刃物その弐

「刃物その弐」は小刀、ナイフ、ノミ、カンナなど、まさしく由緒正しい刃物関連です。

刃物の蘊蓄は「刃物その壱」でやっちゃったので、いきなり本題に入ろうかと思ったのですが、やっぱり、国語辞書の誘惑に負けてしまいました。こっちにまとめてあります。

技術的な蘊蓄は、例によって、参考リンクをここにまとめておきました。

で、やっと本題です。

カッターナイフ

見てのとおりのカッターナイフです。いろんな形の柄がありますが、私はこのタイプが一番手にしっくりきます。

替え刃をしっかりとネジ止めして押さえつけるタイプの柄が良いと思います。また、先端の金具を調整して、がたつきをなくすと、使い勝手が良くなります。

通常の刃先角度は60度です。精密な工作用に刃先角度30度の替え刃が売られていますが、あえて角度の鋭いものを使う必要はないでしょう。細かい細工が必要な場合はデザインナイフのほうが正確な工作が出来ます。デザインナイフの刃先角度は30度です。

ともかく、カッター類は、こまめに刃を折り取って刃先を更新すること。この系統の刃物は、主に刃先を使うことを目的としているので、削りだしなど、刃全体を使う作業にはあまり向いていません。

鉛筆を削ったり、竹とんぼをつくったりするような削り出し作業には、写真のような、切り出し小刀とか、肥後の守などのような厚みがある刃が最適です。上が切り出し小刀、下が肥後の守です

大型カッターナイフ

これまた、見てのとおりです。ベニヤ板を切ったり、大物を削りだしたり、力が必要な作業はこれで行います。

注意点は普通のカッターナイフに同じです。

デザインナイフ2種類

下はインレタ用として購入したもの。柄の後端でインレタを擦りつけます。

上のタイプのほうが刃がしっかりしているので使いやすいかもしれません。いまは、こっちのほうが手に入れやすいでしょう。

ナイフ

本格的な削りだしは、刃が厚く、刃の峰に親指をあてて角度、力加減を調整できるナイフに限ります。

肥後の守が一番だという人もいますが、私はこれらを使ってます。

下のはインドネシアのバリ島で使っていた果物ナイフ?です。インドネシア語で、ピサウ・クチルといいます。

プラ用カッター

プラスチック(スチロール、アクリルなど)に筋目をいれて、折り取るのに使うものです。

が、アルミや真鍮板の切断にも使えます。すごく正確に綺麗に切れて、ヤスリ掛けもいらないので、大変便利です。

板の両面に正確に筋をつけることが重要です。つけた筋がわずかに見えるように厚板などを介して万力で挟み、ほんのわずかずつゆっくり曲げ伸ばしを繰り返して折り取ります。金属疲労を利用するわけです。

真鍮板などを正確に角を出して曲げたい場合、裏側に溝を彫り込むのにも使います。カッターを左右に寝かせて溝のV字を広げてやるときっちりと線を出して曲げることが出来ますので、お試しください。

これも、替え刃が売られていますが、私は30年前に買ったそのままです。切れ味が鈍ってきたら、油砥石でちょっとといでやれば、復活します。

彫刻刀

説明の必要はありませんね。子供のを借りてきて使ってます。丸形、平型、角形など、材料の突き切りや穴あけに有用です。

突き鑿(つきのみ)

大工道具です。中学生になったときに、技術家庭科の教材として買ったものです。ジオラマのフレームを加工したりするのに活躍します。

鉈(なた)

大物はこれに限ります。私の本来の仕事の備品の一つです。が、最近は現場に出ないので手入れして無くて、錆がふいてます。おはずかしい。

鉋〈かんな)

これも、木工の必需品です。上は突きのみと同じく中学校の教材。下は模型用のバルサカンナとミニ鉋(黒い方)です。

ミニ鉋は最初、全く切れず、刃を研ぎなおしてやっと使えるようになりました。

バルサカンナは、ハンドランチグライダーを作るのに雑誌の記事を見て購入したもので、両刃の安全剃刀の刃を使うようになっています。これもたしか中学生の頃だったと思います。しかし、これが、ぜんぜん使いもんにならない。鉋屑が刃と押さえ板の間に入り込んでしまって、ろくにけずれません。枠はダイカスト製で、きれいな焼き付け塗装。見た目はすごくいいし、きっと調整すればうまく削れるようになるのかなとは思うのですが・・・購入を失敗した道具の一つです。

