一大率・難升米の読み方

白日別の意味

邪馬台国までの里程記述


目次

台与の出自

里程記述の問題点


8章 「水行20日」・「水行10日陸行1月」を解く

 「水行20日」・「水行10日陸行1月」は魏志倭人伝に記述されている語句であるが、この語句が邪馬台国を比定する際のネックになっている。この語句の正しい解釈が邪馬台国を比定する為の大きな鍵となることは間違いない。
 本章では魏志倭人伝の里程記述にある「水行
20日」と「水行10日陸行1月」を解明する。

 

1節  邪馬台国までの里程(行程)記述

1. 里程記述をみてみよう。

 「水行20日」・「水行10日陸行1月」の語句が何故邪馬台国を比定する際のネックになっているのであろうか。
 魏志倭人伝には朝鮮半島帯方(たいほう)郡から邪馬台国までの里程(行程)が記述されている。途中の国々までの行程や、その地の風土・国勢を述べながら進んで行くのである。
 風土・国勢などの、里程と関係ない記述を省略して抜粋したのが、次の
「図表8-1里程記述の抜粋」である。

「図表8-1里程記述の抜粋」

【帯方(たいほう)郡から倭(わ)へ行くのには】
 
A、朝鮮半島の海岸づたいに、海上を行く。南に行ったり東に行ったりしながら
  進むと、狗邪韓(くやかん)国に着く。ここまでの距離は
7,000余里である。
 
B、始めて海を渡ると、1,000余里で対馬(つしま)国に着く。
 
C、更に南に海を渡ると、1,000余里で一支(いき)国に着く。
 
D、更に海を渡ると、1,000余里で末盧(まつろ)国に着く。
 
E、陸上を東南に500里行くと、伊都(いと)国に着く。
 
F、東南に奴(な)国がある。距離は100里である。
 
G、東に行くと不弥(ふみ)国に着く。距離は100里である。
 
H、南に投馬(とうま)国がある。海上を20日かかる。(水行20日)
 
I、南に
邪馬台国がある。女王の都する所である。海上を10日・陸上を1月かか
  る。(水行
10日・陸行1月)
 【ここに女王の勢力範囲内の
21カ国が国名のみ記されている。次に女王の勢力
  範囲に入らない狗奴(くな)国が記されている。】
 
J、帯方(たいほう)郡より女王国までの距離は12,000余里である。

 邪馬台国がどこにあるかは、この里程記述を見ればわかる筈なのであるが、実は、邪馬台国の位置については論者の数だけ説があると言われているのが現状である。
 だが、上記
AJに登場する国々の内でほとんど異論のないものがある。それは次のとおりである。(「図表8-2・比定地」をご覧ください。)

 ・帯方(たいほう)郡は現在韓国のソウル付近とされる。
 ・狗邪韓(くやかん)国は韓国の金海(クムヘ)付近である。
 ・対馬(つしま)国は長崎県対馬である。
 ・一支(いき)国は長崎県壱岐である。
 ・末盧(まつろ)国は佐賀県東松浦(ひがしまつうら)郡名護屋〜唐津市を指す。
 ・伊都(いと)国は福岡県糸島郡二丈町深江〜前原市を指す。【明治まで怡土(いと)郡と呼ばれていた。】
 ・奴(な)国は福岡市博多付近。【日本書紀に那津(なのつ)、儺縣(なのあがた)などと記されている。】

「図表8-2・比定地」

 これらの比定地は古文献からみても、また行程順からみても他に考えようがない地である。そして、注意しなければならないことは、これらの比定地については全般的に方角が南に約45°前後ずれて記述されていることと、1里が現在の1里の長さではないということである。

 

2. 邪馬台国までの距離計算をしてみよう。

 中国では秦始皇帝の「度量衡の統一」にみられるように、王朝や地方によって度量衡が変わることがしばしばである。魏志倭人伝の魏の時代は一説には1里が7677mくらいであったといわれている。これを魏晋朝短里説という。(魏志倭人伝が書かれたのは魏の後の晋の時代であるが、晋の時代も短里であったということである。)
 
1里の長さは魏志倭人伝の記述ではどのようになっているのであろうか。「図表8-1・里程記述の抜粋」のAFに記載されている諸国間の実際の距離と、魏志倭人伝に記載されている里数を比較すると1里の長さにバラツキがある。
 上記内容について距離数を比較したのが
「図表8-3・比定地里程比較表」である。

「図表8-3・比定地里程比較表」

 

出発地

到着地

里数

実距離

1里の長さ

里数累計

A

帯方郡
(ソウル)

狗邪韓国
(金海)

7,000余里

750km

105m

7,000余里

B

狗邪韓国
(金海)

対馬国
(対馬)

1,000余里

80km

80m

8,000余里

C

対馬国
(対馬)

一支国
(壱岐)

1,000余里

90km

90m

9,000余里

D

一支国
(壱岐)

末盧国
(唐津)

1,000余里

55km

55m

10,000余里

E

末盧国
(唐津)

伊都国
(前原)

500

30km

60m

10,500余里

F

伊都国
(前原)

奴国
(博多)

100

20km

200m

10,600余里

G

 

不弥国
(?)

100

 

 

 

H

 

投馬国
(?)

水行20

 

 

 

I

 

邪馬台国
(?)

水行10
陸行
1

 

 

 

J

帯方郡
(ソウル)

女王国
(?)

