高樹のぶ子
〈著書〉
『その細き道』(「その細き道」「遠すぎる友」「追い風」 文芸春秋 1983.9.10、文春文庫 1985.3.25)
『光抱く友よ』(「光抱く友よ」「揺れる髪」「春まだ浅く」 新潮社 1984.2.10、新潮文庫 1987.5.25)
『寒雷のように』(「寒雷のように」「麦、さんざめく」「残光」 文芸春秋 1984.4、文春文庫 1991.5.10)
『波光きらめく果て』(「波光きらめく果て」「土の旅人」文芸春秋 1985.9.10、文春文庫 1988.11.10)
『街角の法廷』(新潮社 1985.10.25、新潮文庫 1989.4.5)
『星夜に帆をあげて―さつきさん物語』(原題「さつき丸出帆」、文芸春秋 1986.7.20)*『花嵐の森ふかく』文庫版に収録
『陽ざかりの迷路』(新潮社 1987.6、新潮文庫 1990.5.25)
『花嵐の森ふかく―さつきさん物語』(文芸春秋 1988.1.20、文春文庫 1990.9.10)
『虹の交響』(講談社 1988.9.1、講談社文庫 1991.4.15)
『熱い手紙』(エッセイ集、文芸春秋 1988.10.20、文春文庫 1995.4.10)
『ゆめぐに影法師』(集英社 1989.6、集英社文庫、「解説―アメリカの風土のなかで」猿谷要、1993.10.25)
『時を青く染めて』(新潮社 1990.4.15、新潮文庫 1993.10.25)
『ブラックノディが棲む樹』(「ブラックノディが住む樹」「花標」「海の神様」「白隠」「蛍の挽歌」、文芸春秋 1990.10.10、文春文庫 1994.12.10)
『霧の子午線』(中央公論社 1990.11、中公文庫 1995.11.18)
『哀歌は流れる』(「十四年目のイヤリング」「岸辺の家」「菊五郎の首輪」「画家の庭」「冷たい猫」「生命のしずく」、新潮社 1991.1.25、新潮文庫 1995.4.1)
『サザンスコール』(日本経済新聞社 1991.6.11、新潮文庫 1994.11.1)
『フラッシュ バック―私の真昼』(エッセイ集、文芸春秋 1991.6.20)
『白い光の午後』(文芸春秋 1992.2、文春文庫 1999.5.10)
『これは懺悔ではなく』(講談社 1992.5、講談社文庫 1995.4.15)
『彩雲の峰』(福武書店 1992.9、新潮文庫 1995.11.1)
『湖底の森』(「桐の花」「紅葉谷」「晩秋」「霧の底」「飛花まぼろし」「スイカズラの誘惑」「午後のメロン」「湖底の森」、文芸春秋 1993.2.1、文春文庫 2000.10.10)
『氷炎』(講談社 1993.5、講談社文庫 1996.4.15)
『銀河の雫』(長篇小説、文芸春秋 1993.9.20、文春文庫 1996.11.10)
『熱』(文芸春秋 1994.5.20、文春文庫、「解説」川西政明、1997.5.10)
『蔦燃(つたもえ)』(長篇小説 原題「蔦の沈黙」、講談社 1994.9.20、講談社文庫 1997.10.15)
『花弁を光に透かして』(エッセイ集、朝日新聞社 1995.2.1)
『水脈』(文芸春秋 1995.5.20、文春文庫 1998.5.10)
『億夜』(長篇小説、講談社 1995.10.12、講談社文庫 1998.10.15)
『葉桜の季節』(エッセイ集、講談社 1996.4.9、講談社文庫 1999.4.15)
『花渦』(講談社 1996.9.20、講談社文庫 1999.12.15)
『恋愛空間』(エッセイ集、講談社 1997.5.20、講談社文庫 2000.4.15)
『彩月』(短篇集、文芸春秋 1997.8.30)
『イスタンブールの闇』(中央公論社 1998.2.7、中公文庫 2000.10.25)
『蘭の影』(新潮社 1998.6.30、新潮文庫 2000.10.1)
『サモア幻想』(短篇「宣教師Dの告白」※原題「宣教師デビッドソンの告白」 対話(X幡谷明仁)「サモアの雨に打たれて」、日本放送出版協会 1998.8.25)
『透光の樹』(文芸春秋、1999.1)
『百年の預言』上下(朝日新聞社、2000.)


