はじめに

今まで河内松原の散歩は、特に目的をもたずに行き、鳥がおれば鳥、蝶がおれば蝶の写真を撮り掲載していたが、山に行きたくない雨の日が続き、古い街道を歩くや、松原の文化財を見る目的で歩くようになったので、山歩きや、鳥観察日記はあるが、その状況を日記風に書く場所が無いのでこれをつくる。

6月4日松原の三角点

1/2万5千の地形図を見ていて松原にも三角点があるのに気づき、行ってみた 一つは、西大海池の東端岸の北側にある、地形図によると他に第三中学校内と河内大塚古墳にあるが、そばまで行くが自由に入れないので未確認

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6月10日長尾街道、松原東部

6月7日に竹内峠から長尾神社まで竹内街道を歩いたを契機に、街道について、調べてみた、梅雨に入り天気が不安定なので山歩きを中断し、晴れ間をみて、松原の江戸期からある街道の景色を記録することにした、手始めに、国道309号線以東(松原11から松原24)の長尾街道を歩く、ここは車が多く、危険でうっとしいので、車や自転車では、通るが普段の散歩では通らない道なので、早朝、6時前に歩く、さすがに車は無い。

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6月16日竹内街道、松原市域

竹内街道は二上山歩きではお馴染みの道で上の太子駅から長尾神社までの道は何回かに分けてでは有るが、すでに歩いている、松原市域の道は車では何回か通っているが、今回は、はじめて。
松原市域(松原1から松原9)はこの辺りの東西の距離が狭く約1kmほどしかない。

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6月20日長尾街道、松原西部と堺東部

今回は長距離で土地感の少ない道なので自転車で行く、堺は行基橋ー蔵前の道まで、ここが基点と勘違いでUターン

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6月21日西除川遊歩道、布忍橋東詰の地蔵

新堂5丁目に新しい公園ができたと松原市の公報に載っていたので見に行く、ついでに、松原市教育委員会の資料に載っていた布忍橋東詰の道標(地蔵尊)を探したが みつからない。

6月27日中高野街道、旧道松原南、丹南天満宮

河内松原駅からの南の高野街道は大正期に新道ができた、新道は車で通るので知っているが、旧道ははっきり知らない、資料を参考に行く、加えて、丹南天満宮にも行く、新堂付近は昭和50年頃に何回か通り記憶が有るが、水路が埋め立てられ土壁の家がほとんどなくなり、道が明るくなったように感じる
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6月29日中高野街道、平野

今回も自転車で、平野、喜連、瓜破の中高野街道付近は、中学生のころの日常の行動範囲にあった地域で久しぶりに行く、平野は岸和田のだんじりに、負けるとも劣らない杭全神社の祭りの準備に入っていた。
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7月3日中高野街道、岡から丹南の旧道をみなおし、十二社権現宮さがし

出岡弁才天と十二社権現宮を見に行くと共に河内松原駅からの南の旧中高野街道のルートの内、岡のところが写真と資料と違っているのが判ったので修正に行く。
出岡弁才天の所在地はすぐに判ったが、市販の地図には載っていない十二社権現宮は判らなかった。

7月6日中高野街道、出岡弁才天、十二社権現宮

再び出岡弁才天と十二社権現宮を見に行く、新堂の家にいる人三人に聞いて やっと十二社権現宮をみつける。

十二社権現宮の頁へ 出岡弁才天の頁へ

7月15日正井殿と高見神社、追分地蔵

松原市の神社に、正井殿と高見神社があることが判ったので見に行く。
高見神社の頁へ 正井殿の頁へ

道標をまとめようと高見の追分地蔵をも見に行くと共に住吉街道らしきところを歩く 地蔵尊の頁へ

7月16日長尾街道、一津屋の地蔵

一津屋の長尾街道にある道標の地蔵を探しに行く、前回は地蔵堂があるものとして探したので見つからなかったようだ。
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7月22日下高野街道、八幡神社、城連寺の地蔵

河内天美駅まで電車で行き、阪南大学前を北に進み、城連寺(天美北)の最勝寺前の地蔵尊を見て、更に北へ大和川の堤防にでる、堤防を北に進み、下高野街道にでて、天美コソ神社に寄り、南下、油上、畑で「松原市文化財分布図2001」に載っている石薬師社を探すが図の位置にある神社は名前が八幡神社になっている、近所の人に聞くが??? 八幡神社へ

7月29日二見龍王大神

上田、旧中高野街道の一筋東側の道にある、地蔵尊もある
二見龍王大神へ

7月30日下高野街道と長尾街道交差点の地蔵と池内の地蔵、

下高野街道の池内の地蔵は7/22に見にいったが、見つからなかった、地蔵堂があるものとして探したので、見つからなかったようだ。今回はどちらもすぐに、見つかった
下高野街道と長尾街道交差点の地蔵尊へ 池内の標識兼用地蔵尊へ

