女性俳諧

田捨女(でん すてじょ)

寛永十一(1634)年〜元禄十一(1698)年。 丹波国(兵庫県)柏原(かいばら)に生まれた。 六歳のときに「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」という句を作って人を驚かせたという話が名高い。 十八歳のとき結婚し、夫の季成とともに季吟に和歌・俳句を学んだ。 四十一歳のとき夫に死別、剃髪して妙融と名のり、五十三歳で盤珪(ばんけい)禅師に参禅して貞閑と名を改め、播磨国(兵庫県)網干(あぼし)に不徹庵を結んだ。自筆の句集が残されている。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

水鏡見てやまゆかく川柳

ぬれ色やあめのしたてる姫つゝじ

月や空いよげに見ゆるすだれごし

雪の朝二の字二の字の下駄のあと

秋色(しゅうしき)

寛文九(1669)年〜享保十(1725)年。 姓は小川か。通称、あき。別号、菊后亭。 江戸に生まれ、小網町(東京都中央区)に住んだ。 老舗の菓子屋の娘であったが、結婚して古手屋(古着・古物商)、倹飩(けんどん)屋(一膳飯屋)を営み、のちに俳諧の点者となった。 俳諧は、夫の寒玉とともに蕉門の其角に学び、当時珍しい女流俳人として有名であった。 親孝行で、身分ある人の山荘に召されたおり、内緒で父を同行して庭を見物させ、帰りには駕籠を賜ったのでこっそり父と入れ替わり、自分は共の者の姿をして雨の中を歩いて帰ったという話など、種々の逸話が伝えられている。編著に、其角七周忌追善集の『石なとり』などがある。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

親も子も同じふとんや別れ霜

井戸ばたの桜あぶなし酒の酔

雉の尾のやさしくさはる菫かな

しみじみと子は肌へつくみぞれ哉

千代女(ちよじょ)

元禄十六(1703)年〜安永四(1775)年。 加賀国(石川県)松任の表具屋福増屋に生まれた。 金沢藩の足軽のもとに嫁して一子を産み、まもなく夫に死別したというが、不嫁説も有力である。 五十一歳のとき剃髪して素園(そえん)と号した。 作風は平易でやや通俗的であるが、女流俳人として有名で、生前すでに『千代尼句集』がまとめられたりした。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

福わらや塵さへ今朝のうつくしき

春雨や土の笑ひも野に余り

里の子の肌まだ白きもゝの花

夕顔や女子の肌の見ゆる時

朝顔に釣瓶とられてもらひ水

落鮎や日に/\水のおそろしき

音添うて雨にしづまる碪かな     (碪⇒きぬた)

有井諸九(ありい しょきゅう)

正徳四(1714)年〜天明元(1781)年 本名、なみ。別号、波女(なみじょ)・雎鳩(しょきゅう)・蘇天(そてん)。 蕉門の野坡(やば)の門下である有井浮風(ふふう)の妻。 筑後国(福岡県)竹野の永松家の出身で、一時、同族の者と結婚したが、浮風とともに出奔して大阪に移り、浮風の死後剃髪して京都に湖白庵を結んだ。 旅を好んで諸国の俳人と風交を重ね、晩年には故郷に戻った。 編著に『その行脚』『秋風記(しゅうふうき)』があり、没後にまとめられた『諸九尼句集』『諸九尼族発句集』がある。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

一雫こぼして延びる木の芽かな

朧夜の底を行くなり雁の声

行春や海を見て居る鴉の子

百合咲くや汗もこぼさぬ身だしなみ

紫陽花や雨にも日にも物ぐるひ

音のした戸に人もなし夕時雨

坂下りて月夜も闇し鴨の声      (闇し⇒くらし)

枯るるほど草にしみこむか冬の月

榎本星布(えのもと せいふ)

享保十七(1732)年〜文化十一(1814)年。 初号、芝紅。武蔵国(東京都)八王子の人。 十六歳のとき母を失い、継母の感化で俳諧に親しむ。三十九歳で夫に死別し、それより俳諧活動が活発となった。 はじめ鳥酔門、鳥酔没後は白雄(しらお)に師事し、松原庵二世を称した。 女流俳人としては卓越した一人で、白雄に傾倒しただけに、その句は格調高く、清新な詩情にあふれている。 子の喚之(かんし)が編んだ『星布尼句集』がある。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

雉子羽うつて琴の緒きれし夕哉

海にすむ魚の如身を月涼し

いなづまやむねうちあはす門のくれ

長き夜や思ひあまりの泣寝入り

人恋し雪の朝気をたゞひとり

(朝気⇒あさけ あさあけの略。夜明け。明けがた)

田上菊舎(たがみ きくしゃ)

宝暦三(1753)年〜文政九(1826)年。 本名、道(みち)。長門国(山口県)長府藩士の娘。 十六歳で村田氏に嫁したが、二十四歳で夫に死別、実家に帰った。 二十八歳のとき剃髪、旅に出て美濃派の傘狂(さんきょう)に入門、北陸・奥羽を経て江戸に長期滞在し、三十二歳の冬いったん帰郷、その後もさらに旅を続け、上洛は数度、九州行きも数回に及ぶ。 詩・書・画のほか茶道・琴曲にも長じ、女性としては珍しくも多彩な一生を送った。 句は男性的で線が太く、編著に『手折(たおり)菊』がある。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

解けてゆく物みな青し春の雪

山門を出れば日本ぞ茶摘うた

薫る風や諸越かけて七の緒に

(諸越⇒もろこし 中国の古称。 七の緒⇒ななのお 七弦琴をさす。中国の琴)

山中や笠に落葉の音ばかり

天目に小春の雲の動きかな

(天目⇒てんもく 茶の湯に用いる抹茶茶碗の一種)

斯波園女(しば そのめ)

寛文四(1664)年〜享保十一(1726)年。 伊勢国山田(三重県伊勢市)の神官の家に生まれる。 同地の医師斯波一有(別号、渭川 いせん)に嫁す。 元禄三年芭蕉に師事、同五年夫と大阪へ移住、同七年九月二十七日、園女邸に招かれた芭蕉は「白菊の目に立てゝ見る塵もなし」と詠んでいる。 同十六年夫に死別、宝永二(1705)年其角を頼って江戸へ出、眼科医を業としながら江戸座の俳人とまじわった。 大阪時代が俳人としての活躍期であり、雑俳点者としても有力であった。 享保三年剃髪し智鏡尼と号した。編著に『菊のちり』『鶴の杖』がある。
〔小学館『近世俳句俳文集』〕

春の野に心ある人の素貌哉

手を延べて折り行く春の草木哉

竹のこに小阪の土の崩れけり

おうた子に髪なぶらるゝ暑さ哉

行く秋や二十日の水に星の照り

大根に実の入る旅の寒さかな