高木 護
〈略歴〉1927年1月25日、熊本県鹿本郡山鹿町ミドリ生(本籍地は同郡岩野村=現・鹿北町)。詩人・小説家・評論家。1933年、岩野村小学校男岳分教場に入学し、以後、岩野小学校本校・同郡八幡村小学校・佐世保市福石小学校などを転々とし、1939年3月、山鹿町小学校を卒業。4月、山鹿町立実業学校商業科に入学。1942(昭和17)年3月、同校を卒業後、福岡市の丸善書店博多支店の書籍部に就職。翌年7月、肺炎にかかり、丸善を退職して熊本県菊池郡隅府町の実家に帰り療養。10月、同郡花房飛行場にあった陸軍気象部菊池観測所に見習い気象士(軍属「傭人」身分)として勤務し、昭和19年、南方シンガポールの第三気象連隊へ転属(「雇員」に昇進)。「わたしは敗戦をマライのパハン州のメンタカーブという小さな町で迎えた。/陸軍一等兵、十七歳であった。/翌年の秋、捕虜・抑留のあと、リオ群島のレンバン島という無人島から復員した」(『人間畜生考』50頁)、「軍属から、現地入隊の陸軍航空一等兵で、十八歳であった」(同、137頁)。昭和21年6月、レンパン島から復員船リバティー号で名古屋港に着き、熊本県鹿本郡岩野村に帰郷。父母は亡くなり、16歳の弟を頭に末は3歳の4人の妹たちが待っていた。「二年ほど」(『棺桶ひとつ』118頁)後の昭和23、24年頃から、九州一円のぶらぶら放浪生活をはじめる。昭和37年(「自筆年譜」)か、昭和38年(『川蝉』)か、昭和39年(『人間畜生考』)頃、上京。「詩と真実」「母音」商人」「ポリタイア」同人。
〈著書〉
詩集『裏町悲歌』(田舎社、昭25.8)※ガリ版全22頁。200部限定。「田舎社」は(福岡県)久留米市白山町107西原方。
『夕御飯です』(母音社、昭29.5)
『放浪の唄』(大和書房、昭40.2)
詩集『夕焼け』(国文社、昭40.3)
『おろかな人間』(オリオン出版、昭42.3)
詩集『知らない』(UPP出版部、昭44.9)
詩集『やさしい電車』(五月書房、昭46.4)
詩集『ひとりのあなた』(R出版、昭47.3)
『いつかきつと』(五月書房、昭48・3)
『人間浮浪考』(財界展望新社、昭48・5)
『川蝉』(美成社、昭49・5)
『高木護詩集』(五月書房、昭49.11)
『落伍人間塾』(白地社、昭52・6)
豆本詩集『へ』(胡蝶の会、昭54.5)
『人夫考』(未来社、昭54.6)
『辻潤―「個」に生きる』(たいまつ社、昭54.6)
『木賃宿に雨が降る』(未来社、昭55.3)
詩集『天に近い一本の木』(日本随筆家協会、昭55.3)
『あきらめ考』(新評論、昭56.3)
詩集『人間の罪』(新評論、昭56.3)
『なんじゃらほい』(未来社、昭56.11)
『虫けらの唄』(日本きゃらばん文庫、昭57.3)
『野垂れ死考』(未来社、昭58.3)
『飢えの原形』(白地社、昭58.8)
『忍術考』(未来社、昭59.8)
『愛』(新評論、昭60.2)
『穴考』(未来社、昭60.12)
詩集『鼻唄』(日本随筆家協会、昭61.7)
『棺桶ひとつ』(未来社、昭62.5)
『ことばの生命』(新評論、昭63.2)
『人間畜生考』(未来社、昭63.8)
『現住所は空の下』(未来社、平1.9)
『人間は何を残せるか』(恒文社、平2.9)
『足考』(未来社、平4.8)
『かんじんさんになろう』(五月書房、平10.4)
〔参考〕「虚無思想研究」第10号〈特集=詩人高木護〉


谷川健一
 私の父は熊本県の松橋町の出身で、代々農家であり、地主を兼ねていた。父は熊本の医学校に学び、そのあと熊本県の南端の町の水俣にやってきて、眼科医を開業した。母は熊本藩の士族の家の出である。私は大正十年七月二十八日、水俣で生まれた。長男の私の下に、三人の弟と二人の妹がある。(略)物ごころついたとき私は、古く、大きな家に住んでいた。その家というのはもとは造り酒屋で、私の家では私が生まれてまもなくそこに移ってきたのだった。広い土間があり、その天井にはくすんだ色の頑丈な梁が走っていた。その上方の屋根には明かりとりの天窓があって、そこからは陽の光が暗い家の中にチラチラと洩れてきた。玄関わきの格子窓も、部屋を仕切る板戸も柱も紅殻染めで柱の隅にはいつも白蟻の羽が落ちこぼれていた。私が今でも家霊とでも呼ぶべき家の霊魂をどこか信じる気持ちがあるのは、こうした暗く、大きな家で幼時をすごした体験があるからだ。(略)私と次弟の巌(筆名雁)とは二つちがいであり、三弟の道夫とは四つちがいである。その下の弟妹たちはまだ生まれていなかった頃のことだ。私たち兄弟は枕を並べて寝た。寝室の横の廊下の暗がりには、目の粗い竹かごが、炭火をおこした火鉢の上にすっぽりかぶせてあり、竹かごの上では、当時赤んぼだった三弟のおしめがさかんに湯気をたてていた。(「自伝抄―海やまのあいだ」、『失われた日本を求めて』青土社、昭58・12)