三龍草子 第壱編

 光風とナナミ

   
 ナナミは、シンニャンのくせに、ちっとも自分になついてくれない。それが光風には不満だった。

 菖蒲種のシンニャンは、毛づくろいを一日二回はしてやらなくてはいけない。光風は、旅立つ前、群れ長にそう教わってきた。しかし、つい先日、やっと授かったこのシンニャン――ナナミは、ひどく毛づくろいを嫌うのだ。

 ナナミを膝に抱いて、まずは背中から、ゴミや抜け毛を舐めとってやる。星覇蚤が飛び出してきたら、口で捕まえる。ここで噛み潰してはいけない、それが妊娠した雌の場合、卵がとびちることになる。

 蚤がいなければ、そのまま、ナナミの子供らしく細い脚と、腹とを綺麗にしあげて、それから首すじにかかるのだが、ナナミは、いつもこのあたりで全身の体毛を逆立てて唸り声をあげ、暴れ始めるのだった。

 性格はともかく、ナナミの外見は、まあ悪くない。そもそも、星覇(シンハ)は、森の妖精に例えられるほどの器量良しで知られる獣人種属だ。光風の遺伝子をもつナナミは、光風自身の幼いころを思いださせる愛らしさに満ちている。

 体つきは、五、六歳の星覇と同じぐらい。短く綺麗にそろった毛なみ。整った、ほどよい太さと長さの尾。毛の色は、菖蒲というシンニャン種の特徴で、蒼銀色をしている。金属光沢を放つ蒼い被毛は、星界の深き闇を思わせる。

「もう! なんでいつも暴れるの!」

 光風は、思春期にさしかかったばかりの少女星覇だ。トモガミの扱いに慣れているとはいえなかった。毛玉幼女をおさえつけて無理やり毛づくろいをしようとするが、仰向けになって暴れたナナミに、手荒く鼻面を蹴飛ばされる。

「…………!」

 顔面をおさえてのたうちまわるゲキを尻目に、ナナミは小馬鹿にしたように鼻をならし、丸まって巣の片隅で寝息をたて始めた。

 荒い息をつきながら、光風はようやく起き上がる。

 今夜は、季節はずれの嵐が吹き荒れている。大風を受けた木々の梢が重なりあって揺れ、この大紅樹林の全体が、唸りを上げている。

 光風は、ウツロヒに出たばかりの少女星覇だから、巣も海面に近い低木にしか、かけさせてもらえない。荒れる海原の咆哮が聞こえる。

 星覇属の少女は、年ごろになると、主に配偶者を探すため、ウツロヒの旅に出る。そのとき初めて、シンニャンを授かる。星覇王国を構成する大紅樹林の奥深く、星覇の御嶽(ウタキ)に鎮座する「毛玉サマ」にお願いして、産み出してもらうのである。もっとも、その御嶽にいくまでもそれなりに大変な旅で、それ自体、ちょっとしたウツロヒの旅でもある。

 この旅を経てシンニャンを得、それから数年にわたるウツロヒの旅を終えることで、やっと、一人前とみなされる。

 ナナミはまだ話し相手にはなってくれない。ひとりで海鳴りの音を聞いていると、故郷の村での暮らしが思い出されてくる。

 あのころは、群れ長や親が、自分の世話をしてくれた。その日の食べ物を集めるのに、なんの心配も要らなかった。

 この森に移り住んでからしばらくは自力でダイオウガザミなどを狩って暮せたのだが、この数週間、どういうわけか獲物がとれなくなった。それに、いまでは自分だけではない。この、手のかかるシンニャンの世話もしなくてはいけない。

 昔、嵐の夜に、親が教えてくれた古い唄が、自然と光風の口をついて出た。星覇は、嵐がやってくると、珍しい文物や魚介類が森の干潟にうち上げられるようにと、海の神に祈るのだ。

 ささやくように微かな声で、少女は謡った。

「聞こ得宣(せ)の君が

 思いの御肝

 通してみおやせ

 又 鳴りたわむ宣の君は

 又 真東風(まこち)吹けば

 又 追手風吹けば

 又 星覇が御嶽に

 又 十乾勇魚(いさな)を寄らせて」

 光風の視線は、今、嵐に揺れているこの貧相な巣ではなく、故郷の村を見つめていた。晴れた昼下がり、森の梢にかけられた極上の古巣の上で、丸まって日にあたった記憶がよみがえる。

 あのときはそれが当たり前だとおもっていた。いまの自分には、手に入れることすら難しい、心地よいひとときだった。

 村に戻りたい。光風は思う。しかし、そうすれば、ウツロヒは失敗とみなされ、成人としての権利はなにひとつ得られなくなってしまう。

 子守唄のように謡っているうちに、ナナミは、本格的に寝入ってしまったようだった。

「いまのうちに、髪を結ってやるにゃ」

 無意識のうちに星覇訛りが出た。小さなトモガミの緑銀に光る髪に手櫛をいれ、梳かしてやる。ナナミの髪は長く、ほとんど腰に届きそうだった。髪を短く切りそろえた光風とは正反対だ。ナナミは、髪を切られるのを嫌うのだった。

「後ろで一つ結びしてあげるね」

 後頭部で髪をまとめてやろうとした途端、またナナミは「ふみゃー!」と、猫のような甲高い声をあげて暴れ始める。

 獣幼女の周りに小さな火花が走り、電離した大気分子が蒼白い光球となって幾つも爆ぜる。荒れ狂うトモガミの様子に、光風は息を呑んで飛び退いた。手がつけられない。

 巣の扉を叩く音がする。

 「こんな夜に?」

 返事するより先に、粗末な寄木細工の戸をあけて、ひとりのシンニャンが入ってきた。見た目は、5歳かそこらの獣人幼女である。子供の星覇かとも思ったが、よくみると、星覇特有の「光り角」がない。

「あっ、アラナミ様」

 アラナミは、このあたりの星覇の群れをまとめる長のひとりだ。小さな身体は鍛えぬかれ、スキがない。古びた耳飾りを丸っこい獣耳の先に下げている。かつて戦車砲弾を受けたという片目は、古傷でふさがっていた。腕につけている迷彩色の布輪は、先の戦争で倒したファーグニル兵の服で作ったものだという。

 この一帯の森を治める部族長は、「おハグレサマ」なのである。ゲキの星覇を亡くした、年経たシンニャンだ。

 アラナミは、どっかと、小枝で編まれた巣の床に腰を下ろした。子猫のような声で、光風に文句を言う。マタタビ煙管を吹かし、火鉢の縁を叩いて鳴らす。

「先月と今月分の家賃、まだもらってないんだけどね?」

 アラナミは、あきらかに不機嫌な表情だった。ヒゲと耳がひくひく揺れる。

「あうううう」光風は頭をかかえた。「すみません。近ごろ、このあたりの海じゃ全然ガザミが採れないし、働きにいっても、うちのナナミが言うこと聞いてくれなくて」

 最後のほうは、涙声だった。

 アラナミは意に介さない。紫煙を吐いて告げた。

「馬鹿いうんじゃないよ。そりゃ、あんたのトモガミの事情だろ。いいね、敷金もまだ全部もらってないんだからね。来月アタマまでに、きっちり尾頭付きのヒメミーバイをあたしん家までもって来るんだよ。でないとこの森をたたき出してやるからね」