7月31日三宅、別所の墓地にある地蔵尊

ここは、東大海池の北側で、定番散歩道のコースでよく通る、地蔵尊が墓地内と判らず探していたが、墓地内にあることが判明したので、散歩中にさがしてみた、地蔵尊が沢山あるので、よくわからないが、それらしいものを撮影する
地蔵尊へ

8月10日天美我堂にある地蔵尊

今日、近くを車で通ったので寄ってみた、住宅会社のところの旧集落の北口に車を止めて見に行く
地蔵尊へ

8月13日長尾街道、堺西部

今日は堺、花田口の起点から蔵前までを歩きに行く、河内松原駅前から堺東駅まで南海バス(20分間隔)で府道12号を行く、初めは2人が途中から満員になる、JR堺駅でほとんど降りたが、
堺東駅からザビエル公園、またの名、戎公園をめざす、公園には、長尾街道に関するものは、何も無い、
公園の南東角交差点、チンチン電車路を東に渡ると長尾街道の起点らしい、ここより東にしばらく歩くと阪神高速堺線の高架下の交差点に出る、ここを渡り進むこの辺りにも、長尾街道に関する標識は無い、堺東高島屋の角が見える交差点にでると人通りが多くなる、ここを渡ると前方に、線路が建物の隙間から見え、人しか通れない小さなトンネルの入口と方違い神社の方向を示す看板が見える、よくみると、カンバンの横に長尾街道を示す新しい石柱がある、トンネルを抜け左に進むと府道12号に合流すると法違神社がある、この手前の幼稚園の方向を示す看板のある細い道を右折すると約250m先に反正天皇陵の正面にでる。
神社から12号を進む、次の交叉点では12号から別れJR堺駅方向に真っ直ぐ進む、広い歩道を行きJR堺駅を左にみて踏み切りを渡ると、商店街の門が有り門柱に長尾街道の表示がある、これよりあとは東方向にまっすぐ道なりに進めば松原市までは、長尾街道からはずれることはない。
今日は松原まで歩く予定であったが暑くて蔵前で、12号線に出てバスで帰る。
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8月19日長尾街道、羽曳野、藤井寺

今日は曇り、午後二時ごろより自転車で行く、この暑さでは歩いては、このあたりは、あまり行かないが、全く土地勘のないところではない、允恭天皇陵の周りを走ったが正面が何処かわからなった。
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9月1日長尾街道、藤井寺、柏原

今日は、8月19日と同じように自転車で、午後1時頃でかける、風が当たれば半袖では寒いくらい19日とはえらい違い、旧170号交叉点までは一気に行く、允恭天皇陵の正面は?と通行人のお姉さんに聞くが??、府12号にでる道がたくさんあるので、迷う、府12号に出ればあとは一気に、駒ヶ谷への府27号交叉点まで行ってしまう、此処で左に曲がり大和川方面の小橋にでて、右に曲がり近鉄の踏み切りを渡り、国道25号国豊橋南詰交叉点に出る、帰りはこの12号の北側道を通る
国分の奈良街道からの新道分岐で右折し新道?(国分小学校の西横を通る)で
春日神社に行き、引き返して、 古い道標と説明版のある旧道分岐?に行き説明板に記載の路で春日神社まで行く、国道170号以東では、以西ではほとんどない坂が現われ、自転車を押して歩く所もでてくる。

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9月8日長尾街道、香芝、葛城

当麻寺駅から二上山駅まで、気分が良ければ教育大学まで、長尾街道を歩く予定 ででかける、朝は遅くなって10時33分の電車になる、駅より快晴で暑くはあるが、前回、堺ほどではなく山もきれいにみえる、大和街道よりやや東南なので二上山が綺麗に見える、気分よく行くが、磯壁の集落に入ってカメラの電池が切れる、予備の電池に替えるが、すぐに切れる。とたんに気分が悪くなり、道も間違うし、汗も出てくる、二上山駅に着き周辺を歩き早くかえる

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9月20日竹内街道、羽曳野西

竹内街道を松原、立部から行く、自宅からママチャリ自転車行きです。土地勘のない道なので下調べは充分、野中寺への常夜灯や説明板のある交叉点で、私と同じスタイルで走る、人をみかける、山では気楽に声をかけられるが、町ではかけにくく、話はしない、目的地の石川まで行く、帰りは東高野街道で誉田神社へ、応神天皇陵から墓山古墳を通り、藤井寺へ行くつもりが道明寺駅へでる、ここより長尾街道で帰る。帰ってみると軽里から旧国道170号までの道間違って走ったことが判る

