憲法9条・メッセージ・プロジェクト  (略称 「K9MP」)
 一人ひとりの強い意思が  戦争をくいとめ憲法と 世界の希望を守りぬく
                

















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    アメイジンググレイス                               ダウン・バイ・ザ・リバーサイド
    
ブルース。憂うつをを意味する英語です。ブルース音楽は、アメリカの奴隷制が生んだ、白いアメリカの黒い音楽といわれます▼悲しみと、わずかな幸せと喜びと、そしてやっぱり悲しくて。ブルース音楽をこう紹介するのは、アレン・ネルソンさんです。良く来日し、平和を訴え行脚した、元米海兵隊員のネルソンさん。先日、かえらぬ人となりました▼いま、ネルソンさんのブルースの弾き語りをききながら原稿を書いています。東京・下北沢での演奏を記録したCD,「ANSWER QUESTION&BLUES」。たとえば、奴隷船の船長が罪を悔い改め詩をつくった「アメイジング・グレイス」を▼ネルソンさんは、かって侵したベトナムを戦後に訪れます。「私はあなた方の村を焼いた。子どもたちを殺した」。集会で告白し、謝罪しました。心の目を開き光を見た、奴隷船の船長と重なります。ネルソンさんの歌とギターに、万感の思いがこもります▼最後の曲、「川のほとりに」。奴隷だった黒人が国境をめざしてすすむ歌です。「川のほとりに、差別やにくしみはうち捨て、新しい自由を求めよう…」。ネルソンさんは、日本の憲法九条に川のほとりの決意をみいだしたのでしょう。「九条は人類の未来を指し示す希望の光」と語り続けました▼ベトナム戦の心の後遺症に苦しみ、路上生活も体験したネルソンさん。どん底をみた人がもつ、包み込むような優しさにもうふれられません。せめて、ブルースの歌声をいつまでも。
     しんぶん「赤旗」3月29日 「潮流」から

 ご縁の皆様に<アレン納骨式><偲ぶ会>報告(090709)
                                        AN救援基金 世話人代表 平塚淳次郎

 二週間経過しました。御礼と報告が遅れたことをおゆるしください。
 石川県加賀市はずれの光闡坊は、真宗中興の祖、蓮如上人建立の寺跡に立つ古刹。上人の大きな立像が目立つ以外は、寺院通例の土塀や墓石とてない、緑滴る境内の奥に質素な本堂が佇みます。その昔武家権力の介入により、分裂した本願寺の東西のいずれにも属さない稀有の存在として孤高を保持するとか。雨漏りのする荒れ寺に、十余年前に住み込んで、今親鸞を説きながら全国行脚をする佐野明弘師の「根城」。そして今「釈阿蓮」の永久の棲家となりました。
 当日の謝辞を、日本国憲法第九条の朗読で始めることによって参列者を感動させたアネッタ夫人は、光闡坊納骨のいきさつを語りました。「アレンは、もし自分があとに遺ったら、わが心の師、佐野さんの傍で暮らしたいと語っていました。今回の来日は彼の遺志を生かす当然の務めでした」 
 アレンと佐野師の初の出会いは04年5月30日、師自身の企画した当地の<アレン講演会>でした。以後、急速に深まるご両者の心の交流の一端を物語るエピソードを師自身に語ってもらいましょう。
 <・・・今沖縄の辺野古に米軍の基地が作られようとしている・・・それに反対して・・・アレンさんも抗議行動をしていました。ところが海上保安庁の大きな船が、皆の乗っている小さい舟の前で、スピードを出してギュッと曲がる・・・すごく高い波が襲ってきて・・・お年寄も皆命がけなのです。アレンさんは怒りの心が起こってきて「あいつらを殺してやりたい」と思ったというのです。
 「人には非暴力を説いて、そして自分自身もたくさんの人を殺して、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ自分の中から暴力が消えていない。どうしたらいいのだろう」
 これには困りました。私自身が浅い経験しかない。彼の深い問いに応える言葉がない。二十分ぐらい黙っていました。しかし、彼はずっと待っているのですね。(私が)最後に一言言ったのは「そうやって苦しんでいるあなたを信頼しているのです。あなたがそうやって苦しんでいる、そのことを信頼しています」。(アレンさんは)「自分の求めている答えとは全く違うけれども、大切なことを聞いたようにおもいます」というようなことをおっしゃっていました>(以上「名古屋別院フォーラム人権連続講座講義録」より)
 
 6月25日午後。本堂は170名の参列者であふれました。<仕事が休めずに残念>というお断りをいただいた人たちを含む全国何千何万のアレンを悼む人たちの想いを代表した人たちの集いでした。
 午後1時、佐野師のつく鉦の音で開式が告げられ、20名近い僧侶の荘重な読経が響く中、アネッタ夫人、アレン令妹マーシェラを先頭に参列者それぞれの思いのこもった焼香が続きました。佐野師による蓮如上人「白骨の書」の清澄な朗読。そして「my father」三宅信一氏の弔辞―-アレン十余年の足跡を辿る慈愛に満ちた回想――が第一部を締めくくりました。
 「キリスト教牧師の身で、アネッタさんに仏式焼香の作法を伝授しました」と語る、札幌山本光一師の人柄のにじむ司会が5時半まで続く<偲ぶ会>の座を和ませてくれました。
 世話人の皆様の取り組み,寄せられた諸氏の弔辞,心のこもる会場でのご発言,通訳のご苦労,地元あるいはお寺関係者による準備から事後処理まで、感謝は尽きません。その中から敢えて登場願います。
 ―アレン来日の仕掛け人、宜野座映子さんは13年前、彼女の教室で「1回だけだよ」と重い口を開いてくれた戦場体験の本邦語り初めと、以後、毎年欠かさぬ、そして昨秋は「来年もきっと」と念をおしたアレンと沖縄との絆を、いつに変わらぬ「9条最前線」の心そのままに伝えてくれました。
 ―奉納演奏の若き堀越大二郎さん。故人に対する10年の敬慕と惜別の入魂のジャンベでした。アメリカからのお客様は皆踊り出さんばかり、最後は控えめな日本人も総立ちの拍手。“I’m happy here.”と笑顔のアレンが登場しそうな幕引きでした。
 「アレンが蒔いた種の芽生え」(長野代表の言葉)は他にも集いの各所に見られました――納骨式の勤行に居並ぶ若き仏僧たち、大学キャンパス内の大講演会の取り組みを語った藤澤千夏さん、永らく通訳として各地でアレンの心を伝え、当日も通訳団の中で優しい気配りをしてくれた中村みずきさん、そして、太平洋の向うから駆けつけてくれたイラク帰還兵アッシュ・ウールソン夫妻と通訳の相ケ瀬茜さん‥などなどの熱きハートにわが心も晴れやかに。