2001.8.20

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● 蘊蓄

というわけで、まずはカッターから。

カッター【cutter】
(1)大型の手漕ぎボート。帆走も可能。船尾が四角に切られた形で、救命・訓練・上陸などに使用する。
(2)一本マストの小型ヨット。
(3)切る道具。刃物。特に、フライス盤で使う回転式のもの、紙を切る裁断器など。

最後にやっと出てきましたね。でも、これ、カッターナイフのことじゃないよなあ。で、ナイフは、というと、

ナイフ【knife】西洋式の小刀。

そっけない。おもしろくないので小刀に関する熟語を探してみると、

こがたな‐ざいく【小刀細工】
(1)小刀でこまかな細工をすること。
(2)大局を見ず、いたずらに小策を弄すること。

おお、二つ目の語釈は秀逸だなあ。ほめたつもりで「器用ですねえ、小刀細工がお上手ですね」なんていうと、大変なことになりますね。

お次はカンナ

かんな【鉋】(カナの転) 材木の面を削って滑らかにする道具。一般には台鉋をいう。他に槍鉋(やりがんな)など。種類が多い。

だい‐がんな【台鉋】鉋の一(ひとつ)。樫の台木に刃を適切な角度で仕込んだもの。台木の形状で、普通に使われる平鉋(ひらがんな)、反鉋(そりがんな)、丸鉋(まるがんな)などがある。槍鉋(やりがんな)・突鉋(つきがんな)などに対していう。

で、最近とみに有名になった、槍鉋はこんな風に書いてありました。「突鉋」(つきがんな)とも言うようです。

やり‐がんな【槍鉋】古代の鉋。槍の穂先の反った形の身に柄をつけたもの。室町時代に現在の台鉋ができ、これに取って代った。

で、ちょっと襟を正し、厳粛なきもちになるのは、

きよ‐がんな【清鉋】建築用材に仕上げの鉋をかけること。また、その儀式。

しかし最近は、「住宅の品質確保の促進等に関する法律」なんて、住宅建設会社や大工のサボタージュを前提にした法律が出来るくらいだから、実態は押してしるべしかも。

というわけで、次は「ノミ」

のみ【鑿】木材・石材などの加工に用いる工具。刃と柄とから成り、槌で柄頭を打ち、または手でその柄を押してうがち削るもの。刃先の形状によって平鑿・丸鑿・鎬鑿(しのぎのみ)などがある。

つぼ‐のみ【壺鑿】鑿の一。刃に円みのあるもの。円い孔をうがつのに用いる。

なるほどなるほど。壺鑿ってなかなか味わいのある名前ですね。でも、本当におもしろかったのは以下の言葉。

ふ‐さく【斧鑿】
(1)おのとのみ。また、それを使って細工すること。
(2)詩文に技巧をこらすこと。「―の痕」

いり‐ほが【鑿・入穿】
(1)和歌などで、たくみ過ぎていやみに落ちること。八雲御抄「ことばの―とは、例へば、霧の有明、風の夕暮、露ふけて、雲たけて、などいふ風情なり」
(2)せんさくし過ぎて的(まと)をはずれること。うがちすぎ。

そういや、「せんさく」という言葉、ふつう「詮索」と書くけど、「穿鑿」とも書きますよね。「旋削」ってのはこれは旋盤のための技術用語ですな。

ついでといってはなんですが、いちおう私の商売道具の一つに入ってるもので・・・

なた【鉈】短く厚く、幅の広い刃物。薪などを割るのに用いる。

なた‐め【鉈目】道がはっきりせず、見通しが悪くて迷いやすい樹林で、山中生活者・登山者などが樹木の幹に鉈でつけた目印。

この、鉈目、人によって付け方が違うので、その形や古さやで、いつ頃誰がここに来たのか一発でわかるんですよね。最近は的はずれなど素人、もとい、熱心な都会派ナチュラリストが木を傷つけるなどけしからんとかなんとか、うるさくてかなわん。