 挨拶もしないで、老成した獣人幼女は巣を出ていった。夜の潮風が部屋に吹きこむ。

 うにゃーーー。光風は呻くと、フトン代わりのボロ切れをかかえ、寝床の中でのたうちまわるのだった。

* * *

 翌朝、目覚めた光風は、自分とナナミの毛づくろいをすませてから、巣の片隅に飾られた小さな神棚に供え物をして、短く祈りを捧げる。毎朝の儀礼だ。

 巣を出ると、熱帯の陽光が目を射た。昨夜の嵐が嘘のようだ。大紅樹林の緑が、蒼穹に高々と食いこんで、朝陽に輝いている。

 その遥か下、一面に広がる泥の湿地帯には、入り組んだ気根や板根が森となって密生している。

 大紅樹林は、樹高百乾目(300メートル)にも達する巨大な木々で構成された、星覇王国特有の森だ。汽水域から海岸までの湿地帯を覆っている。森を形成する植物は、どれも塩分の多い環境に適応した特殊なものである。

 光風とナナミは、星覇雄蛭木や、摩天蘇芳ノ木といった巨木の枝から枝へと跳び、薄暗い干潟の狭間を抜ける。

 大人の胴ほどもある枝につかまって、ふたりは一息つく。肉が裂けたような紅い花が幾つも見える。星覇雄蛭木が開花する季節だった。

 風切り音がする。

「ナナミ、よけて!」

 頭をひっこめた蒼い毛玉幼女のすぐ横を、尖った緑色の魚雷に似た物体が落下していった。長さは二乾(6メートル)、重さも百石(300キログラム)はありそうだ。三龍人などは、これを食らったら即死してしまう。

「この時期は、雄蛭木の胎生種子が落ちてくるから気をつけなきゃ」

 不思議そうな顔をして、ナナミが小首をかしげる。

「下を見て。泥干潟になってるでしょ。あそこに種が突き刺さって、芽が育つの」

 それからはナナミも上に注意しながら、歩みをすすめた。ふたりは次々と、巨木を跳ね超えていく。

 近郊の小さな港街にでかけるのだ。理由はわからないが、光風の住む一帯では、以前ほど魚やカニが採れなくなっている。仕事を探さないと仕方がない。

「いいねお譲ちゃん。この荷物を、ここからあそこまで運ぶ。簡単だろ」

 街に出て、最初に尋ねたのは、三龍帝國系の運送会社だ。零細企業らしく、コブオナガ竜を数頭、輸送用に飼育しているだけらしい。中年のがっちりした男が、ひとりで運営しているようだった。

「任せてください! わたしたち星覇は、恐竜と同じぐらい荷物を運べるんだから!」

 小さな家ほどもある輸送用木製荷箱を、軽々と担ぎ上げる。中身は食料品らしい。重さは、二百石ほどだろうか。光風は、思春期の星覇としては並の体格だが、これぐらいはお手の物だ。

 熱帯雨林の中を小一時間ほど運ぶだけで目的地だという。平坦で開けた小道だった。ナナミは、光風の後ろ、微妙に離れた距離をついてくる。蒼い縞の入った尖った猫耳が、不機嫌そうに立てられている。

 光風よりも鋭い、気の強そうな目線で、じっと光風を見つめている。光風は、ナナミの視線を感じてはいたが、声はかけなかった。

 さっきも、朝餉として与えた干し魚を、半分かじっただけで海に投げ捨てたのだ。残り少ない蓄えの食糧を、分け与えてあげたのに。

 何が気に入らなかったのかわからないが、光風としては、せっかく自分の食事を減らしてまで分けたものを粗末にされては、面白くなかった。

 故郷の群れ家で教わったとおり、光風は、毎朝、ナナミの毛皮を丁寧に舐めてやって毛づくろいをしている。食事だってちゃんと用意している。なのにどうして、ナナミは懐いてくれないのだろう。

 この先、ウツロヒをこのシンニャンと切り抜けていくことができるのだろうか。光風は、日ごとに不安が強まるのを感じていた。

 光風の尻尾がひっぱられる。ナナミだった。

「どうしたの? ご飯はさっきすませたでしょ?」

 ナナミは鼻をひくつかせ、森のむこうを指した。光風は視線の先を見てみる。緑の木々以外、なにも見えない。

 歩みを進めようとすると、さらに強く、ナナミが光風の尾をひっぱった。弾みで、荷が道に投げ出される。中から転がり出たのは、鎧のような鱗をもつ中型の魚だ。いかにも高価そうな何匹かのヒメミーバイだった。

 慌てて拾い集めようとしたとき、一匹のミーバイが、肉食恐竜の口に咥えあげられた。ヒメテイリュウだった。獣脚類特有の鋭い歯で、止める間もなく、ヒメテイリュウは魚を呑み下す。

「ああっ! 売り物なのにー! 返してよ!」

 ヒメテイリュウには小柄な短髪の少女が跨っていた。黄と赤の練闘衣からして、このアラガミ師もウツロヒのようだ。隣には、堅頭竜に乗ったアラガミ師も同行している。

 光風は、ヒメテイリュウの筋肉質の後足にすがりついて、見習いアラガミ師を見上げた。お魚返して、そう懇願する。

「うむ? これはその方のサカナであったか。これは済まぬことをした」

 このアラガミ師、ウツロヒなのに、ずいぶん態度が大きいな。光風は思った。

「しかしな、けもの娘。ここは天下の公道だ。公道の所有権は私人にはない。より正確に叙述するなら、帝國交通殿か、現地を統治するツカサが管理する、行政法学にいう公物であるといえる。従って、そこに落ちている物も、私人のものではないと解することも可能である」

 光風は和毛に覆われた耳を上下にふり、首をかしげる。

 そもそもどうしてアラガミ師は、服などという邪魔っけなものを着ているのだろう。子供ならともかく、年ごろになって、性器を隠しておくなんて、恥ずかしくて耐えられないとおもうんだけど……。などと、光風は、アラガミ師のいうことが理解できないので、関係ないことを考え始めていた。

「すなわち、道に落ちた魚をそれと知らず食べた我がトモガミは、帝國民法192条により、拾得物を即時取得したと考えられる。従って、これをおぬしに返還する義務はない。また、違法性が阻却されるから、当然ながら、不法行為責任も発生せず、当方が損害賠償の義務を負うこともない。いいな」