 「アレン基金」残余分を、「ベトナム枯葉剤被害者への救援に充てる」課題をあとに残しました。その「執行及び報告」を以って世話人会の解散とさせていただきます。

 改めて故アレンネルソン氏に対して、そして彼の活動を支えていただいた全ての人々に感謝!

 

 故アレン・ネルソン氏遺骨式の日に

          2009年6月25日  須田 稔


あなたを想うと M・L・キング牧師を想う

ヴェトナム戦争を 懊悩する魂の深みから語り

不正義で不道徳な戦争に異議を申し立てた人

「今日の世界で暴力の最大の調達人・私の政府」

1967年4月4日 ニューヨークの教会で

輿論の無理解への哀しみと愛をこめて語り

「貧困と闘う人民運動」のさ中 一年後に暗殺



戦場から学んだ真実と正義の語り部アレンさん

あなたの言葉は 永遠の平和を希求する良心を 

熱く激しく 優しく静かに 動かした 

無感動は道徳的かつ政治的な自殺行為

大規模殺傷・破壊の兵器を使えばジェノサイド

政府に憲法9条を守らせなさいよ 日本の人よ

9条を生かすべきはあなた方なのですよ



あなたは子どものころ貧しかった

青年時代は戦争の血と臭いに汚染された

生き延びたあなたは 心的外傷後ストレス障碍

ヴェトナムの赤ちゃん アメリカ黒人小学生

そして沖縄の少女だったのだ アレンさん

平和と正義の不屈の闘士にあなたを変えたのは

剣を携える者は剣で滅びると語ったあなた




夢見る人だったあなた 私もそうありたい

私の記憶に 同志としてあなたは生き続ける

あなたのように生命をいとおしみ 平和を願い

創造のために行動する あなたの類稀な貢献

政府の行為によって再び戦争の惨禍を

起こさせないように力を尽くす誓い

戦争はしない わたしたちは進みつづける

We ain’t gonna study war no more.

We’ll go marching on.



歴史は証言する 自由と平和と正義は

犠牲と不断の闘いなしに獲得できないことを

いまこそ 政府の欺瞞を糺すため決起するとき

そうすることは正しくて 希望の光を生み出す

良心の声は黙らない 喧噪の不協和音の世界を

美しい交響楽の連帯空間に変革するのだと

あなたに励まされ アレンさん 絶望はしない

あなたの闘いから勇気を得て 誇り高く歌う

WE SHALL OVERCOME














 May You Rest in Peace, Allen san.

                     March 29, 2009     SUDA Minoru

Poverty was your bitter foe.

Rev. Martin Luther King, Jr. believed

War is poor people’s irreconcilable enemy.

 

The only way left for you

To escape from poverty

Was to join the U.S.Marine.

 

The military trained you to be a bold killer.

The battlefield was an inferno.

You were destined to be dehumanized.

 

One day you happened to encounter a young woman.

And her baby came out upon your hands

And you learned how you were born, firsthand and first time.

 

You got back your humanity.

All the Vietnamese emerged as human beings

But you suffered from PTSD.

 

It took 18 years for you to overcome the disease.

Then you learned a 14-year-old girl was raped

By U.S. military personnel stationed in Okinawa.

 

Okinawa was where you were trained to be a cold-blooded soldier.

You wanted to tell the Japanese people how disastrous is war,

And how precious is Article 9 of the Japanese Constitution .

 

Your presentation reached the depth of the hearts of grass-roots people.

They were deeply moved by your “Amazing Grace” and “Down by the Riverside.”

You were a peerless peace messenger, an apostle of non-violence.

 

Poverty and war are our irreconcilable foes.

You’ll be remembered as long as our fight for peace and justice goes on.

My respect and gratitude for you will never perish.

 

     On the Day for Laying Your Ashes to Rest, Allen-san

                                            On the 25th of June, 2009   SUDA Minoru                                                                 

You make me think of Dr. Martin Luther King, Jr.

He talked about the war in Vietnam from the depth of his soul of agony.

He was one of very few dissenters from this unjust and immoral war.

He said, “the greatest purveyor of violence in the world today, my own government,” On April 4, 1967, at the Riverside Church in New York City.

He was also organizing the People’s Campaign against Poverty.

 

Your talk filled with the truth and justice you learned from your war experience.

Appealed to our heart and conscience aspiring sincerely to everlasting peace.

You made us aware that apathy is a form of moral and political suicide,

When the weapons of mass destruction, if used by terrorists, bring about genocide.

You asked us to let our government respect and uphold Article 9,

And warned that we are the one that should endeavor to keep alive Article 9.

 

Your childhood was in bondage to poverty.

Your adolescence was stained with blood and odor of war.

Your post-war life was entangled with Post-Traumatic Stress Disorder.

It was a Vietnamese baby, an African-American schoolchild, and a Japanese girl

Who transformed you into an indomitable warrior for peace and justice.

You taught us that all who take the sword will perish by the sword.

 

You were a dreamer and I, too, would like to be as long as I live.

In my memory as my bosom friend, you will continue to live.

Like you, I’ll cherish life, love peace, and act for creation.

