■日山からの富士山の写真に
        富士山は写っていなかった!!

 1992年に始まった富士山の見える北限の山探しは、よう やく2000年1月終止符が打たれた。以下に、北限の富士の 始まりから富士山が撮影されるまでを記述しました。
 稜線データによる旧「パソコン山 望」のシミュレーション画像。 富士山型は富士山しかなく関山 は三角山で表現されている。
 日山から富士山方面を撮影した写真。その ような訳で中央の富士山型を富士山と間違 えたのでした。

 話しは1992年6月に始まります。当方が作成した「パソ コン山望」は稜線表示が出来るようになり、山が見える、見え ないの判断が可能になりました。その当時、富士山の見える北 限は那須だと言われていましたが地図を見ると富士山から東北 線の延長上に、那須よりも北に富士山の見える場所があるので はないかと思われ、「パソコン山望」の実力を試すためシミュ レーションを行った訳です。その結果、富士山が見える北限と して福島県岩代町の日山(ひやま)と東和町との境の麓山(羽 山=はやま)が見つかりました。そして10月と12月に確認の ため日山と麓山に行き、運良く富士山の写真を撮ることが出来 たのです。さらに1993年の4月には西の限界の地、大雲取 山と妙法山を探し出し、冬になるのを待って出かけました。 この時は残念ながら富士山は見えなかったのですが、妙法山か らは樹木が邪魔をして富士山は見えないことが判り、富士山の 見える西の限界の地は大雲取山であることが判明しました。
(後になって判ったのだが、那智山付近が富士山の見える西の 限界だということは、会津若松市の吉田盛明氏が1991年末 に見出していた。また、1995年の12月に当方の投稿記事 に興味を持った楠本弘皃氏が、40数回大雲取山に登り、不鮮 明ながら大雲取山からの富士山の写真撮影に成功している。更 に、1997年1月4日。妙法山の頂上から北側に下った地点 からも撮影に成功している。根性でこの場所を見つけたようだ。 という訳で西の限界は妙法山になっている。)
 この一連の富士探しの記録を「富士を望む限界の山を求めて」 と題して雑誌「岳人」1994年の3月号に投稿したのです。 その結果、岩代町は「富士山の見える北限の町」として町役場 の上に看板を取り付け、日山の上には展望台を作りました。福 島中央テレビの取材も受け、日本テレビ系列で全国放映もされ ました。結構、大きな影響がでてしまいました。
 これで、富士山が見えなかったら大事だと冗談で話していた のですが。その冗談が今年(1996年)の4月に現実になっ てしまったのです。前述の投稿記事の中で、日山よりも北にあ る花塚山からも富士山が見える可能性があることを指摘してい ました。その記述のせいかどうかは判りませんが、1996年 4月に、「富士山の見える北限は花塚山だ」と川俣町が打ち上 げたのです。そこで、実際に花塚山からはどの様に見えるのか、 福島中央テレビからシミュレーションを依頼されたのです。そ して、今回はDOS版の「パソコン山望」ではなく、OS/2 版の「スーパー山望」を使用して日山と花塚山からのシミュレ ーションを行いました。(この時点までには、球体補正を行い 「パソコン山望」よりもシミュレーション精度が高く、大量の データが扱えるOS/2版の「スーパー山望」と、さらに細か く取った稜線データが出来上がっていた。) すると、ナッ! ナッ!!なんと日山からのシミュレーションに写真の富士山の 位置に富士山以外の富士山型が現れているではないか。富士山 はその左にドーンと表示されているのです。と言うことは、1 992年に撮った写真の富士山は単なる富士山型の山だったと いうことなってしまいます。そうです、富士山と思った山は実 は白河市の関山(セキサン、618.5m)だったのです。おい、お い!!看板はどうするんだ。展望台も作っちゃったぞ。テレビ でも放映してしまったぞ。みんな富士山を見に日山に登ってる ぞ。
実際この時はあわてました。
   でも、でも、でも、[No Problem!!]
そうです。富士山は見えない訳ではないのです。関山を富士山 と勘違いしただけなのです。逆に考えると「スーパー山望」の シミュレーション結果は、正しいことが証明されたと考えて良 いと思われます。写真に近く表現されているので、球体補正、 大気による屈折、データの精度などによる計算誤差が発生しま すが、「スーパー山望」は一応正しくシミュレーションしてい ると思われます。
悔しいので、関山と富士山を
   北限の親子富士
                 と命名しました。