「……あまりに巨大すぎる嘘だよね……」

 堅頭竜にのっているほうの額の広いアラガミ師が小声で呟いた。光風には聞こえていない。

 少女星覇と毛玉幼女は、なおも首をひねる。少女アラガミ師は、そのテイリュウとともに悠然と歩み去った。

 光風とナナミは、雇い主のところへ戻り、事情を説明した。

「ほほう。それでお前さん、魚はアラガミ師の恐竜に食われたまま戻ってきたわけだな」

 光風は無邪気に微笑みながら応えた。

「うん、そうなの。でも、大丈夫です。なんかよく分からなかったけど、道路におちたお魚は食べてもいいんだって。だから大丈夫なの!」

 
* * *


「おまえのせいで、お仕事クビになっちゃったじゃないの」

 唇をとがらせて、光風はナナミの後ろ頭をこづいた。「ふみゃっ!」反抗的に、小さなシンニャンは光風の手を払いのける。

 二人はあてもなく港町を出て、街道を歩く。三龍椰子の並木道だ。道の端には、ソテツの植え込みが続く。南洋のおだやかな風に、椰子の葉ずれの音がする。

 海辺の小さな街道だが、それなりに人出があった。中型カミナリ竜に乗った三龍商人、大筒と天魂を携えた遊歴の身らしいガルナス武人、獣脚類にまたがった傭兵などなど、雑多な人間たちが目に入る。

 露店も、そこそこの数が見受けられる。三龍帝國特産の香辛料ミツフィファチを効かせた焼き魚や、一抱えもあるゲソボラの壷焼きの匂いが、いやおうなしに光風の鼻孔を刺激した。

 金色の獣毛と赤い縞に覆われた光風の腹が、空腹の絶頂だといわんばかりの空気音を発する。生活費は底をついた。もう、昼食をとることすらかなわない。

「おなか減ったよう」

 つぶやいても、道ゆく者が聞き入れてくれるはずもない。目の前の露店で揚げられているサーター菓子の香ばしい匂いは、光風の口の中に滝のように唾液をあふれさせた。また腹の虫が鳴く。

 ナナミが、また光風の尾を引っぱった。実にだるそうに視線だけ動かして後ろを見ると、ナナミが、なにやら手振りをまじえて、みゃあみゃあと鳴いている。何かを伝えたいようだった。

「なに? わかんないよ。お仕事探すので忙しいんだからね、邪魔しないでよ」

 先に行こうとする光風に、ナナミは腹を立てたようだった。和毛におおわれた頬をぷうっとふくらませて、一人で街道を走り出す。

 あわててトモガミを追いかけようとして、光風は近くの粗末な露店に足をひっかけた。騒々しく転倒し、露店につっこむ。草葺の掘っ立て小屋のようなそれは、あっけなく崩れた。木片と、露店で出していた串焼きやチャンプル炒めや三龍ソバなどが、道に散らばる。

「みゅっ!」ナナミが、よく焼けた三葉虫の串を拾って、かぶりついた。

「コケーッ! おまえ! なんてことしてくれるんだ!!」

 毒々しい手羽をばたつかせて叫んだ露店の主は、キチン質の外骨格をもつ鳥類型ガルナスだった。ガルナス・メイである。鉢巻をして、調味料に汚れた腹巻までつけているところからして、だいぶ三龍暮らしが長いようだ。

「にゃあああああ。すみません、ごめんなさいいいい! ナナミ! 早くその串を返すにゃ!」

 無視して、ナナミは三葉虫の串焼きを平らげる。

「このヒトネコが! どこぞの機刃衆にでも売り飛ばしてやろうか!」

 つかみかかったメイを、ナナミは小指の先で払いのけた。そのメイは、悲鳴とともに空中を砲弾のように吹っ飛び、自分の店の残骸につっこむ。

「うわあああああ」

 光風は緊張のあまり、被毛に覆われた耳と尻尾を垂直に立てるのだった。とても露店の修繕費など出せない。頭を抱えるしかなかった。

 周囲の露店や荷車の陰から、何人ものメイが現れて、光風たちにつめよってきた。ナナミに吹っ飛ばされた当人は、冠羽と飾り角を真っ赤にして怒り狂っている。そのメイは、機刃衆の仲間らしい連中とともに、光風とナナミを睨みつけた。

 じゅぴっちゃあ、というリガ・メイの汚らしい鳴き声が、そこここから上がる。憤激しているのだ。

「よくもやりやがったな、このやろう」「うちの機刃手に、なんてことするんだ!」「うちの機刃衆はなあ、おんぼろの神鰐しかないから、ポロロは弾薬代を稼ぐって、露店で頑張ってたのにっ」「ポロロを殺したのはこの指か!」「いや、俺、死んでないって!」「くるっくー!!」

 二十人ほどのメイが、怒りで羽をばたつかせながら、光風たちをとり囲み、包囲の輪を縮めてきている。噎せ返るような、特有のメイ臭がたちこめる。

「ええと……その……ごめんなさい」

 どうしてよいか分からず、光風は混乱したまま、とりあえず頭を下げた。何事かと、カミナリ竜にまたがった通りすがりの農夫たちも人垣に加わってきた。メイ集団の怒号が渦を巻く。

「謝ってすむ問題か!」

「子供の不始末は親の責任だぞ!」

 子供じゃなくて、トモガミだよ。という言い訳は、この際、通じそうもなかった。

「ツカサの御殿につきだしてやる!」

 そんなことをされては、ウツロヒどころではなくなってしまう。

 メイの背丈は、ほとんどが光風の腰あたりまでしかないが、これほど数が多いと威圧感があった。包囲を抜けようにも、抜け出せない。強引に全員をなぎ倒すのは簡単だが、そんなことをすれば、本当にツカサの勢頭衆に逮捕されてしまう。

 どうしてこんな目にあわなければならないの? うろたえる光風の緑柱玉の瞳に、涙が溢れるのだった。

「待ちナサーイ」

 メイ訛りのひどい三龍語で、ひとりのリガが群集に語りかけた。派手な色の僧衣をまとったメイだ。ガーグ正教の神官らしかった。

「龍王ガーグ様は、無益な争いは避けよ、ト教エテイマース。皆さん、オチツクヨロシ。ちょうど、我が機刃衆デハ、補給班ノ人員が不足シテイルところデースカラ、この娘にタダ働きさせてはドウデショネ?」

 * * *


 この機刃衆は、本国での対マジムン戦の戦績が思わしくなく、所属の牙洞院から領地を奪われてしまったのだという。結果、星覇王国との国境の、この小さな街で、細々と布教活動と蘇龍機の運用資金を稼いでいるのだ。

 光風は、数週間、無償労働することで、露店の修理費とポポロとかいうメイの治療費を免除してもらうことになった。その機刃衆の拠点は、街からそう遠くない街道沿いの一角にあった。

 さっそく、粗末な木造の格納庫のなかで、蘇龍機用の重たい弾薬や整備用機材を運ばされる。格納庫の中は、哺乳動物には耐え難い蒸し暑さだった。

「これが蘇龍機なの。大きいなあ」

 まだ涙の乾かない瞳で、対地誘導弾の荷箱をかかえながら、少女は蘇龍機をみあげた。

 三階建ての御殿ほどもありそうな、巨大な、黒々とした鋼鉄の龍だ。元は神鰐とかいう機体だったらしいが、機刃衆で何代にもわたって使い続けているうちに、改修と改造が限りなく加えられ、ごちゃついた機械類の塊のような外観になっていた。性能も、大したことはなさそうだ。