Tens of thousands of people in this country will never forget your contribution,

Swearing that never again shall they be visited with the horrors of war

Through the action of government. We’ll go marching on, studying war no more.

 

History is a fit testimony to the fact that freedom, peace, and justice is

Rarely gained without sacrifice, without constant struggle.

Now is the time when we must stand up against our government’s falsehood

Because conscience tells us it is right and it gives birth to a beacon light of hope.

We must transform the jangling discord of our world into a beautiful symphony of

  brotherhood.

We’ll not yield to a political despair. We are determined to maintain hope.

We shall overcome, I do believe, encouraged by your painstaking struggle, Allen-san.

 


  故アレンネルソン氏『納骨式』と『偲ぶ会』ご案内
    2009.04.29

ご縁の皆様へ
                                       アレンネルソンネットワーク
                                                  世話人代表 平塚淳次郎
                                                  (連絡先:T&F 0797-72-7550)

 われらのアレンネルソン逝って1ヶ月。
 遺骨は故人の遺志により、生前信頼を寄せていた佐野明弘氏が住持を勤める石川県加賀市の光闡坊(こうせんぼう)に納められることになりました。遺骨を携えて来られるアネッタ夫人を迎えて、「納骨式」と「偲ぶ会」を、下記により催すことにいたします。ご参加をお願いいたします。
                                                        合掌

         ●  記  ●

   ●日時  6月25日(木)午後1時

   ●場所  光闡坊 (石川県加賀市山田町 カの53) 

   ●アクセス JR北陸線 加賀温泉駅下車 タクシーで10分
      北陸自動車道(南から)加賀IC下車20分、(北から)片山津IC下車 20分
      小松空港から バス ⇒ 10分 JR小松駅 ⇒ 15分 加賀温泉駅 

   ●納骨式 午後1時開会(45分)
      勤行 佐野 明弘ほか   弔辞 三宅信一 
      ご香典の受付けはいたしませんので、よろしく。

   ●偲ぶ会  午後2時〜5時  (参加費 3000円)
       アネッタ夫人のほかに、マーシェル(アレン妹)夫妻及びアレン友人3名来日予定です。
      ※準備の都合上、県外から参加の方は、ご記入の上5月15日までに平塚までご連絡ください。


        (お名前         ご住所                          )
        (連絡先 TEL,FAX 及びメールアドレス:                       )
 
        (来場方法 自家用車、 その他 )いずれかに○を。
        (光闡坊に宿泊ご希望の方: 24日、25日 )いずれかに○を。





 

  追悼  アレンよ、安らかに。
              
                                       憲法9条・メッセージ・プロジェクト事務局一同

ああ、アレン・ネルソンよ。
あなたを忘れない。あなたと一緒に歩んだ道を忘れない。
生涯、底辺で苦悩しながらも、誠実に生き抜いた、あなた。
14年間も毎年、何度も来日し、日本の各地を歩いてくれた、あなた。
ある時は大都会で。ある時はへき地で、離島で…。
ある時は雪の降りしきる米軍基地や自衛隊基地のゲートで…。
あなたは身体を張って、ひたすら訴え続けた。
その歴史の真実――。
死のその瞬間まで、あなたは訴え続けた。

「もう世界から戦争と貧困をなくそうよ…」
「広島と長崎の平和資料館で、私は見た。残虐な核兵器で何十万もの罪もない人びとを無残に殺したアメリカの姿を。」
「私の愛するアメリカという国が、あの原爆を、女性や子どもやお年寄りが暮らしていた住宅や病院や学校の上に、無差別に投下した…という事実を、そのとき初めて知ったのです。」
「アメリカは、世界にテロ行為の見本を見せたのです。わがアメリカ政府こそが、国際テロの帝王なのです」

「戦後なん年もたつのに、日本には何故こんなに米軍基地があちこちにあるのか、訝しく思ってきました。」
「皆さんの中には、政府の言い分に惑わされて、『米軍が日本を外敵から守ってくれている』と信じている方もおられます」
「現実をしっかりと見つめて欲しいと思います。日本は『占領されている国』です。米軍は、日本の皆さんを守るために居るのではありません。日本の政府を抑えるために、牛耳るために、監視するために居るのです」
「みなさんの国は、真の民主主義国家とは言えません。いわば日本の政府は傀儡政権(操り人形)です。」

そして、あなたは、こう力説する。
「地球上のすべてに9条がほしい。」「改憲は、世界から希望の光を失う」
「どうか肝に銘じていただきたい。世界平和は、いったいどこから生まれてくるのか?  それは、ここに参加された一人ひとりの決意と行動から生まれるのです。人間は変わらねばなりません。一人ひとりが変われば、世界は必ず変わるのです」

 ありがとう、アレン・ネルソン!
 あなたが投げ続けてくれたメッセージは、K9MPがしっかりと受け止めています。

 世界は未曾有の大恐慌、大貧困。戦争とマネーゲームの行き着く果て。アメリカ発の大恐慌を醸し出した共犯者は日本。その混沌と惨憺たる結末は、いかなる風景を見せるのか?
 金融資本や軍産複合体による米日政府は、その脱出口を作ろうと、今また、戦争を準備しています。
 あなたの叫びを忘れません。あなたのねがいをけっして忘れません。しっかりと受け継いでゆきます!
 Yes. we can! (オバマ大統領)   そして I have a Dream!(キング牧師)

                                                  2009.3.26       憲法9条・メッセージ・プロジェクト(K9MP)


アレンネルソン氏 葬儀のご報告  

 ご縁の皆様へ090407) アレンさんの死去 葬儀    平塚淳次郎(ANN世話人代表)
       
 多発性骨髄腫で闘病中のアレンネルソンさんは、多くの人の祈りも空しく、3月25日(現地時間)に死去されました。61歳。日本の多くの新聞が報じるところとなりました。

  故人の希望で仏式の祈りが

 葬儀は31日、ニューヨーク市のブルックリンで行われました。日本人参加者は、28日、急きょ成田から飛んだ佐野明弘、嬉野京子と私の世話人3人及び、ニューヨーク在の比嘉良治氏(ロードアイランド大名誉教授)、石橋行受上人(日本山妙法寺)の合計5名でした。
 式は二部に分かれておこなわれました。

第一部は午後4時から5時まで、トロイ街のウッドワード葬儀会館で遺族、友人50名出席のもとに、第二部はその後、親族中心の10人余の内輪の集いとして行われました。いずれの場にも、故人の希望に基づく仏式の祈りが、近代都市の一角に自然に溶け込んでいました。
 第一部の式場で手渡されたリーフレット『アレンネルソンの思い出』の表を飾るのは、大阪の米澤俊氏作の油絵<アレン像>の縮小写真版 優しい口元の、オシャレなアレンの視線の先には・・・?

