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一大率・ 難升米の読み方と 白日別の意味 |
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「難升米」と「帥升」 |
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| 「難升米」の「米」は「大目」のことである |
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| 「魏志倭人伝」と「古事記」 |
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「
帥升」は、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)ではなく、中国の正史・後漢書の中に出てくる人物である。「帥升」の読み方を述べる前に、とりあえずは通称どおり(すいしょう)としておこう。|
中国後漢の安帝の時、中国の年号で永初(えいしょ)元年(西暦 107年)に、倭の国王帥升達は、奴隷160人を献上して、謁見を願った。 |
この記事では「倭の国王帥升」とあるが、別の史書にも登場する。
続けて次をご覧ください。
中国正史・隋書には次の様な関連記事が載っている。
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後漢の光武帝(こうぶてい)の時(西暦 57年)に、朝貢してきた。使(つかい)は自ら大夫を名乗っている。また、同じく後漢の安帝の時(西暦107年)、使(つかい)が来て朝貢した。この国は倭奴国である。 |
「光武帝の時」とは、西暦
57年に倭奴国が漢に朝貢し、印綬を賜ったことを指している。この印綬と思われる物が、1784年筑前国那珂郡(福岡市)志賀島(しかのしま)叶の崎(かなのさき)で発見されている。 「帥」は「将」又は「将軍」と理解されるので、「国王帥升」とは「国王たる将軍の升(しょう)」となる。
国王が将軍であるというのは不自然であるが、後世の源頼朝や徳川家康のように、天皇から全権を委任された征夷大将軍の例もある。この時代既に、倭奴国において権力の二重構造が発生していたのかもしれない。
「帥升」は倭奴国においても「すいしょう」と読まれていたのであろうか。それとも「難(な)の升(のぼる)・米(こめ)」と同様に「将軍・升(のぼる)」と読まれていたのであろうか。
2-(
ア). 「帥」は倭奴国で付けられた称号 先に「国王帥升」とは「国王たる将軍の升(しょう)」のことである、と述べたが「帥」は後漢(中国)側がつけた語句であるのか、それとも倭奴国側で元々付けてあった語句なのかが問題となる。
もし、後漢側がつけた文字であるとすると非常に不自然なことになる。同一人物に、「国王」と「将軍」という違った称号を同時に付けて呼ぶ事は有り得ないからである。
すると「帥」は倭奴国側で付けた称号ということになる。「帥」が将軍の意味であっても、「帥(しょうぐん)」と読むことはありえない。
「帥(たける)」と読んだかというと、その場合は「帥(たける)・升(のぼる)」と官位名が二つ重なってしまうので不自然である。
これは、「たける」が「魁帥、梟帥、大率」と二文字で表されたのと同様に「帥升」の二文字で「のぼる」と読んだのではないだろうか。
後漢(中国)側も、「帥升」という
2-(
イ). 和風と漢風 言葉や文字には複数の解釈や読み方がつきものである。国語辞典を引けば、どの語句についても、複数の語源説が書かれている。偶然ということもある。
そういう意味で「大率(たける)・難升米(なののぼるこめ)・帥升(のぼる)」についても確証はない。しかし「大率(だいそつ)・難升米(なんしょうまい)・帥升(すいしょう)」よりもはるかに可能性は高い。
何故なら、倭人が音読みの「大率(だいそつ)・難升米(なんしょうまい)・帥升(すいしょう)」と読んでいた確立は
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