下高野街道更新:09'06.28

下高野街道
大阪にある四つの高野詣の街道の一つで、天王寺から南下し、狭山池の西北端で西高野街道福町から狭山に向かう甘山街道に合流、約700m東の狭山池北東端の半田で、河内に入ってから東の方で並行してはしっていた、中高野街道と合流して高野山に向かう(狭山池の西北端から甘山街道のルートで西南に進み、福町で西高野街道と合流とする第2のルートもある)。
江戸初期、正保の河内絵図では、東、中、西の高野街道は太線で描かれているが下高野街道は村をつなぐ細線として描かれている、河内志(五畿内志)では、東高野を官道として紀ノ路または古路という、中高野を間道としてあげ、狭山道という。西高野は和泉志に間道としてあげ、高野道と云うとするが下高野はあげられていないので、高野詣でとしての利用は4街道の内では最も重要度が低い街道と思われる 、しかし、この路は古代の難波宮から飛鳥に向かう丹比道(難波大道とも称す部分)のルートに酷似しているのがおもしろい。
下高野の名は明治の大阪府の道路制に登場し、起点を南河内郡野田村大字北野田の甘山街道として、東成郡天王寺村を終点とする4里3町とする。
なお本HPでの中高野街道を上高野街道と呼び、この下高野街道と2つあわせての総称を中高野街道と呼ぶ、ところ、ときがある、そこでは、時には下高野街道を中高野街道ということがある。
下高野街道のルート(詳細は最下段の現在、街道の風景を参照)
下高野街道は、天王寺から庚申街道と呼ばれる道で阿倍野文の里に、ここから更に南下、田辺の八坂神社付近で、寺田町からの東ルートと合流し、鷹合を通り、矢田(文献によるとこの間、長居公園を横断する西ルートもあったようだ)で河内に入り、大和川に架かる下高野大橋を渡る(300年あまり前は大和川はなかったので橋も無い、また橋が架かるまでは、あま岸の渡しと言われた)、阿麻美許曽神社を過ぎ松原市に入る、天美東で、西除川の堤防にでる、少し右岸を歩き川を渡り左岸を進む、布忍神社、宮橋を過ぎると長尾街道の布忍橋に至る、長尾街道を横切り、西除川から離れ布忍、河合を通り野遠で竹内街道を横切る、八下、美原を抜け狭山池の北西端に至る。

ここから高野山へは狭山池の北端をとおり、狭山新町にて中高野街道に合流し楠町(現地名)で堺からの西高野街道に合流するルートと、狭山池の北西端から南下、岩室で堺からの西高野街道に合流するルートの2つがある、この西高野街道は河内長野で八幡からの生駒山麓の道、東高野街道に合流して、北村、上田、三日市、新田、石仏、流谷、天見、紀見峠を越え、紀州伊都郡橋本、高野口、慈尊院が登山口の町石登山道ルートで高野山大門に至る。


現在、街道の風景--06'7.22から開始06'12.19天王寺から狭山市中高野街道合流点、西高野街道合流点まで全線踏破
(1)天王寺域風景へ   ルート図へ天王寺から田辺、全域完成、最終確認06'12.4
(2)東住吉域風景へ   ルート図へ田辺から矢田、全域完成、最終確認06'12.4
(3)松原市域風景へ   ルート図へ
天美から河合、全域完成、最終確認06'10.29
(4)堺市域風景へ    ルート図へ野遠から南余部、全域完成、最終確認06'12.11
(5)大阪狭山市域風景へ ルート図へ北野田から半田及び今熊、全域完成、最終確認06'12.19

東(寺田町)ルート--09'6.28作成
(6)大阪市域風景へ   ルート図へ田辺から寺田町、完成、最終確認09'6.08


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