 進行役の 子息・ショーンさん(39歳)が、幼くして出会った育ての親・アレンさんへの回想から始まりました。 遺族や友人が次つぎと立って、故人の人柄を偲びます。アレンさんがその一員であるクエーカーの集会形式にのっとるものでした。

実の娘・ロビンさん(29歳)は、エイズ研究でドクターコースを修了したばかりの、アレンさんによれば「勝気な」女性。病床を見舞うたびに泣きじゃくるばかりだったと聞いていましたが、この日は、「なすべきことを果たした父は、今は安らかに眠る」と淡々と語りました。

その後、私が指名されて、日本列島を平和行脚してくれたアレンさんへの感謝を伝え、最後に三宅信一氏の英文弔辞を読み上げました。

1997年、来日2年目に矢臼別基地訪問をした直後に出された「貴方の息子アレンより」という故人の手紙を引用した後、「君をわが家族の一員として迎えたことを誇りに思う」と結ばれていました。

矢臼別はそれ以来、沖縄と共に故人の年毎の巡礼の二大聖地となりました。最後の15分間、真宗僧侶の佐野師の読経が、鉦の音に和して会場に流れました。「一人ひとりが故人と向き合うひと時」でした。

   日本から届けられた千羽鶴・寄せ書きに囲まれて  流れたアレンが歌う「アメージンググレース」

第二部の舞台は、アレンさんが入院直前の数週間を過ごした、マクダナフ通りの石造り3階建ての一階の部屋。苦痛のうめき声で「アネッタの休息を妨げたくない」と、自分のベッドだけを2階からここに移した「最期の闘い」の場でした

 ギタリスト、アレンの写真を正面に据え、日本から届けられていた千羽鶴や寄せ書き、お見舞い状、弔辞が周りの本棚や壁を飾り、ろうそく、線香などの仏式調度と共に、厳粛な中にも出席の人たちの気持ちを和ませる空間がありました。

佐野、嬉野両氏がアネッタさんと相談しながら、前日までに準備したもので、アネッタさんの説明を受けた遺族は感謝。読経する墨染めの佐野師の傍らに、瞑想合掌する石橋上人の黄の衣がよきコントラストをなしていました。

こらえきれなくなって嗚咽するアネッタさんの背を、ショーンさんが優しく撫でてあげるシーンがあり、師は蓮如上人の「白骨の書」を読み上げました。15世紀の日本の仏教指導者が自らの娘と妻を失った直後に、同じく別離の悲嘆にくれる人に宛てた手紙であるという説明に、頷く人も・・・。私は第一部で聞いたロビンさんの想いと重ねていました。

 機会を得て、アレンさんに寄せる嬉野さんの思いを私から紹介、皆さん頷きながら聞いてくれました。因みに彼女は、海兵隊員・ネルソン二等兵が駐留当時の沖縄に渡航、決死の報道を行った写真ジャーナリストで、30年後、一人のアメリカ市民として沖縄に戻ってきたアレンさんの平和のメッセージに強く共感、10年来、東京の自宅を提供して関東方面の講演に同行して来ました。

 憂愁のハーモニカを追って、ギターに乗ったアレンさんのアメージンググレ−スの深い声が参列者を包み、アネッタさんの涙の謝辞で幕となりました。

  追記

 寄せられた募金に、心から感謝

  遺骨は、故人が希望した日本に埋葬

6月25日(木)石川県加賀市の光闡坊で

 しのぶ会・アレン納骨の儀式

 

1)当世話人会の呼びかけに応えて短期間に寄せられた募金その他、<アレン支援>のご協力に心から御礼申し上げます。アレンさんの想い、そしてアレンさんへの思いの広がりを改めて感じています。

2)世話人会を通じてアネッタさんのもとへ届けられた募金総額は84,243ドル(8,134,790円)です。「いただいたお金は医療費、葬儀費用支払いに足りる充分な額であり、日本のみなさまに心からお礼を申し上げます」というアネッタさんの言葉をお伝えします。

  今もネットワークの元に届けられている基金の残余の部分(300万円超)については、「アレンの遺志に沿った形で活用してください」との未亡人の思いを生かしたいと思います。

 3)遺骨は、生前のアレンさんの希望に基づいて、日本に埋葬されることになりました。

6月25日(木)、来日のアネッタさんを迎えて、<偲ぶ会>を兼ねる<アレン納骨の儀式>を、石川県加賀市の光闡坊(コウセンボウ=佐野氏住寺)で行います。

 4)当世話人会はその日(6/25)をもって解散の予定です。


 
  追悼  アレンよ、安らかに。
              
                                       憲法9条・メッセージ・プロジェクト事務局一同

ああ、アレン・ネルソンよ。
あなたを忘れない。あなたと一緒に歩んだ道を忘れない。
生涯、底辺で苦悩しながらも、誠実に生き抜いた、あなた。
14年間も毎年、何度も来日し、日本の各地を歩いてくれた、あなた。
ある時は大都会で。ある時はへき地で、離島で…。
ある時は雪の降りしきる米軍基地や自衛隊基地のゲートで…。
あなたは身体を張って、ひたすら訴え続けた。
その歴史の真実――。
死のその瞬間まで、あなたは訴え続けた。

