

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