それはともかく、鉈のつく植物が有るんですね。その名は「ナタマメ」。北海道には、俗にマサカリカボチャというでっかいカボチャがありますが、ナタマメのほうは正式な名前です。

なた‐まめ【鉈豆・刀豆】マメ科の蔓性一年草。熱帯アジア原産で果菜として古くから栽培。タチナタマメは異種で、熱帯アメリカ原産。若い莢(さや)は漬物とし、種子も食用。飼料・緑肥にも適する。タチハキ。タテハキ。_季・秋_。

ほら、福神漬けに、プラナリアみたいな格好をしたのが入ってるでしょ、あれがこの鉈豆の莢を薄く切ったものです。丸のままの莢はほんとに鉈みたいな格好をしています。

最後は、

いみ‐なた【斎鉈】斎み清めた神祭用の鉈。いむなた。

刃物は有る意味では神性を帯びたものなのかもしれませんね。三種の神器にもちゃんと入ってるし、いろんな儀式にも使われる。でも、鉈が神祭用に使われるとは不勉強にして知りませんでした。


● 参考リンク

オルファカッター
 いわずとしれたカッターナイフメーカーです。開発の話はちょっと自慢臭いけどおもしろい情報がいろいろあります。

刀について
鑿について
鉋について
包丁について
 河合のこぎり店の小刀、鑿、鉋、包丁についての種類、構造、使い方などの解説ページ。

鑿はこうしてできる
鉋はこうしてできる
包丁はこうしてできる
 三条鍛冶の技のページです。製法について写真で紹介されています。
ほかにもいろいろな刃物について由来、製法、使い方など、大変参考になるページがそろっています。

道具と刃物の関係資料のページ
 外栄金物株式会社の参考資料のページです。とても興味深い内容です。

鑿の使い方
 コタニ金物の鑿の構造、使い方についての解説ページ。

「ナイフメーキング講座」
 東急ハンズのDIY講座


● 余談

竹とんぼ

竹とんぼといえば、「国際竹とんぼ協会」を抜きにしてかたるわけには参りません。若かりし頃、目黒にあった秋岡芳雄さん(工業デザイナー、ブルーバックス「竹とんぼからの発想」の著者)のお宅にお邪魔して、工芸工作を楽しむ人たちに開放されている「土間」で、発足したばかりの「国際竹とんぼ協会」のメンバーに教えてもらいながら、バンカキというちょうなの様な道具で竹の荒削りをし、切り出し小刀で竹とんぼを削りだしたことが懐かしく思い出されます。

土間の一角では、埼玉県の小学校で行う競技会のポスターをシルクスクリーン印刷で摺っていて、こうやって印刷をするのかと、初めてみる本格的なシルクスクリーン印刷に目を見張ったものでした。

なぜ、「国際」という文字がついているのか?とメンバーの一人に訊いたら、「おれが、佐渡出身だからよ」ということで、そのころ、井上ひさしの吉里吉里人がブームで、あっちこっちで日本国内独立国のブームがあり、佐渡島も日本島から独立すべきだとの運動があったとか。なんだかよくわかりませんが、なかなか楽しんでいるなあという感じが伝わってきたものでした。

そういや、この間、家族で目黒の寄生虫館に行ってきました。あのころと違って、立派で小ぎれいなビルになっていたのには驚いた。でも寄生虫の迫力はそのままでした。

肥後の守

折り畳み式小刀の代名詞です。ほんとは商品名だということなのですが・・・。これは使いだしたらやめられません。こんな使い勝手のいいものはそうそうありませんから。

私が子供の頃から使っていた肥後の守は2本とも、息子が小学6年生のときに巻きあげられてしまいました。最近手に入る肥後の守は、私のもののようにかっこよくない?んだそうです。しかし、教えもしないのに見よう見まねで砥石を使い、いっちょまえに刃を研ぎあげて、いろいろな工作をしているのには、ちょっとびっくりです。

最近は小学校、中学校へは刃物は持っていってはいけないと言うことで、そんなんで刃物の使い方、便利さ、危なさが理解できるのだろうか、と心配になります。ものを作る楽しみ、特に素材から削りだして形を作る楽しみは、身近に、手の延長という感じで持つナイフでなければ体験できないものでしょうに、困ったことではあります。

肥後の守をつかっていてするけがなんて、せいぜい2,3針縫うくらいです。まちがえて太股斬りつけたって5,6針ですむ。死にゃしませんって。刃物の効果的な使い方、怖さを知らないで、いきなり喧嘩なんかに使う奴らが出てくることのほうがよっぽど怖いと思うのですが、まちがってますか?