「もう世界から戦争と貧困をなくそうよ…」
「広島と長崎の平和資料館で、私は見た。残虐な核兵器で何十万もの罪もない人びとを無残に殺したアメリカの姿を。」
「私の愛するアメリカという国が、あの原爆を、女性や子どもやお年寄りが暮らしていた住宅や病院や学校の上に、無差別に投下した…という事実を、そのとき初めて知ったのです。」
「アメリカは、世界にテロ行為の見本を見せたのです。わがアメリカ政府こそが、国際テロの帝王なのです」

「戦後なん年もたつのに、日本には何故こんなに米軍基地があちこちにあるのか、訝しく思ってきました。」
「皆さんの中には、政府の言い分に惑わされて、『米軍が日本を外敵から守ってくれている』と信じている方もおられます」
「現実をしっかりと見つめて欲しいと思います。日本は『占領されている国』です。米軍は、日本の皆さんを守るために居るのではありません。日本の政府を抑えるために、牛耳るために、監視するために居るのです」
「みなさんの国は、真の民主主義国家とは言えません。いわば日本の政府は傀儡政権(操り人形)です。」

そして、あなたは、こう力説する。
「地球上のすべてに9条がほしい。」「改憲は、世界から希望の光を失う」
「どうか肝に銘じていただきたい。世界平和は、いったいどこから生まれてくるのか?  それは、ここに参加された一人ひとりの決意と行動から生まれるのです。人間は変わらねばなりません。一人ひとりが変われば、世界は必ず変わるのです」

 ありがとう、アレン・ネルソン!
 あなたが投げ続けてくれたメッセージは、K9MPがしっかりと受け止めています。

 世界は未曾有の大恐慌、大貧困。戦争とマネーゲームの行き着く果て。アメリカ発の大恐慌を醸し出した共犯者は日本。その混沌と惨憺たる結末は、いかなる風景を見せるのか?
 金融資本や軍産複合体による米日政府は、その脱出口を作ろうと、今また、戦争を準備しています。
 あなたの叫びを忘れません。あなたのねがいをけっして忘れません。しっかりと受け継いでゆきます!
 Yes. we can! (オバマ大統領)   そして I have a Dream!(キング牧師)

                                                  2009.3.26       憲法9条・メッセージ・プロジェクト(K9MP)


 
 アレンネルソン氏逝去 2009年3月25日午後10時19分 享年61歳 合掌   葬儀未定
Dear Jun san,
 
        It is with a sad heart that I must inform you and everyone in the peace network community that Allen san passed away on Wednesday night at 10:19 p.m. He fought a hard fight but in the end surrendered peacefully as I held his hand when he took his last breath. 
 
    I was with him on Tuesday night until 11:30 p.m. After about 3 hours of sleep I received a call from his doctor on Wednesday morning telling me that I should come to the hospital. I was at the hospital for more than 12 hours during his very laborious struggle to hold on to this life.
 
    I am at peace because Allen has passed on to a place where there is no more pain. No more agony. No more suffering. May he rest in peace.
 
    Over the next few days we (his daughter and his son) will finalize arrangements for his funeral. I will keep you informed.
 
Love
annette
 
p.s. I received the MLK cd. right after sending you my last email, unfortunately he never got to hear it.

淳さん

悲しみに包まれていますが、アレンを支えてくださったピース・ネットワーク・コミュニティの皆さんにはお知らせしなければなりません。
アレンさんが水曜日の夜10:19 に亡くなりました。
苦しい闘いでしたが、最後には平穏に身をまかせ、私が彼の手を握る中で、息をひきとりました。

私は火曜日の夜11:30まで病院でアレンに付き添っていました。
3時間睡眠をとった後、水曜日の朝方になっていましたが、彼の主治医からすぐに病院へ来るようにと電話がありました。
彼が必死に生きようともがき苦しむ中、私は12時間以上、病院で付き添っていました。

私は平穏な気持ちでいます。なぜならアレンは痛みのない場所へと旅立ったからです。激しい苦痛、苦しみのない場所へ。
アレンの冥福を祈ります。

数日後にはアレンの娘と息子と私で彼の葬儀の準備をする予定です。その時はご連絡いたします。

愛をこめて、
アネッタ

追伸:前回のメールを送ったすぐ後に、MLK cdを受け取りました。残念ながら、アレンの耳には届きませんでした。



ご縁の皆様に

――アレンさんお見舞い報告(09・3・13)

                                  ANN世話人代表 平塚淳次郎
 3/8発―3/12帰着。同行は嬉野京子(東京)、宜野座映子(沖縄)、佐野明弘(石川)

みなさんから寄せられた手紙、千羽鶴などに「ありがとう!」「ありがとう!」
 「ここで会えるとは思ってもいなかった」「夢じゃないだろうね」
――3月8日、午後9時近く、アネッタ夫人の計らいで、一時帰宅中のブルックリンのお宅に不意打ちをかけた我々を迎えたアレンさんの声には、いつもの力強さはなかったが、椅子に腰掛けたまま、例の人懐っこい表情で一人一人にハッグを返してくれました。
みなさんから急きょ託された手紙・写真・寄せ書きや千羽鶴にひとつひとつ頷きながら、「ありがとう!」「ありがとう!」

治療費のこと
 全国から集まった約200万円を、20,000ドル小切手にして事前に送っておいた分に加えて、今回、沖縄(宜野座)、お寺関係(佐野)からの現金19,243ドルを合わせて、第三次カンパが四万ドル近く(約四百万円)になったことも、夫妻の最大の心配を解く良薬に――。
これで届けた総額は700万円突破です。未開封郵便の中から病院の封書を見つけたアネッタさんが開くと、1月20日から2月6日までの請求が、17,149・82ドル(約170万円)――「本当に助かっているよ!」とアレン。「おかげで病院への行き帰りにもバスじゃなくてタクシーで、と行ってくれるの」とアネッタ。
二日目、前々からアネッタが手筈をしていた、アレンの民間保険加入の認可通知が届く。果たしてどこまでの軽減になるか詳細は未定だが、とりあえず三月分から有効とのこと。