「サッキハ大変デシターネ。アッ、ソノ対戦車ミソーはソノヘンに置いてケッコウデスヨー」

 先刻、光風とナナミを救ったメイが話しかけてきた。不必要になれなれしい。

「はあ、どうも」

 気のない返事をする光風に、メイは、聖典を取り出してナナミに見せる。

「アナタガタ星覇も、我らの神をアガメルコトで救われマース」

「神様って、森の神様、海の神様、それからかまどの神様と……毎朝、お祈りしてるよ。獲物がとれますように、お恵みがありますようにって」

 そのメイは、激しく首を横にふった。

「ソンナノハ偶像デース、愛ガ足リマセンネー。龍王ガーグ様コソ、絶対の神ナノデース。シンジナサーイ。トニカク信ジナサーイ。信者フヤス、牙洞院カラ補助金オリル、蘇龍機モ強化されるネー。アナタも、ソノタメに助けマシター」

 光風は、初対面でこの神官を胡散臭く感じた理由がわかった気がした。

「そんなこと言われてもなあ。わたし、森神様とウンジャミ様のほうが好きだもん」

「イエイエ、デスカラ、そんナノハ、偶像ナノデース」

「森神様は、ぐーぞーとかいうのじゃないもん!」

 言い放ったとき、光風は、ナナミが傍らを離れているのに気がついた。

 神官の喋り方が気に入らなかったらしい。腹を立てた様子で、ナナミは、蘇龍機の脚部を蹴った。ふつうならなんということはなかったのだろうが、蘇龍機は、そのとき機体の腹部を整備中で、やや不安定な状態で整備台に固定されていたのである。

「ナニをスルノデース!!」

 メイが悲鳴をあげる。蘇龍機は大きく傾き、金属の軋りをあげながら、倒れ始めた。

 周囲の作業車輛や、格納庫の支柱をまきこみながら、蘇龍機はきれいに横転した。

 木造の安っぽい格納庫は、ひとたまりもなく崩壊しはじめた。瓦礫と木材が降りそそぎ、倒壊していく中、どうにか光風たちは脱出する。

 当のナナミは、まるで気にするようすもなく、獣耳をたて、鼻を動かして、何かの匂いを探っている。

 今度こそ、メイたちは許してくれまい。邪な動機とはいえ、せっかく神官が助けてくれたのに! どうしてこう何度も、ナナミは自分の邪魔をするのか。光風は、自分のトモガミを思い切り引っ叩いてやりたいと感じた。

 ゲキの怒りを察する様子もなく、小さなトモガミは、緑銀の髪を波打たせ、何かの匂いを嗅いでいる。だしぬけに、瓦礫を飛びこえ、街道の向こうへと走り出す。光風は、怒鳴りつけてやろうと、後を追う。

 眼前には行商人のものらしい竜脚類が歩いていた。獣人幼女は、その柱のような脚の間をすばやく走りぬける。

「待ちなさい、ナナミ!」

 竜脚類が、何かにおびえたように、目の前で道を開けた。カミナリ竜の長い尾と首が、星覇の遥か頭上で弧を描く。

 正面から地響きをたてて突進してくるのは、巨大なヨロイ竜であった。

 家一軒ほどもある、ずんぐりした四脚の恐竜だ。頭や背中は頑丈な骨の装甲に覆われており、尾の先には、大きな骨の塊がある。ヨロイ竜は、三龍帝國軍のものらしい三角旗を揚げていた。

「うそっ、軍隊が捕まえに来た!?」

 泡を食う光風。突進してきたのは、大型のオオコブヨロイ竜だった。甲羅の上には、カワアガニ女性が武器をもって騎乗している。

 ヨロイ竜は、光風を跳ね飛ばし、そのまま駆けぬけていった。

 独楽のように回転しつつ、空中を数乾ばかりも吹っ飛ばされながら、光風は爪を出して四肢をふんばり、大地に引っかき傷をつくった。なんとか停止する。

 前方で、ヨロイ竜も停止していた。「すまん、大丈夫か!」カワアガニが声をかけてくる。光風の顔を見ると、安堵のものらしいため息をついた。

「よかった、星覇か。なら、これぐらい平気じゃろ」

 オオコブヨロイ竜に騎乗しているのは、カワアガニの成人女性だった。身体の側面に並ぶ赤い盾鱗、尻から突き出た大きな尾ひれ、健康そうで豊満な褐色の肌。典型的なカワアガニだ。

 人を撥ねておいて、その言い草はどういうことか。文句を言おうとして、少女は、トモガミを探していたことをおもいだす。

「そうだ、ナナミ! 待ちなさいってば!」

 光風は、いらついた声でトモガミを探した。彼女の小さなトモガミは、ゲキの声が聞こえないのか、街道から森へと走っていく。

「ナナミ!」

 ゲキの渾身の叫びにも、獣人幼女は振り返らない。

 今日は特に、ナナミのせいでひどい目にあってばかりだ。光風は、目に熱いものが浮かぶのを感じる。我知らず、叫んでいた。

「馬鹿あっ! もうお前なんか知らない! どっか行っちゃえ!」

 カワアガニは、困惑した表情で、ヨロイ竜の背から光風を見下ろした。

「ええと……、何かもめているようだが、あたしのせいなのかな?」

 じゅぴっちゃあ。鳴き声が聞こえる。みると、街道の反対側から、先刻の神官を先頭に、怒りに燃えたメイの群が、羽をばたつかせながら突進してくる。

「うああああ、どうしよう、どうしよう」

 カワアガニも目を剥く。

「うわ、うざっ! お譲ちゃん、こっちだ!」

 光風は、いきなりヨロイ竜の背中に引っぱりあげられた。

 * * *


 家ほどもある巨大なヨロイ竜が、地響きをたてて、密林を走りぬけていく。

「どうしてわたしも一緒に連れて行かれるんですか!?」

 ヨロイ竜のごつごつした背中にしがみつきながら、光風は訊いた。ヨロイ竜が走行しているので、竜上は激しく上下しており、舌を噛まないよう注意が必要だった。

 装甲竜具の狭間から、カワアガニ女性が振り返って応える。

「ああん!? いいってことよ!」どうやら礼を言っているものと聞き間違えたらしい。「あたしのガキゴキ丸が、星がこっちだと告げてるんだ。あんたのトモガミが逃げてったのもこっち、どうせなら一緒に行けばいいじゃないか!」

「あの、あなたのお名前は!」

「***・カ・ソルル・**! 帝國軍のアラガミ師だよ!」

 ふつうの三龍人よりははるかに鋭敏な聴覚を持つ星覇でも、さすがにカワアガニの超音波言語のすべては聞き取れない。

 突然、ガキゴキ丸が減速した。

「龍魂の波が途切れたか」カ・ソルルは舌打ちして、暗い熱帯雨林の茂みに目をやる。

「あんたのトモガミもこっちの方に来たみたいだけど、すぐには方角がわかりそうもないね。なぜだか分からないけど、龍魂に妨害がかけられてる」

 光風は瞳を丸くして、耳を立てた。ソルルはマブイモチを追跡しているらしいが、同時に、会って間もないナナミの龍魂まで感知していたのだ。

 考えてみれば、ソルルのこのトモガミも、オオコブヨロイ竜だ。ごく一部の精鋭アラガミ師しか、その背に乗せないといわれる高位の恐竜だと聞く。そんな上級のアラガミ師が、こんな辺境になぜ?

