はじめに
  主人増永弘昭が亡くなって6年となりましたが、未だに実感がわきません。 いつものようにレッスン室からフルートの音が聞こえてくるようでもあり、また、演奏旅行中の 留守をまもっているようでもあります。そのような中で、私を慰めてくれるのは、 シュミッツ先生 の講習会の折、二人の恩師と共に撮った、うれしそうな笑顔をしている主人の写真です。 (株)シンフォニア、村松楽器(株)、尚美時代の生徒さん、皆様のご協力を得、念願かない シュミッツ先生の講習会が実現出来た時の主人の喜びがよく現れている1枚だからです。

左より吉田先生、シュミッツ先生、増永
師との出会い
  日本での恩師である吉田雅夫先生は、研究熱心で、主人は練習中のお話からたくさんの 事を学んだようです。その吉田先生が「生涯の師」として愛読されていらした本の著者として、 主人はシュミッツ先生を雲の上の人と思っていたようです。

大学卒業後、ドイツ留学の準備が進む中、 運良くそのシュミッツ先生にとって始めての日本人の弟子となることができました。お若くして 人前ではフルートをお吹きにならなかった先生ですので、日本では音楽学者としてしられていらっしゃい ましたが、ドイツに留学してまもなく、友人宅でシュミッツ先生のレコードを聞かせて頂い

1971年 留学中 デットモルト音楽アカデミーにて
た時の 衝撃は、その後の主人のフルート人生において決定的な出来事だったようです。そのときの音が主人の 目標となったように思います。主人はシュミッツ先生との共著「フルートの歌わせ方」にもある系統だて られた練習方法をずっと守り、どんなに忙しく疲れていた日も欠かしたことはありませんでした。 それは今も私たち家族の耳にこびりついています。
師と弟子
  シュミッツ先生は演奏家として音楽学は勿論、哲学、物理学まで究められ、幅広い知識に 裏付けられたお話の数々と子供のような好奇心をお持ちで、暖かな人間性を通して、1995年 お亡くなりになる までの26年間、主人の音楽人生をささえてくださった心からの恩師でした。

主人も 子供のような好奇心を持ち、天文、科学、歴史、オートキャンプ等多趣味で、それぞれの世界を追求 する事も楽しんでおりました。シュミッツ先生のお話を
100パーセント理解出来た事は、語学力だけ ではなく、その好奇心と率直さ、そして思想も感性もぴったりと合ったからこそだったと思います。 私から見てもほほえましくうらやましい師弟関係でした。

1991年
ドイツに演奏旅行の折、ベルリンのシュミッツ先生宅でレッスンを受けた

発病
  シュミッツ先生から託された教えや論文をこれから本格的に残していこうと思っていた 矢先、1999年2月自身の身体の異変に気付きました。その時は良性の髄膜腫ということで、 8時間の大手術でしたが、1ヶ月で仕事に復帰することが出来ました。

「完治した」との主治医の話で 恒例の秋のリサイタルも開きましたが、これが最後のリサイタルとなってしまいました。レッスンやその他の演奏活動も こなしておりましたが、2000年5月には2度目の手術となり、悪性と宣告されてしまいました。 それでもいつもと変わらない様子で、抗癌剤治療をしながらも、自分の毎日の練習に加え、往復3時間 近くの道のりを運転し学校のレッスンや、大阪、福岡のレッスンにも通っておりました。またドイツ語の 翻訳も合間を見てはやっておりました。
最期
  2001年1月には、9日の間に4回も手術を行うことになりました。手術時間の合計が 45時間にも及ぶ壮絶な大手術でした。その後、退院を許されることのないまま、10月に亡くなるまで 希望を持ち続けながら、週末に1時帰宅しては、時々レッスンを行う等、日々の仕事を続けました。 4月頃より、フルートの構造上の改良について考え、それをまとめてもおりました。又、数年来暖めていた フルートに関する論文も、出来るところまで残さねばとの思いでしょう、麻痺が指先にまで及ぶ中、 最後まで病室のベッドでパソコンに向かっていました。
それらと共に23回の自主リサイタルの録音記録、シュミッツ先生との軽井沢での講習会のビデオ等が 私にとってはかけがえのない財産となっています

CD作り
  主人が50才頃だったと思います。シュミッツ先生より「お前はまだ上達している」 とおっしゃって頂いた事を嬉しそうに話してくれました。それでだかCD作りは60才代に目標を おいて、学生時代から変わる事のない向上心を持ち続けておりました。まだまだと 中々CD作りをしませんでしたが、発病する2年ほど前、周囲の声に押されてアンコールで好んで吹いておりました、野田 暉行氏編曲の 「日本のメロディー」のCDを作りました。これがスタジオで作った唯一のCDとなって しまいました。今回は追悼の気持ちをこめて自主リサイタルの記録の中より、フルート人生中盤から 後半にかけてを2組のCD4枚にまとめました。病気知らずの主人でしたので、まさかこのような事に なるとは本人自身考えておりませんでした。本人としては、まだまだこれからと、聞き返すこともなく、 ただ記録として、残しただけのものでした。音源は決して良い状態ではないのが残念ですが、かえって そのままの主人の音が聞かれるように思います。
3組のCDのジャケット

私の願い
  主人の無念の思いを胸に残していった仕事を整理している時、今でも主人と共に歩んでい る事を実感しております。
  音楽の道に進むことを親から反対されつつ、18才でようやく小遣いをため念願のフルート を手にし、なんの音楽知識のない中プロのフルーティストになりたいという気持ちに疑いを持つことなく つき進んだ20代でした。そして遅い出発である事を自覚しつつ地道に、ひたむきに自分の音を捜し求め 続けた40年でした。この熱い思いを一人でも多くの方にお聞きいただければ幸いです。
(増永幸子 2004年11月 記)

1976年7月
夏休みに一時帰国してのリサイタル
チェンバロ:小林道夫氏
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