病状はどうなの?
 「前の週だったら、到底会うこともできなかったよ」とアレン。実はこの日も、我々が引き上げると同時にお二人は病院へ。アネッタの帰宅は午前一時になったという。
 翌日(3/9)午後、訪ねたブルックリン大学病院七階の病室のアレンは全くの別人でした。<面会人は二人まで>との範囲内で交代の見舞いに。低いうめき声を発しながらも、腫れ上がった脚をマッサージされるとGood!Good!と言いつつ浅い眠りに 。
 本人から請求して与えられた薬の効果か、少し痛みが治まったあと「こんな姿を見られたくなかったので・・・」と弱々しい笑顔。
 そもそも今回のニューヨーク行きは、アレンの同意の無いまま、アネッタの独断の招きに私たちが急きょ応じたものでした。今をおいて会ってもらう時は無い」という彼女の決断。
 一月初旬、<多発性骨髄腫。余命二ヶ月乃至六ヶ月>という診断を下したのがキングズ公立病院。2月の救急入院以後は、その病院と隣り合わせのこの大学病院に転院(因みに車で20分のここに対して、一時通った退役軍人病院は倍以上の距離)。ここの医師は、アレンの強靭な肉体に驚嘆しつつ、歩行は禁止。一方では、9日から三日間連続の放射線治療開始。期して待つべきか。


娘の結婚式に出ること、もう一度日本のみなさんに会いにいくこと
 我々の訪問の最終日(3/10)、「葬儀は頼むよ」と信頼を置く真宗僧侶の佐野に向かって、自ら淡々と「生の終末としての死を迎える覚悟はできている。娘のロビンが不憫だが・・・。」
 初日に皆の前で語った生への意欲との見事な統一。「第一目標は、夏のロビンの結婚式に出ること。第二は、もう一度日本のみなさんに会いに行くこと。三番目は北海道の親父(85歳の三宅信一氏)の年齢を目指すこと。」
アレンの願いを皆様と共に!                  合掌!

ご縁の皆様に

2009216  アレンネルソンネットワーク代表  平塚淳次郎

 <アレンネルソンさん病に倒れる> の呼びかけに応えてくださった皆様に、一ヶ月間の概略経過報告をお届けいたしまして、お礼に替えさせていただきます。

1)全国各地から寄せられた募金は、215日現在、400万円を突破しました。この10年余りの間に、アレンさんがいかに多くの人の心を繋いでくれたかを、そして、アレンさん個人への皆様の思いの深さを感じます。カンパに添えられたお便りに、思わず手を合わせるような日々が続いています。

2)213日、第二次送金をしました。第一次(1/27)との送金合計は約320万円です。アレンさんご夫妻にとって、それがどれほどの支えになったかは、下記ご両人からのメール(抄訳)をご覧ください。

 3)皆様のお見舞いのメールや寄せ書きが、力強い励ましになっている様子もうかがえます。多くの方のお便りにあるように、アレンさんが皆様の前に雄姿を見せる日が実現することを願うばかりです。

4)しかし、40年前のベトナム戦争時に浴びた枯葉剤に起因するといわれる病の性格からも、文面から伺える体調の現状からも、私達の心配に変わりはありません。引き続きご協力をお願いいたします。

 

アネッタ夫人からの通信2/1付、第一次送金直後〉

 私たちが想像し得なかった圧倒的な規模の応援に、深く感謝

 アカベ(神の愛)≠ノ感謝

 アレン支援ネットワーク、そして、日本と沖縄のすべての方々にお礼を申し上げます。 あらゆる人に希望のメッセージを届けようと、人生を費やしてきた一人の人間の窮地に、みなさんが、これほどまでに応えてくださったことを感謝いたします。後年になってから日本と縁ができたアレンは、病んだ体にもかかわらず、平和のメッセージを届ける人道的な活動に十年以上尽くしてきました。

 今回のことに強く道義心を感じ、私たちが想像しえなかったような圧倒的な規模で応えて下さったすべての人々に、慎んで深く感謝したいと思います。

 みなさんが示して下さった愛を表現する言葉は見つかりませんが、祈りながら言葉にしています。ギリシャ語に愛を意味する「アガペ」という言葉がありますが、これは、ロマンチックな愛ではなく、神の愛を意味します。みなさんがしてくださったことは、このアガペの実行だと思います。神の愛の現れです。・・・

 アレン本人が出したメールの中ではお伝えしませんでしたが、彼が退役兵士局の担当者と会って話した結果、今回の病気に関して何らかの 賠償金を受け取る資格の有無を見きわめるのには、約六ヶ月かかると言われたそうです。帰宅したアレンはとても落ち込んでいて、私が良い知らせを用意して待っていたことに気づきませんでした。

 日本からの救援金が届いたという良い知らせを伝えて、彼の気持ちを明るくすることができた私はとても幸せでした。

 神はなんと愛に満ちてやさしいのでしょう。宇宙はなんと思いやりにあふれているのでしょう。異なる名前でどう呼ぼうとも、すべてのも  のが属するその偉大な存在の使い手に、みなさんがなってくださったことを本当に感謝します。

 

アレンさんの第二信2/13付、第二次送金と入れ違い〉

 日本でも失業者が増え、経済的に苦労されている人が多いことがわかります。

 多くの人が無理をしてでも、私のためにお金を送ってくださっていることを肝に銘じています。

 

アレンです。返事が遅くなりました。少し調子の良い日もあるのですが,メールをする元気がでないのです。日本の皆様によろしくお伝えください。

下記の報告によって、医療費の概要は少し判ってもらえるでしょうか。

アネッタは本当によく世話をしてくれます――治療のための通院の送り迎えから、寒い雪の日に薬を買いにドラッグストアへ出かけるなど大変です。お尋ねの治療費以外に、私分の生活費、つまり食費、居住負担分、通院の交通費などに、月々最低2,500ドルは必要となります。