 質問しようとしたとき、ソルルが装甲竜具を展開して、半身を乗り出して話しかけてきた。褐色の豊かな乳房が揺れる。

「こうなったら急いでも仕方ない、小休止といこうか」

 膝を折って、戦車のようなヨロイ竜が大地に腹ばいになる。鼻をならし、装甲鱗におおわれた瞼を降ろしている。疲れたらしい。

 ソルルは、恐竜の背から降り立つと、光風に両手をあわせて頭を下げた。

「いや、さっきは本当に悪かった。だからさ、ツカサには黙っててくれないか、民間人を撥ねたなんてバレたら、中央に罷免されちまう。あんたのトモガミを探すの、手伝うからさ」

 謝りながらも、何がおかしいのか、アガニ女性の顔は笑っている。人懐こい笑みに、光風もつられて微笑んだ。

「いえ、メイに追われていたから、かえって助かりました」

「そういってもらえると気が楽になるよ。ありがとう」

 褐色の頬を輝かせ、ソルルは顔を上げた。食べ物の入っているらしい包みを光風に差し出す。

「戦闘糧食だよ。粗末なもんだけど、いまはこれぐらいしかなくてね」

 ガキゴキ丸の横腹の骨質装甲にもたれながら、光風は、分けてもらった帝國軍22型戦闘糧食をぱくついた。

「これ、美味しい! ちょっとパサついてるけど」

 ソルルは紅い耳鱗を震わせ、苦笑いする。

「初めてだからそう思うんだよ。長距離偵察任務で三日もそいつを食ってたら、どんなアホ星覇だってゲロを……いや、ごめん。不適当な表現だった」

「こちらこそお礼を言わなきゃ。トモガミに乗せていただいてありがとうございます」

「見つかるといいね、あんたのシンニャン。お詫びといっちゃ難だけど、少し手伝うよ。休んだらすぐ探そう。まだウツロヒなんだろ?」

 光風は耳を伏せた。頬の触毛も、力なく下がる。

「もういいんです。わたしじゃ、あの子の、ナナミのゲキにはなれないみたいだから」

 今の正直な気持ちだった。

「放っておくわけにもいかないだろ。仕事ついでだから手伝ってやるって」

 光風は、森の向こう側に見える川面らしい反射光を睨んだまま、疲れた声で応える。独り言のようだった。

「もう、ナナミは毛玉様にお戻しして、違うシンニャンをもらったほうがいいのかもしれない」

 ソルルの表情が険しくなった。語気が強くなっている。

「そんな罰当たりなことを言うもんじゃない。トモガミは、ゲキがどうこうできるもんじゃない。生命を好き勝手にするなんて、そんなのは、ファーグニルの価値観だよ。奴らの国じゃ、母親がお腹の子を殺しても罪に問われないっていうじゃないか」

「だけど」

 ソルルも視線を前方に戻した。間をおいて、母親が子供に言い聞かせるように穏やかに言う。

「あたしのガキゴキ丸も、最初は言うことをきくどころじゃなかった。尾っぽのコブで兵舎をふっとばしたり、大変だったんだ」

「じゃあ、どうして今は、こんな立派な恐竜に戦闘適応できてるの? わたしでも知ってる、オオコブヨロイ竜は、すごく扱いが難しいって」

 カワアガニが、正面から光風の瞳をみつめた。蒼い瞳と、そばかすのような電磁感知器群が目に入る。

「トモガミを信じる。それだけだよ、言うことを聞かせるとか、そんなんじゃない。あたしも、ガキゴキ丸と一緒に何度も戦場を切り抜けてるうちに、いつの間にか、どんな竜よりこいつが一番だ、そう思うようになったんだよ。あんたもマブイモチなら、龍魂のお導きを信じて、思うまま、トモガミサマを受け入れてやるんだ。トモガミサマは、伝道のお方の御使いなんだから」

「そんなの……わたしには分からない」

「実を言えばね、あたしも最初、あんたみたいだった。なんだか、最初に一目見たときから、昔の自分を見てるみたいで気になってね。ごめんよ、出すぎたことだったかもしれないね」

 たしッ。光風は、ソルルの赤い尾ひれを肉球でおさえつけた。

「あんた、人の話、聞いてる?」

「あっ、ご免なさい、つい、美味しそうな動きをしてたから」

 * * *


 ソルルと光風のふたりがナナミを見つけたのは、夕暮れどきだった。

 熱帯雨林の日暮れは早い。日が落ち始めたとおもったら、すぐに暗くなり始める。その暗がりの中、星覇王国の湿地帯を、オオコブヨロイ竜が行く。すでに潮は満ちており、海水が、巨木の幹を洗っていた。

「ずいぶん遠くまで来たな」

 ソルルがつぶやく。ガキゴキ丸は、鼻孔と目を水面に出しながら、四肢で汽水を掻いて泳ぎ進む。人が滅多に立ち入らない、奥地の水路へと、ふたりは進んでいた。

 ヨロイ竜の背の上で、光風がつぶやく。

「こんなに大きいのに、泳げるのね」

「ヨロイ竜はもともと半水生だからね。あたしらアガニにうってつけの恐竜だよ」

 言い終わらぬうちに、カワアガニ女性の視線が鋭くなる。小声で告げる。

「光風、いたよ、あんたのトモガミ。それに、あたしの探してた奴らも」

 やつらにばれるとまずい。ソルルは光風に耳打ちした。

 ナナミがいたのは、数十乾ほど先の、星覇雄蛭木の根元に広がる支持根の陰だった。

 星覇雄蛭木は、入り組んだ支持根を、半径五十乾(150メートル)もの範囲にわたり、樹幹基部に広げている。支持根群は、それ自体がちょっとした森のようにすら見える。樹高が数百乾にもなる巨大樹を、この汽水域の泥地で支えるための構造である。

 ナナミは、一本の支持根のうえにしがみつき、尾を高く上げ、姿勢を低くしていた。光風がはじめて見る、ナナミの攻撃態勢だ。尾を左右に細かくふり、目標を狙う。

 狙っているのは、支持根の森の陰に見え隠れしている小型の木造漁船だった。三龍帝國でよくみられる帆走型の船で、粗末な帆が広げられている。黒髪の、ヒトの男たちが何人か乗っているのが見える。一見、三龍人のようだが、全く龍魂の波が感じられない。光風は、その一団が、自分たちとは異質な生物であることを感じとった。

「ファーグニル」

 ソルルが、押し殺した声で言った。足でヨロイ竜の背を踏み、潜航して身を潜めるよう合図する。巨大な支持根群の陰に隠れているはずで、向こうからは見つかるはずはない。

 その漁船の男たちは、猟師のような服装をしていたが、体つきや、潮焼けしていない綺麗な手をみれば、彼らが三龍帝國の人間でないことは明らかだった。偽装し、潜入した工作員なのだろう。

 彼らは、慣れた手つきで防護手袋と防毒面を装着した。甲板上で、樽のような合成樹脂製の容器を逆さにして、内容物の白っぽい粉末を、次々に海面に放りこんでいく。すぐに何匹かの魚が、腹を見せて浮かび上がってくる。

「やつら、化学兵器の実験でもしてるのか」

 ソルルが呻く。

 光風は、全身の被毛が逆立つように感じた。震えが走る。これが、三龍帝國、いや帝政大三龍共榮圏すべての、敵。

 星覇、アラガミ師やメイなどの「伝道の子ら」の存在を一切認めず、純粋なヒト遺伝子をもつ自分たちこそ至上のものとする種属、ファーグニルだ。

「この地方の帝國漁業組合から、漁獲量の極端な減少について報告を受けてわたしは派遣されたんだ。偽装潜入したファーグニル部隊の仕業らしいってんで、偵察に出たんだけど、こんな早く見つかるとはね」

 それじゃ……このところ全く魚やカニが採れなかったのは、こいつらのせいなの? 星覇の森に勝手に入り込んで、どうしてそんなことをしているの?