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9月22日竹内街道、堺

自転車で出発、行きは、長尾街道で方違神社まで行き、反正天皇陵を通り、榎元町四丁目の西高野街道との分岐点に行く、途中天美我堂の空き地に白鷺一羽とケリが二羽いる、えーこんな所に、と思う、黒土の集落に入るところと、河内域のNo4の長曽根の集落に入るところで、少し迷うが順調に進む、この辺は住宅地開発中や道が広くなっていきつつある、ところ竹内街道は茶色の舗装色で区別をしてくれているところが多いので、判り易いのだがこの辺は一般道、後は順調に進む、堺市内では平成に入って創られた竹内街道と記した石柱が数百mおきにあるので、ルートを間違うと比較的早く気がつく。。

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9月25日竹内街道、羽曳野東と太子町

古市駅から歩く、このコースは石川から太子町春日西交差点までは、国道166号であるので標識がある、その先もハイキングコースになっているので、道が判りやすい。
飛鳥部神社へのは、「現在街道の風景」のまとめと異なり、上の太子駅の墓の横を南に行くコースで行ったので、神社の境内が想像より小さかったので、場所を地元の人に聞いた。
山道を歩くと挨拶や声をかけられるが、街道ではないが、このコースでは、駒ヶ谷小学校付近と太子春日で声をかけられる。

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10月3日古市街道1)平野、松原、藤井寺北

自転車で行く、コースの半分以上は昔通っている、地元松原のジャンクションで一瞬、道が判らなくなる。
津堂城山古墳周辺は公園になっているせいか、一般に古墳は木が茂っていて暗い感じだが、天気のせいかこの古墳は明るく感じる。

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10月9日古市街道2)藤井寺南、羽曳野

自転車で松原ジャンクション下からコースに入る、津堂で古墳西の道を、長尾街道まで、間違い、一つ手前の道を行く
藤井寺商店街でお好み焼き、焼きそばの屋台で、お好み焼きを買って食べる。
宮山古墳と狭山古墳の間の道で、古墳の名前を地元のおばさんに聞くが、いつもどうり???、しかし、羽曳野市に入る交叉点で 道が思ったより幅が狭かったのと、人がいたので、誉田八幡神社への道を聞くと、めずらしく、的確な答えをもらう。
帰りは竹内街道で立部まで帰る、今度は白鳥陵の傍を通るコース、このコースは軍国華やかしき頃??の天皇陵をめぐるコースでもある??。

このときの記録で、10月13日に竹内街道羽曳野市西域の現在の風景とルート図を変更した。

古市街道、藤井寺羽曳野のルート図へ

10月27日下高野街道、松原

大和川、下高野大橋から下高野街道を主な分岐点をカメラにおさめながら、南下、長尾街道に合流する布忍橋を渡り、西詰の休憩スポットで休憩していると上流に小群のカモらしい鳥がいるのが見えたので、左岸の遊歩道を上流に歩き撮影、 更に、河合から堺市野遠の竹内街道交叉点に行き、中央環状交叉点から引き返す。

10月29日下高野街道、松原2,綾姫大神、龍王大神

27日のルートのうち、布忍神社手前の道及び、野遠集落でのルートが違っていたので、西除川、高木橋から中央環状線まで、もう一度歩く。 新布忍橋の西詰の南に龍王大神と綾姫大神を祀る社があったので撮影。

下高野街道松原ルート図へ

大龍大神へ

11月13日中、下高野街道、美原

自転車で丹南へ、ここより中高野街道に入る、真福寺集落に入り同じ、所をうろうろし、写真を写していると、犬の散歩のおばさんに、声をかけられる、あやしく、思ったのか、ここより写真を写しながら中高野街道を船渡池まで進み、富田林街道で堺方面に、北余部まで行き、下高野街道に入り北に進み中央環状線、八下集落まで行く。
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11月22日三宅、酒屋神社跡、酒倉大神

大和川までの散歩で、松原高校から三宅集落に入り、番屋の辻にでて、酒屋神社跡に初めて行ってみた。
跡地には何も無いと思っていたが、酒倉大神の小社と、石で造った立派な説明盤が建てられていた。
酒倉大神へ

12月4日下高野街道、天王寺から矢田へ

天王寺中学校裏から庚申街道を南下、阿倍野区役所、文の里、桃ヶ池、法楽寺(田辺不動)を経て鷹合から大和川まで歩く、ここから矢田駅にから引き返し近鉄で松原へ帰る。天王寺を10時前にスタート、矢田駅14時30、写真を撮りながらぶらぶら歩きなのであまり、運動には成らない。法楽寺で難波大道の標識をみる。難波大道へ