どれくらい必要か、という意味のご質問だとすれば、なかなか答えにくいことです。できるだけのことをしていただくだけで感謝です。日本から送っていただく「救援資金」によって、賠償金請求に諾否の回答が出るまで何とか乗りきれればと思っています。六ヶ月ぐらいかかると言われたのです。

日本全国から何百通ものお便りが届いています。本当に嬉しくなります。これほど多くの人が、私の快復を祈ってくれていると思うと病状について希望がわいてきます。

日本経済に関する新聞記事を読んでいると、多くの人が解雇され失業しているとありました。このアメリカと同じく、日本でも失業者が増え、経済的に苦労している人が多いことがわかります。多くの人が無理をしてでも、私のためにお金を送ってくださっていることを肝に銘じています。Peace & Love Allen

医療費報告 

200812月、ロングアイランド大学病院

病院請求:5,78091ドル、放射線治療:520ドル、EKG5ドル、計6,35091ドル(=約57万円)

20091月、郡立病院、ブルックリン大学病院(病院の請求未着)

治療費:2,288ドル(=約20万円)

 


平塚さんより 第2報(09116日)

 アレン・ネルソンさんの病状について アネッタ夫人から手紙

  アレン・ネルソンさんが倒れたの知らせに、早速、多くの方から、心配する声を寄せていただきました。ありがとうございました。関西ネットワークの平塚順次郎さんから、アネッタ夫人の手紙とともに、あらためて支援のお願いが届きましたので、お知らせします。
                                                              

 
 アネッタ夫人からの通信(1/10付)の一部を紹介します


 アレンのガンは彼がベトナムにいたときに起因しており、それは枯れ葉剤と関係している、ということです。体内に取り込まれた枯れ葉剤の毒は、何十年もかかって発病するのです。

 私は、ニューヨークとニュージャージーにいる私とアレンの友人たちと支援グループを立ち上げ、アメリカ政府にアレンの状況を訴えようと思います。ベトナム戦争だけでなく、第二次世界大戦、そしておそらくは朝鮮戦争でも、戦争に行った男たちの中にはこの多発性骨髄腫で苦しんでいる人がたくさんいます。フロリダにはサポートグループがあり、そこにはアレンのような経験をした人たちが多くいます。
アレンの担当医から、アレンが入院している病院の同じ階には、彼と同じガン患者があと五人いると聞きました。
 平和と政府補償、そして彼の治癒を求める闘いはまだ続きます。
どうか、私たちの信念と希望が生き続けますように。

アネッタより


         治療費カンパのお願い!   アレンネルソン関西ネットワーク 平塚淳次郎

 
 がんばれ! アレン・ネルソン!   
             
 病に倒れたアレンに激励を

 「多発性骨髄腫」「余命2〜6ヶ月」「血液および骨髄に悪性の癌」

 1月10日朝、アレン・ネルソン関西ネットワークの平塚淳次郎さんより、辛い便りメール(全文リンク)が届きました。

 アメリカの医療費は高いので、「いずれカンパなど、お願いすることもあるかと思いますが取りあえず、第一報」とのことでした。ぜひ、アレン・ネルソンさんに励ましのメッセージを送ってください。

 
地球上のすべての国に「9条」がほしい!は、アレンの心からの叫び

 メールに書かれているように、アレン・ネルソンさんの、十四年にわたる日本での講演活動は、実に頭の下がるものです。ベトナムから帰還後、長い間、戦争後遺症に苦しみ、その語りがたい体験を通して、「平和の尊さ」を説きました。まさにアレンさんの戦後の人生をかけた戦いでした。

 アレンさんに負けない活動を今こそ

 日本国憲法と人々の暮らしが未曾有の危機に瀕している今、その渦中にいる私たちは、アレンさんに勝る活動が出来ているか? もっともっと知恵と勇気と行動力が求められているのでは。私たちは、アレンさんに心からの感謝と敬意を示すべきだと思います。

 アレンさん支援の知恵を貸してください。

                     
ご縁の皆様に 平塚淳次郎



                                       January 11, 2009
Dear Mr.Allen Nelson,

 Yesterday, on the 10th of January, I received an unexpected fax from Mr. Hiratuka Jyunjirou.
 We are deeply concerned about your health. We pray from the bottom of our hearts that you will overcome someday in the near future with the help of your indomitable spirit.
 How thankful we are for your passionate appealing lecture tour throughtout our country for world peace and for the Constitution of Japan, encouraging tens of thousands of grass-roots people.
 We are looking forward to seeing you once again in our country. Deep in our hearts we do believe we shall overcome someday.
 Good luck.
             Peace and love, SUDA Minoru


              Article 9 Message Project
                    Representative ANZAI Ikurou
                  Secretary-General SUDA Minoru
                  Editor-in -Chief SIBANO Tetuo
                      Managers IZUBUTI Tokiko
                              INOUE Yosiki


    

 http://www.indybay.org/newsitems/2009/02/02/18567572.php


 兵庫県川西市在住の独立ジャーナリスト、ブライアン・オークボ・カヴァート氏が、2008年2月14日宝塚市でアレン・ネルソンさんをインタヴュー。その記事を2009年2月5日、K9MPに送信。須田事務局長が読みましたが、3分の1ほどは、須田が監修し、かもがわ出版から2006年に出した”TO END THE MISERY OF WAR FOREVER No Reconciliation , No Peace アレン・ネルソンの「戦争論」V”からの引用ですし、残りの大部分はK9MPのブックレット『そのとき、赤ん坊が私の手の中に』にも記録されています。それで、「初耳」と思われる部分だけ紹介します。写真も初めて見るものです。