 光風は、犬歯を強くかみ締めた。強い怒りで、赤い縞のある虎のような耳が天を指す。

 いち、にい、さん。光風はファーグニル人の数を数えた。十以上かぞえられない光風でも、それが五、六人であることはすぐわかった。

「ソルルさん、ナナミは、一人で戦う気かもしれない!」

 まだナナミは、ただの一度も戦闘教練をこなしたことがない。いくら菖蒲が戦闘に特化しているとはいえ、状況が悪すぎる。

「まずい、こっちから先に仕掛けるか。他の勢力は無し、敵の武器は対人用の軽武装のみ、船は非武装の小型艇だな。情報どおりだ。この装備で十分やれる。光風、あんたは後ろで見てるんだ。ナナミはあたしが確保する」

 ソルルは、装甲竜具に装備された三式重機関銃の装填操作をする。初弾が薬室に装弾される金属音。

 オオコブヨロイ竜が、支持根の陰から飛び出し、水しぶきをあげながら、敵小型艇に向かって突進する。その背面装甲の上で、ソルルが高らかに声を張り上げた。

「我は三龍帝國龍王教導院捜査官、***・カ・ソルル・**! 三龍帝國および星覇王国の領海侵犯、武器不法所持、および産業廃棄物等不法投棄の現行犯により、貴様らを逮捕する! 抵抗すれば、生命は保証しない!」

 男たちは有無をいわさず、容器を投げ捨て、手にした小銃を発砲した。銃弾は、ガキゴキ丸の外付け装甲に無益に弾かれる。

 竜具の内部に身をかがめ、ソルルは応射した。三式重機の銃口から銃炎が閃き、連射音が、星覇の森に木霊する。

 銃声に驚いた光風は、小さく悲鳴をあげて支持根の陰に隠れた。すぐに銃声がやむ。

「よし、武器を捨てろ。手は頭の上だ。一列に並べ」

 ソルルの声がする。敵は戦意を喪失したようだった。光風はソルルの恐竜に駆け寄った。ファーグニル男性たちが、小型艇の甲板上で、ソルルの手縄に拘束されているところだった。

 かけよった光風の前に、樹上からナナミが降り立った。

「ナナミ!」

 光風はナナミを抱きしめる。小さなトモガミのぬくもりを感じる。ナナミは光風の胸に顔をうずめ、震えていた。怪我はしていない。初めて聞く銃声に、ひどく驚いているようだった。

「怖かったんだね。もう大丈夫だよ」

 普段と違って、ナナミは反発しなかった。逆に、光風に強くしがみつく。獣幼女は、怯えた子猫のような声で、短く鳴いた。

 光風は、ナナミの声を聞いて、肩や耳の後ろにある光り角が熱を帯びてくるのを感じた。同時に、ナナミと自分が、ひとつになったように感じる。初めての感覚だった。ナナミが顔をあげ、翡翠のような瞳でゲキを見つめる。ふたりの視線が交錯した。

 ナナミは人語を発声しない。だが、そのとき光風は、ナナミの声を聞いたような気がした。脳裏に、ナナミが思い描いていた光景が、ほんの一瞬だけ、稲光のようによぎった。

 森の陰でうごめくファーグニルの人影。黒い瘴気が森にひろがり、魚やカニたちが逃げ出していく。森を侵すものを追いつめ、殲滅したいという、森の守護者としての強い思い。ナナミは、街にでたときから、このファーグニル勢力の気配を感じとっていたのだ。

 光風は、優しく、ナナミの額に自分の額をくっつけながら言う。

「そうだったんだ。おまえ、こいつらをやっつけたかったのね。言ってくれればよかったのに」

 後ろから穏やかに声をかけたのは、ソルルだった。

「トモガミは、いつでも自分の言葉でゲキに話しかけてるよ。あんたが聞きそびれたんだよ。菖蒲は誇り高いからね、ゲキが自分のことをわかってくれないと、ヘソを曲げるんだよ」

 いまなら、ソルルの言うことが少しはわかる気がした。今までの光風には、ナナミが独自にものを考え、なにかを伝えようとしているだなんて、思いもよらないことだったのだ。

「ソルルさん、龍王教導院の所属なんですね」

 少女星覇は、憧れと尊敬のこもった眼差しでカワアガニ女性を見上げた。

 龍王教導院は、三龍帝國王府直属の情報・軍事機関である。強力なその権限は、各ツカサ国の警察権すら優越するという。構成員は、三龍帝國全域での捜査権をもつ精鋭アラガミ師たちだ。

「越境汚染問題だからね。広域捜査権がないと厄介だったんだ」

 小型船の甲板にある合成樹脂製の容器には、ファーグニル文字が刻印されていた。ソルルはそれを調べ、内容物を試薬で検査する。慣れた手つきだった。判定結果を一瞥して、ソルルは顔をゆがめる。

「オルガノ・クロラインPCBSか、ふざけやがって。こんな毒物を散布されたんじゃ、漁獲も減るはずだ」

 返事をしようとして、光風は、激しく突き飛ばされるような衝撃を感じた。ナナミを抱いたまま、樹上から、海面へと落ちる。

 砲声が轟く。

「ナナミ!」

 水面から顔を上げる。ナナミの濡れそぼった背には、半分潰れ、蒸気を上げている大口径の機関砲弾が食い込んでいた。天魔ゆずりの防御力をもつ星覇の毛皮とはいえ、限界がある。ナナミは呻き声をあげ、気を失った。

「くそっ、感知できなかった!」

 甲高い金属音が響く。海面に広がる巨大樹の、幹から幹へと、黒い影が、高速で移動していく。

「アラガミ師? いや、この龍魂は――違う!」

 蒼白いジェット排気で海面を割り、すべるように疾駆するそれは、漆黒の人工翼をもつ改造ヒメテイリュウだった。騎乗しているのは、ウツロヒのアラガミ師と同年代の、刃のような鋭い瞳をもつ少女。長い金色の髪が、夕闇の紅樹林に光輝を放った。