ベニヤ板

英語ではベニヤ板とはいいません。プライウッドといいます。ベニヤというのはベニヤ板を構成する薄い板(単板)のこと。これを繊維方向を垂直に交差させて張り合わせたものがプライウッド、つまりベニヤ板です。

で、ホームセンターに、そのベニヤ板を買いに行ったら、ひどく反ったものばかりだったので、店員さんに、もっとましなのは無いかと尋ねたら、返ってきた答えが「反らないベニヤ板などありませんよ!だから釘で打ち付けてつかうんです。え?細長く切って使うんですか?そんなことするとねじれたように反ってきますよ。」

これには苦笑を通り越して、あきれかえってしまいました。ベニヤ板ってのは、なんのためにラミネート(積層構造)してるんだとおもってるんでしょう。高温多湿下の環境や、または長時間太陽光にさらされたりすればともかく、たとえ2.7mm厚であっても、何にもせずにひどく反るベニヤ板なんて、それはただの不良品です。ちなみにねじれたように反るというのは単板の繊維方向のズレ、若しくは単板の収縮率が部分的に違っているからで、品質管理のまずさを証明しているようなものです。

現在のベニヤ板の殆どは合成樹脂系などの耐水性の接着剤を使ってますから、水に濡れたって昔のようにそう簡単にラミネートがはがれたりはしません。

10年以上前に箱の枠をつくろうと3センチと5センチの幅に裁断してもらった5.5mmベニヤ板、日の目を見ずにストックされたままですけど、いまだにそりなんてまったくでてません。だいたいそんなに反るようなら、建築の現場でコンクリートの型枠に使われるはず無いじゃないですか?現場見たこと無いのかな、この人?と人ごとながら、自分の専門分野に関わることでもあるので、さすがに気になりました。

ま、実際のところは、粗悪品のストックを安い値段で買いたたいて仕入れ、それを何も知らない素人相手に大量販売しているというのが実際のところなんでしょうが、これじゃベニヤ板がかわいそうすぎます。
 
余談ですが、日本のベニヤ板の規格が2.7mmだとか、5.5mmだとか変な厚さになっているのどうしてだか知ってます? あれ、ほんとは3mmと6mmだったんですよね。当初規格を決めるときにプラスマイナス10%の誤差を認めちゃったので、優秀なる技術をもった日本の木材工業がその下限ぎりぎりで生産してしまい、それがデファクトスタンダードになっちゃったいう訳なんです。

インレタ

インスタントレタリングの略です。プラスチックのシートの裏面に文字が印刷してあって、それを紙などに載せてスティックや爪などでこすりつけて転写するものです。

昔、ワープロが普及していなかった頃は、レタリングにはこれを利用することがほとんどでした。でも高価でした。だから、私なんかは大きな文具やさんで、レトラセット(有名なインレタのブランドです)のカタログをもらってきて、フォトコピーしたり、書体をまねて烏口と筆でレタリングしたりしてました。

まあ、ありとあらゆるフォントがそろってますので、見てるだけでも楽しく勉強になります。文字のほかに、建築パースや図面用にいろんな部材や樹木などの絵のインレタもありました。スクリーントーンもインレタの一種ですね。

バリ島

3年ほど住んでました。で、こんな事こんな事こんな事をやってました。もういちどインドネシアに住みたいなあ。

ハンドランチグライダー

子供の科学に毎号、二宮康明氏の紙飛行機の折り込み付録が付いたことがきっかけになって、現在のように、ケント紙などを張り合わせて作る紙飛行機が普及するまでは、バルサ材を削ってつくったハンドランチグライダーが一般的でした。

雑誌にも良く作り方が出ていて、風に乗れば1分間!の飛行も夢じゃないという記事を読んで、一生懸命工作に挑戦したものです。結果は20秒くらいがいいところでしたが、それでも、その20秒のなんと長かったこと。グライダーを投げあげた冬の田圃の景色を思い出しました。