     
《オバマへのメッセージ》
 再婚したアレン・ネルソンには、成人になった実の息子と娘がいる。アレンはこの子どもたちを誇らしく思っている。
 このインタヴューは日本の宝塚で2008年2月のことだったが、イラクとアフガニスタンでの戦争が激化していて、ネルソンは自分のような平和活動者の出番だと覚悟していた。

「軍部は始末に負えなくなってる」と彼。「つまりだ、アイゼンハウアー大統領が『軍産複合体に要注意だ』と言ったよね。そいつが僕らの社会を牛耳ってきたわけ。もっとカネ、もっとカネ、もっとカネ、とね。ジョージ・ブッシュが欲しがって、イラクで使いまくってる。僕が高校に入れたけど、先生たちはチョークなし、教科書もなし、このこと思うとね。」

 ネルソンはそのころ、イリノイ州選出の新参上院議員バラク・オバマの選挙運動で支援のボランティア活動にも忙しかった。大統領に立候補したアフリカ系アメリカ人のことを語るとき、「信じられるかい?」と言うのだった。「オバマに希望を託してるんだ。
 彼の考えを実行して国の進路を変えて、アメリカ人であることが誇れるようにしてほしいんだよな。今は、恥ずかしいもんね。」

 ネルソンは、選挙運動中のバラク・オバマに手紙を書き送った。「あなたは、イラクから軍隊を引き揚げると言ったけど、イラクからだけじゃなく至る所から、沖縄からも日本本土からも、ドイツからもイングランドからも、駐留させてるところ全部から、そうしてほしい。兵士をみんなアメリカへ帰してやってほしい。生きてく場所はアメリカなんだから」 と。

《エピローグ》
 彼のヴェトナムでの体験を理解し、なぜ公然と反戦に起ち上がる必要があるのか、その気持ちを受け入れてくれる人、それは、ネルソンによると、今は80歳代になった彼のお母さんなのだ。「おふくろはね」と、長い間をおいてから語る。「ヴェトナムへ行った男の子が欲しい。僕じゃなくてね。その子のことは知ってる。どんな子かは知ってた。とっても従順で、おふくろにはうらおもてがなくてね。おふくろにとって、まなむすこ。娘三人と息子は彼一人。ぼくは、その彼を連れ戻せなかったんだよな。連れて帰りたくなかったんだ。その彼はさ、暴力を信奉していたんだ。彼の責任でもなかったけど・・・」。

 路上の暴力沙汰で育った子ども、海を越えた戦闘地域で赤ん坊をとりあげた10代の兵士、帰国して戦争のトラウマと格闘する夫であり父親である人間、そして今、平和と非暴力について訴えることで少しは安らぎを得ている歳とった男――これがアレン・ネルソンの物語。

 ネルソンの話の焦点が戦争の極限状況に絞られる時、それは同時に、戦争の惨禍から癒される可能性も示している。ここに、日本、アメリカ、その他の若い人たちのための教訓があるとすれば、多分こういうことだろうか。暴力の連環を進めるのに使う資源とエネルギーは、強固で安定した平和な社会を築くのに使えば、うんと有益なのだ・・・そして一人ひとりがこの営みのなかで果たす役割を持っているのだということ。それは、ネルソンが世界のどこで語ろうと、彼が生きてきた人生の語りを通じて若い人びとにも響くメッセージなのだ。
                Brian Ohkubo Covert, an independent
journalist based in Hyogo, Japan 須田 稔 訳




A Message for Obama
Allen Nelson, now remarried, has two grown children of his own, a son and daughter of whom he is outwardly proud. At the time of this interview in February 2008 in Takarazuka, Japan, the wars in Iraq and Afghanistan were still raging and Nelson knew that peace activists like himself had their work cut out for them.

“The military is totally out of control right now,” he says. “I mean, [former U.S. president Dwight] Eisenhower said: ‘Beware of the military-industrial complex’. It has really dominated our society, and they want mo’ money, mo’ money, mo’ money. What George Bush is asking, what we’re spending in Iraq ? I mean, when you think of the fact that I could go into a high school and the teachers have no chalk…no textbooks….”

Nelson was also busy at the time doing local volunteer work for the campaign of Barack Obama, the junior senator from the state of Illinois. “Can you believe it?” Nelson asks almost incredulously, when talking about the African-American candidate then running for the U.S. presidency. “I have a lot of hope in Obama…. I’m hoping that Obama can come in with his ideas, move our country in another direction so that we can be proud to be Americans. Right now, I’m really embarrassed, you know?”

Nelson himself had a message for Barack Obama, in a letter he says he wrote and sent to Obama during the campaign: “I reminded him that he said that he would remove the troops from Iraq. But I said ‘not only please remove the troops from Iraq, but remove the troops from everywhere’ ? from Okinawa, from mainland Japan, from Germany, from England ? from all the places that we have. Please bring these people back home to America. This is where they belong.”


Epilogue
One person who has had a tough time understanding his experiences in Vietnam and accepting why he needs to stand up publicly against war, according to Nelson, is his mother, now in her 80s. “My mom,” Nelson says, pausing a long moment, “…wants the boy who went to Vietnam. She wants him ? not me. She knows him, she knew how he was: He was very obedient and very true to her, you know. He was her boy. She had three girls and only him. …And I couldn’t bring ‘him’ back. Couldn’t bring him back, man. I didn’t want to bring him back. He was a person who believed in violence. And it wasn’t so much his fault....”

A child raised on street violence, a teenage soldier delivering a baby in a war zone overseas, a husband and father dealing with war trauma back home, and now an elder finding some consolation in spreading the word about peace and nonviolence ? this is Allen Nelson’s story.

While Nelson’s story brings into sharp focus the extremes of war, at the same time it also shows the possibilities of healing from war. If there is a lesson in it for young people today in Japan, the United States and elsewhere, it is perhaps that the resources and energies used in carrying on the cycles of violence would be better used instead to build strong, stable, peaceful societies ? and that each person has a role to play in doing this. It is a message that still resonates with young people today through Nelson’s telling of his own life story, wherever in the world he happens to speak.