12,000余里

km

m

12,000余里

(注)、帯方郡〜伊都国の実距離数値は概算であるが、伊都国〜奴国は100里と短くなっているため、目安として前原市役所〜博多区役所の距離を測った。

 この図表から次のことがわかる。
1)帯方郡から比定地が明らかな奴(な)国までは累計で10,600余里である。一方、Jの帯方郡から女王国までは12,000余里である。
  したがって、奴国から邪馬台国までは約
1,400里ということになる。
2)先に魏晋朝短里説では1里が7677mくらいであると紹介したが、この図表からは1里が約80m前後であることがわかる。
3)すると、奴国から邪馬台国までは1里が80mとして
  
1,400里×80m112km
 かりに、数字の大きいほうをとって1里を100mとしても
  
1,400里×100m140km
 となる。
 これら距離は距離といっても、あくまで道のりの数字であって直線距離の数字ではない。

 では、奴国から邪馬台国までは直線距離でどのくらいになるのであろうか。

 

3. 奴国から邪馬台国までの直線距離

 道のりと直線距離との比率を知るために参考になるのは次の数字である。
  (東海道本線東京駅〜京都駅):(同直線距離) =(
513.6km):(370km)=(約1.39):(1.00
  (旧東海道江戸日本橋〜京都三条大橋):(同直線距離)=(
495km):(370km)=(約1.34):(1.00
   *日本橋〜京都三条大橋までは約
1266町である。
 仮にひとつの物差しとして旧東海道の
1.34を使ってみると、奴国から邪馬台国までの直線距離は次のようになる。
 
1里が80mの場合  1,400里×80m)÷1.34112km÷1.34=約85km
 1里が100mの場合 (1,400里×100m)÷1.34140km÷1.34=約105km
 奴国を中心にこの数字を同心円にして地図上に表したのが次の「図表8-4邪馬台国までの距離地図」である。
 赤色の円は
1里が80mの場合の、奴国から邪馬台国までの距離である。
 緑色の円は
1里が100mの場合の、奴国から邪馬台国までの距離である。
 青色の円は
1里が100mとして道のりが直線距離に同じ、つまり道路が真直ぐにひかれていた場合距離を表している。(実際には有り得ない。)

「図表8-4邪馬台国までの距離地図」

青色の円は奴国を中心として約140kmの距離を示す
緑色の円は奴国を中心として約
105kmの距離を示す
赤色の円は奴国を中心として
85kmの距離を示す

 

 このように見てくると、とりあえずの自然な解釈としては、邪馬台国の位置は赤色の円の円周上付近にあり、広くみても最大限緑色の円を越えないということになる。
 ここで「とりあえずの自然な解釈」としたのは、今までの里程計算に「余里」の意味を考慮に入れていないからである。

 

4. 「余里」の意味

 魏志倭人伝の里程記述には「余里」という語句が使われている。7,000余里、1,000余里という具合にである。
 
7,000余里は7,000里+α、または7,000里以上ということなのであるが、どれほどの巾の数字を意味しているのかわからない。1,000余里も同様にわからない。
 厳密にいえば
7,000余里は7,0017,999里を言うのかも知れないが、これは現代の数学的感覚であり、魏志倭人伝が書かれた時代にこの様な感覚であったとは考えにくい。1,000余里が1,0011,999里とするのも同様に考えにくい。

 結局はっきりしたことはわからないのであるが、私は次のように仮定して「余里」を考えてみた。
  
7,000余里は 7,200 7,500
  
1,000余里は 1,100 1,300
 
12,000余里は12,20012,500
 この数字に科学的根拠はなく、私が「余里」から受ける感覚的なものであるが、数字の巾に多少の相違があっても共感していただける読者の方々も多いのではないかと思っている。
 この数字をもとに先の
「図表8-3・比定地里程比較表」を修正してみた。それが「図表8-5・比定地里程比較表-A」である。

「図表8-5・比定地里程比較表-A」

 

出発地

到着地

里数

実距離

1里の長さ

里数累計

A

帯方郡
(ソウル)

狗邪韓国
(金海)

7,200
7,500

750km

 

7,200
7,500

B

狗邪韓国
(金海)

対馬国
(対馬)

1,100
1,300

80km

 

8,300
8,800

C

対馬国
(対馬)

一支国
(壱岐)

1,100
1,300

90km

 

9,400
10,100

D

一支国
(壱岐)

末盧国
(唐津)

1,100
1,300

55km

 

10,500
11,400

E

末盧国
(唐津)

伊都国
(前原)

500

30km

 

11,000
11,900

F

伊都国
(前原)

奴国
(博多)

100

20km

 

11,100
12,000

G

 

不弥国
(?)

100

 

 

 

H

 

投馬国
(?)

水行20

 

 

 

I

 

邪馬台国
(?)

水行10
陸行
1

 

 

 

J

帯方郡
(ソウル)

女王国
(?)

12,200
12,500

km

 

12,200
12,500

(注)、帯方郡〜伊都国の実距離数値は概算であるが、伊都国〜奴国は100里と短くなっているため、目安として前原市役所〜博多区役所の距離を測った。

 この図表から次のことがわかる。
 「帯方郡から奴国までの
11,10012,000里と、帯方郡から女王国までの12,20012,500里との差は2001,400里である。」

 先に本節の2の(1)で
「奴国から邪馬台国までは約1,400里ということになる。」と述べたが、「余里」を考慮に入れると次のようになる。
「奴国から邪馬台国までは
2001,400里ということになる。」

 また、先に本節の3の末尾で
「邪馬台国の位置は赤色の円の円周上付近にあり、広くみても最大限緑色の円を越えないということになる。」と述べたが、同様に「余里」を考慮に入れると次のようになる。
邪馬台国の位置は
赤色の円の内側にあり、広くみても最大限緑色の円を越えないということになる。」「図表8-4・邪馬台国までの距離地図」をご覧ください。)


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