富士山は移ケ岳から連なる稜線の鞍部の上に見えるはずだ。

■間違えた理由
 98DOS版の「パソコン山望」はCPUが非力なi386の 時代に作成したので、地球の球体処理など計算処理に時間をか けられず計算誤差が多くでる。また、DOS版なので多くのメ モリは利用出来ないので、稜線データの取り方も甘かった。計 算誤差とデータ不足の関係で富士山方面には富士山しか富士山 型の山は現れず、写真の山を富士山と見誤ってしまった。32 ビットDOSが出ていればこの様な問題は起らなかったのかも しれない。いずれにしろ大量のデータを扱う必要がありました。 でも、最終的にはコンピューターによる計算結果を判断する人 間の問題になるのだろう。
 ちなみに、当方では花塚山からは見えないと判断しています。 富士山の見える北限は距離的な北限の日山、緯度の北限の麓山 だと判断しています。

■富士山に関する動き
 1999年1月1日、日テレ「ズームイン朝」で和歌山県の 妙法山からの映像が放映された。放送前に撮影されたものだ。 妙法山は大雲取山に比べると交通の便は良く、那智大社の裏山 に当たる。少し気になるのは、この映像の中に切り株が映って いたことだ。富士山を見るために、大木を切り倒してしまった ように見えた。そうだとするならば、この様な映像は見たくな かった。紀伊半島はけっこう雨が多いようなのでどのような影 響が出るか出ないのかは解らないが、少し気になるところだ。  一方、福島県の花塚山の方も以前は山頂からは今一つ見晴ら しはきかなかったが、こちらも枝払いされ、現在は山頂からも 富士山方向は見通せるようだ。花塚山は定かではないが、二カ 所とも樹木の伐採のきっかけを作ってしまったとしたら多少気 が引ける。

 2000年1月、日山から富士山が撮影された。
■撮影された北限の富士。
 1992年に始まった富士山の見える北限の山探しは、よう やく終止符が打たれた。
  郡山市在住の鈴木氏。
     日山からの富士山の撮影に成功。

 2000年1月24日福島県安達郡岩代町・企画振興課・商 工観光係長の安斎さんから「確認してほしいので伺いたい」と の電話があった。そして26日。見せられた写真には、予想を 遥かに越えて、明確に富士山と確認できる姿が写しだされてい た。210mmレンズで撮影されたもので、フィルムの中の富 士山は小さいのだが、引き伸ばしにも十分耐えている。一番驚 いたのは、雪山の富士山として認識できる事だ。 単にシルエットの黒い影でしか撮影されないのでは、と想像し ていた私は、見た瞬間唖然とした程だ。
 写真は時間を追って撮影されたものが数枚あり、1枚だけが 実に明確に富士山の姿を写しだしていた。ほかの写真は富士山 の頭が何となくボケている感じがする。微妙に変わる気流の影 響が少ない一瞬のチャンスを捕らえている。
 2000年1月10日16時40頃。
 210mmズームレンズで撮影。

 そして、岩代町の町内放送で富士山撮影のお知らせが流され、 この様子をTVのニュースが伝えていた。2月23日(富士山 の日)には町中のフジオさん、フジコさんを集め、富士山撮影 認定書授与式が行われた。目出度し目出度し。

福島県岩代町日山山頂からの『パソコン山望』Ver7による シミュレーション。
2000年1月10日16時40分。

日山山頂に建てられている展望台。

 上部には大型双眼鏡が設置されている。日山山麓にはキャン プ場・バンガローが建設されていて、それなりの規模の観光地 になっている。


■富士山の見える北側最遠方の山「日山」からの富士山証明写真 撮影される!!
詳しい内容は岩代町のホームページをご覧頂きたい。

富士山の見える北限の町、福島県岩代町ホームページ。


Copyright (C) 2000-2011 ハンフリー