庚申街道といえば阿倍野筋4丁目から美章園を経て、杭全交叉点で国道25号に出る道に庚申街道というバス停(今は阿倍野筋商店街)が昭和40年代にあった事を思い出す、母の実家が矢田、妻の実家が桑津、父の妹の嫁ぎ先が田辺、瓜破から平野、杭全、美章園、のルートでバス通勤した時期があったのでこのルートは昔から知っている、いわゆる土地勘のあるところであるが、田辺の中心街は南北に抜ける自動車道ができるなどと共に地名も股ヶ池が桃ヶ池に変わるなどで、昔の面影はほとんど無い。

昔の街道を歩くときは、下調べが完全で無いと、現地で聞いても知っている人は皆無である、文の里の明浄高校てまえで、腹がへったので饅頭を買って、和菓子やなので古い店とみて、この通りは高野街道か?と聞いたが、商店街やの答え。

下高野街道ルート図へ

12月11日中&下高野街道美原、狭山

近鉄バスで河内松原駅から平尾道バス停(国道309号北余部交叉点)まで行き、中高野街道で南下、途中菅生集落の道を行き菅生神社に寄り、大阪狭山市駅まで行く、帰りは、下高野街道(1部は甘山街道とも呼ぶ)狭山池の北端堤路で狭山池北交叉点まで行き、ここより北へ狭山池尻、堺野田の集落を抜け余部に行く、余部南交叉点で右折、富田林街道を東へ「近鉄バス余部バス停」へ、ここよりバスで河内松原駅に帰る。

河内ふるさとの道「3.憩いの公園と史跡探訪ルート」に菅生神社があるせいか、菅生神社で、ハイカーらしきグループに逢う、山では気軽に挨拶するが、平地では、あまりしない、なぜか?。舟渡池及び狭山池は公園遊歩道で明るい親水公園一度は見てみては、という所です。岩湧山などの和泉山地が背景に綺麗にみえる、水鳥は少ない。
河内ふるさとの道の正体はこちら

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12月19日中&下高野街道、狭山、富田林、長野

今日は、南海金剛駅からバスで狭山西小学校前バス停へ、ここより下高野街道 と西高野街道の合流点に行き甘山街道(下高野街道)で、狭山市駅まで歩き、ここより中高野街道で河内長野市楠木町の西高野街道と合流点まで歩く、更に西高野街道で河内長野駅まで歩く。

金剛駅と滝谷駅の間、富田林市伏山で、大規模な住宅地が造成中で中高野街道の道と思っている道が消失している(実際は道を広げられルートを変えられているようだが、この道が造成中で通行止めになっていた)ので、西よりの道で須賀の集落に入り、通りかかったおばさんに聞き(珍しく親切に教えてくれた)滝谷駅まで行き、地図上で判らなくなった道を見つけ、造成中の場所まで引き返してみると造成中の地の手前で、あんのじょう、通行止めと、なっていた。

河内長野市楠木町の西高野街道と合流点で誤り、小山田方面に進んで、寺ケ池で引き返すロスもあった。このときも、通りかかった、よく散歩していそうなおじいさんに聞くと、親切に教えてくれた、河内長野人は親切なのか、他で、道を聞たが、いい加減な回答が多かった。

「大阪狭山市駅」踏み切り前の地蔵尊や道標の前にバイクがとめてあるのにびっくりしたが、今日は、前には止めていなくて、両脇にとめてあるバイクも整然と並べられているので、嫌悪感はなかった。よく見ると、バイク屋の前。

12月27日三宅の住吉祠 & 中高野街道の唄

松原市教育委員会昭和44年刊の「松原市の史跡」三宅編を読んでいると三宅の西に住吉大社から勧進した祠があると記載されていたので、散歩がてらに、探しに行く、この種の本では、場所が明確に記載されていないのが多く、例に漏れず三宅の西部としか書いていない、しかし、今回は見当をつけたところにあったので、すぐに見つけられた。

同書に記載されていた村童達が唄ったであろう「中高野街道の歌」を紹介しよう
日本一の狭山池、南にあるのに東野で、すごい(菅生)黒媛山(黒山)に登ったら、大分(大保)つかれましたが、真福寺か丹南の来迎寺でひと休み、つぎは岡なの、しんどい(新堂)な、反正山すぎれば うれしいな、阿保茶屋でいっぷくさ、一里山の三宅を通れば瓜わっと(瓜破)、きれいな(喜連)平野の奈良街道・・・・
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2006年の街道観察日記

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