 機械化ヒメテイリュウの胸部機関砲が、銃炎を吐き出す。無数の空薬莢が虚空に弧を描く。脇腹の多連装発射器が、小型誘導弾を速射した。幾つもの噴射炎が迫る。

 光風たちを抱え、とっさに潜航したヨロイ竜の背後で、外れた誘導弾が小型艇に突き刺さる。それは、その上の男たちもろとも、爆発炎上した。

 ヨロイ竜は、安全そうな巨大樹の陰に浮上する。焼けた破片と肉片が幾つも水面に降りそそいでいるのが見える。

「龍魂の波を断つことができるのか。こいつが本命の、鋼化竜使いだな」

 鋭く相手を睨むソルルの視線が、それが容易ならぬ敵であることを物語っていた。

「ソルルさん! ナナミが、ナナミが!」

 自分のトモガミの血の匂いは、未熟な光風をひどく焦らせた。彼女の声は、甲高く引きつっていた。

「落ち着け、傷は浅い。そこに隠れてな!」

 精鋭カワアガニは、光風とナナミを、支持根の陰に残した。三式重機を乱射しながら、水しぶきを蹴立てて、ガキゴキ丸が突進する。

「ソルルさん!」

 突如、ガキゴキ丸の巨体が、家三軒ほども空中に跳ね上がった。海面が白く巨大な爆発となって弾け、高さ数十乾もある水柱の中に、ヨロイ竜が消える。

 巨大樹の向こうから、ファーグニルの沿岸哨戒艇が三隻、姿を見せ、発動機の音も高らかに、水面を跳ねるようにして駆けてくる。数人乗りの小型艇だ。

 さらに、森の樹々の背後に、黒い船影が現れる。大型竜脚類ほどもある戦闘艦だった。高角砲や機関砲を備えている。沿岸用の艦としては最大の火力をもつ、河川砲艦だ。

 砲艦は、主砲塔を旋回させる。木立の狭間から、巨大な砲口が、光風を睨みつけた。

「タイプ4繋留機雷の直撃。いかに教導院のアラガミ師といえども戦闘不能に陥る」

 黒衣の鋼化竜使いは、湿った暗い声でつぶやいた。改造ヒメテイリュウが、光風たちの眼前で滞空する。間近に迫った噴射炎の熱と咆哮が、光風の金色の毛並みをさざめかせる。

「あなた、誰なの? なんで龍魂があるのに、マブイモチなのに、ファーグニルの味方なんて!」

 ナナミを守るように抱えながら、光風が問うた。

「マブイモチは、三龍帝國にしか生まれないわけじゃない。わたしはたまたまファーグニル側に生まれただけ」

 血にまみれたナナミを、恍惚とした表情で見つめて、謡うように鋼化竜使いは続けた。

「今回は、浸透工作の試験をしてみたの。マブイモチの警戒網を避けて、うまくここまで味方部隊を誘導できた。それと、強い催奇性をもつ新型化合物の実験、これがうまくいけば、アラガミのバーサーク化を大量に招き、帝國軍を内部から崩壊させることができるってわけ」

 黒衣の少女の頬に、氷のような笑みが浮かぶ。幼い星覇は、必死で言い返した。

「ぜんぶ喋るなんて、馬鹿みたい! きっと、三龍帝國軍が、あんたたちをやっつけてくれるんだから!」

「わたしね、これから死ぬ人にお話するのって好き。あなたの脳細胞に刻まれたせっかくの情報が、生命とともに無意味に散っていく、そのときの血の匂いが、たまらない興奮」

 鋼化竜の装甲板から、少女は、擲弾発射機つきの短銃身突撃銃をとりだした。光風に向け、対装甲擲弾が発射される。

 爆発が起こり、光風はなぎ倒される。浅瀬に叩きつけられ、鋭い痛みに、激しく咳き込む。口の端から鮮血を流しながら、光風はナナミを抱き寄せた。

「さすが星覇は頑丈ね。丁寧に切り刻んであげる」

 一歩づつゆっくりと、浅瀬の泥をふみしめ、少女兵の鋼化竜が近づいてくる。その胸部が、弾けたように展開され、幾本もの対装甲機械腕が飛び出した。鋭利な特殊鋼の先端が赤熱し、輝きと陽炎を放っている。

 機械腕が閃き、ナナミの小さな身体を、光風の腕から攫った。そのまま、高々と空中に掲げ上げる。

「ナナミ!」

 光風は、目前に迫った異形の鋼化竜すら目に入らない。このときになって初めて、光風は自分のトモガミを救ってやりたいと、心から願った。

 光風の手足は動かない。

 別の機械腕が、少女星覇を薙ぎ払う。巨木の幹に叩きつけられ、光風は呼吸が止まるのを感じた。

「わたしの母も、こういうふうに殺された。だからわたしも、同じようにするの。あなたがた、帝國人に対してはね」

 動かない身体で、必死に視線をあげ、光風は、震える手を鋼化竜のほうへと伸ばした。

 さっき、ほんのちょっとだけ、ナナミのことがわかった気がした。ずっと一緒なら、もっと理解しあえる。それもできずに、自分とナナミの関係が、ここで終わる。それが悔しかった。

 虚空に挙げられたナナミの身体に、他の機械腕が殺到する。

 一瞬、光風は、時間が引き伸ばされるのを感じた。八本もの対装甲衝角が、ナナミに突き刺さる寸前で停止している。

 光り角が、熱い。ナナミはまだ死んでない。光風には分かった。ナナミはまだ、戦いたがっている。初めて見る強敵を前にして、なお。

 少女星覇は、トモガミにつぶやく。

 ナナミ。一緒に戦おう。ずっと一緒に、命つきるまで。

 光風は、光り角が爆発したように感じた。

 かつて恒星間宇宙を光より速い速度で飛び交った言語、その祖先が使った高圧言語の片鱗をもって、ナナミの感じていること、そのすべてが、堰を切ったように、洪水となって彼女の大脳戦闘野へと押しよせた。

 * * *


 鋼化竜の機械腕に捉えられていたナナミが、灼熱光につつまれた。激しく旋回する光の中で、すべての機械腕が弾け飛ぶ。爆風を受け、鋼化竜と金髪の少女は、悲鳴を上げる。

 光風は走り出していた。完全に活性化した大脳戦闘野と、体内の機動戦闘分泌系が、筋力と反応速度を一気に限界値まで引き上げていた。光風の背後で、蹴られた浅瀬が、爆裂して水柱となった。

 降り立ったナナミも、後を追う。

 光風は巨大樹の支持根を駆け上がり、ナナミとともに、枝から枝へと疾駆する。

 泥地に倒れこんだままの鋼化竜使いが、無線に叫んでいるのが聞こえた。増幅された聴力の作用だ。

「まずい、マブイを使えるのか! 高角砲、対空機銃、撃ち方はじめ! 接近させるな!」

 砲艦の主砲が、炎を吐いた。小型哨戒艇の機銃が、連射される。星覇の森に、爆裂音と銃声が轟く。

 光風とナナミは、それぞれの発した龍魂の探信波で、音速の二倍の速度で迫る銃弾と砲弾の全てを、正確に測距した。

 一瞬で戦闘情報を共有し、本能的に弾道を予測する。恒星間宇宙での戦いに比べれば、装薬で放たれる地上の砲弾など、空中に止まっているも同じだ。

 電波信管つき対空砲弾が眼前で炸裂し、天を覆うがごとき数百の子弾となって、連射された機銃弾とともに迫る。

 その超音速の弾雨は、すべてが、光風とナナミを避けて吹きすぎた。完璧な回避機動。

 続いて迫る第二斉射は、最適な避弾径始をもつよう瞬時に整列した被毛によって弾かれる。光風たちの体表の龍魂作用によって、銃砲弾の運動量が、瞬時に熱量に変換される。黄金の獣毛の上で、融けた鉛とタングステンとが、無数の赤い雫となって跳ね散らかされた。

 増幅された空間把握能力が、水上艦艇の攻撃に最適な角度を知らせる。龍魂の波で、ふたりはほぼ同時に攻撃角度を確認しあい、最適な枝ぶりの星覇雄蛭木にとりついた。

「中隊長! 敵の動きが速すぎます! 照準レーダー、追尾できません!」

 ファーグニル兵の叫び。哨戒艇の射手は、上空を跳ぶ光風とナナミの機動性に抗しきれない。

 赤い曳光弾の火線は、ふたりの後を追うが、いたずらに巨木の幹を抉るのみだった。ふたりの計算どおり、星覇雄蛭木の老木が、一瞬、射手の視野を遮る。

 敵の死角からの光風の照準波を、ナナミが感知。ナナミのヤシャダマ誘導野が活性化し、一点に大電圧をかけられた大気分子が瞬時に電離、蒼白く輝く灼熱の光球となった。

 ナナミが放ったその荒れ狂う荷電粒子の塊は、光風の照準波に乗せられ、水上へと走る。直撃を食った哨戒艇が、一撃で爆発、四散。海面が紅に照らされる。

 その一射で、光風は、意識が揺らぐのを感じた。荒れ狂う力に身を委ねたくなる誘惑。和魂が退き、荒魂が近づいている。少女は、出力を絞ったヤシャダマ砲撃を指示した。手近な雄蛭木の枝へと。

 ナナミが、小さめの光学榴弾を放つ。切断された雄蛭木の枝には、巨大な胎生種子があった。

 落下した胎生種子は、哨戒艇の薄い甲板を底部まで貫通し、轟沈させた。

 最後の哨戒艇めがけて、光風は飛び降りた。

 逆手に構えた掌に、刃渡り一乾になろうという長大な光の爪が現出する。そのまま脳天を叩き割るかのように、小型艇を両断、爆発させた。

「ガキゴキ丸! ガッキゴッキだ!」

 強い龍魂の波を感じた光風とナナミは、攻撃の手を止める。

 閃光! アラガミの龍化だ。生体装甲をまとった陸戦用戦闘龍と化したガキゴキ丸が、尾の先に、荷電粒子の光刃を広げ、砲艦へと突進していく。

 砲艦は、機関始動して回避しようとする。その横腹を、水平にふられたアラガミの尾が、したたかに打った。融けた金属が四散し、叩き潰された機関部が、火柱を吹き上げる。

 大量の水を呑んだ砲艦は、横転して水没、湿地帯に着座し、沈黙した。アラガミが、勝利の咆哮を夜空に上げる。

「そんな」

 鋼化竜使いは、一言うめくのがやっとだった。高位のアラガミが相手では勝ち目はない。主力を失った時点で、勝敗は決した。

 龍化を解き、もうもうたる蒸気の中で、カワアガニがいう。

「あの程度の機雷で、ガキゴキ丸を沈められるとおもうなよ。さあ、無駄な抵抗はやめろ」

 唇を噛み締め、黒衣の鋼化竜使いは、鋼化竜の腹を蹴った。

 鋼化竜は、予想外の機動性をもっていた。蒼白い炎の尾をひいて、ガキゴキ丸をかすめ、上空へと離脱していく。三人は進路をふさごうとしたが、間に合わない。

「逃げられちゃったね」

「みゃあ」

 硝煙の立ち込める中、煤けた顔で、光風は言った。森に沈黙が訪れた。

 激しい疲労を感じたが、ナナミとひとつになって戦えたという幸福感が、光風を満たしていた。

 ナナミの満足げな声に、光風は、彼女の喉の下を撫でてやる。ナナミは嬉しそうにごろごろとくぐもった声で応じた。

「やったな、おふたりさん。初陣にしちゃ、見事な連撃技だったじゃないか。おかげで助かったよ。たっぷりお礼をしないといけないね」

 武魂の発動は、著しく体力を消耗させる。疲れきった、しかし熟練した戦士らしい笑顔をみせ、ソルルはふたりの肩を叩いてやった。

「お嬢ちゃん、覚えておきなよ。こいつが、ゲキとトモガミの戦い方だ」

 ヨロイ竜の野太い咆哮が、ふたたび夜の大紅樹林に響きわたった。

 * * *


 数日後の、よく晴れた三龍晴れの朝。光風は、自分の巣で、アラナミに敷金としてヒメミーバイを手渡した。事の顛末を説明する。

「そりゃ傑作だ。ソルルって奴が給料がわりに、メイの店の修理代をもってくれたか。カワアガニが、よりによって星覇の肩をもつとはね!」

 老シンニャンは、小柄な身体に似ぬ大きな声で笑った。光風に告げる。

「よし、それじゃあ、むこう二年はこの森に住んでいいよ。適当に仕事をとって、ウツロヒをこなすんだね」

 ちょっと考えて、光風は応えた。

「せっかくですけど、アラナミ様。わたし、央天青に行こうとおもいます」

「ほう。あんなところに、そりゃまたどうして」

「ソルルさんが、教えてくれたんです。ここよりもっと、いろんな人がいて、いろんな事件がある、とっても面白い島だって」

 アラナミは止めはしなかった。戦場の風を懐かしむ老兵の表情で、獣人幼女はかすかに微笑んだ。

「何かをつかんだようだね。ふん、確かにね、あそこはウツロヒにゃちょっと危なすぎるかもしれないが、退屈しないところだよ」

 僅かな家財道具を風呂敷にまとめ、光風とナナミは、アラナミに別れの挨拶をした。大紅樹林にさしこむ朝の陽が眩しい。

「待ちな。あそこのツカサには、あたしも昔、世話になった。紹介状をかいてやるよ」

 予想していなかった言葉に、光風はとびついて喜ぶ。

  「ありがとう、アラナミ様!」

 抱きつかれて、かつてゲキがいたころを思い出したのか、老シンニャンは、まんざらでもなさそうな顔だった。

「それからね。菖蒲の髪は、結ぶんじゃないよ。菖蒲は、いかづちを落としやすい、長い髪が好きなんだ」

 * * *


 アラナミに礼を言って別れ、ふたりはほどなくして、街道に出た。

「たしか、南に真っすぐ三日行ったところにある港から、シンテツ船の定期便が出てるっていってたよね」

「みゅ」

 街道には、今日も、いろいろな種属の商人や旅人が行きかっている。海辺の風と、香辛料と、雑多な種属たちの匂い。椰子の葉が、穏やかに揺れている。

 光風は、自信に満ちた歩みで、人々の流れへと足を踏み入れた。ナナミの手を握ってやる。

 朝陽のなかを、光風とナナミは、央天青へと歩きだす。今度はしっかりと、互いの手をとりあって。

おわり

 
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清水三毛 2006.3.5.