竹ひごとヒノキ棒でつくるゴム動力の飛行機は、もっと飛ぶそうです。上昇気流に乗ったりすると、どこまでもどこまでも飛んでいってしまうという話を聞いて、本当にびっくりしたものです。

ネットをうろうろしていたらこういうページを見つけました。工作法や飛ばしかたなど詳しく解説されてます。こういうアソシエーションがあったのですね。

フリーフライト模型飛行機クラブ ランチャーズ 

「住宅の品質確保の促進等に関する法律」

消費者が安心して住宅を取得できるようにするために制定された法律。1999年6月公布、2000年4月から発効。

大きくは、住宅性能表示制度の創設、紛争処理体制の整備、瑕疵担保責任の特例の3点からなる。

「住宅性能表示制度」は、構造安定、火災時の安全、劣化の軽減、維持管理への配慮、温熱環境、空気環境、光・視環境、音環境、高齢者への配慮の9科目について住宅の性能について、等級を決めて表示するとともに、これを第3者機関である「指定住宅性能評価機関」によって客観的に評価し、評価書を発行するもの。これは、任意の制度であり、義務づけられたものではない。

「住宅に係る紛争処理体制の整備」は、性能評価を受けた住宅に係る裁判以外の紛争処理を効率的に行うもので、「指定住宅紛争処理機関」が70の技術的基準により、構造耐力上主要部分の瑕疵のレベルを判定するもの。

「瑕疵担保責任の特例」は、柱や梁など住宅の基本構造部分と雨水の浸入防止に関する部分の瑕疵担保責任を10年間義務づけるもの(20年に延長可)。

木造建築余談

余談ですが、私は、ほんのわずかではありますが、なまじこの世界に触れる機会があっただけに、まかり間違って家を建てるようなことがあったとしても、木造には絶対にしないつもりです。もちろん内装には木をふんだんに使いたいとは思いますけどね。

以下、ほとんどは私の思いこみかもしれませんが、

いくら法律が出来たところで、規格ができたところで、不幸なことですが、施工する業者や大工が信用できません。構造耐力に関する部分に関しては、木造ほど、腕の違いが顕著で、施工につじつま合わせ、手抜きが出来る工法はありません。ですから、私のような、金もコネも無く、転勤族で地元のつながりも信用もない人間が、一見さんで木造住宅を工務店などに依頼した場合の結果は、ほとんど目に見えてます。

あ、念のため付け加えておきますが、「つじつまあわせ」、もう少し言い方を変えれば「現場合わせ」、は本当は悪い事じゃない。これは部材の乾燥その他による収縮や狂いがつきものの木造建築施工に当たっては、ある意味では必須の技術で、本来は大工の腕の善し悪しはここで決まるといっても過言ではないはずの技術?なのですが、今はそうじゃない。ほんとうのアラ隠し、手抜き隠しのつじつま合わせになってしまっています。

誤解を招かないように、さらに付け加えておきますが、世の中には、たまたま私がその存在をしらないというだけで、教養ある高潔な政治家や、有能かつ誠実な高級官僚、謙虚で常識あるマスコミ記者とおなじように、実際は技術力の高い、丁寧な仕事をする工務店や大工さんが星の数(雨の日のか?なんてツッコミは無しですよ)ほどいらっしゃるはずだと信じています。

が、そういう工務店や大工さんは、よほどの金を積んだばあいや、誰の仕事か良くも悪くも評判になるような場合、または、発注者が地元に長く住んで信用も尊敬も得ている場合や、有名人、有力者、権力者などでないとご縁がないものと考えてほぼまちがいはないのではと思います。

この不況の世知辛い世の中では、なにかしら標準的な報酬以外にも有形無形のメリット若しくは外的圧力がない限り、持っていたとしてもその技術や良心を発揮する気持ちも余裕もないでしょうし、最近はさんざん貢いできた地元政治家や有力者もたよりにならず、これまでのようにそうかんたんにうまい汁のおこぼれも吸えない。彼らだって暮らして行かなきゃなりませんからね、あとあと泣き寝入りさせるのが簡単なところから、巻き上げられるだけ巻き上げようというのが、いまの世の中では、現実的、人間的な標準的対応でしょう。

あと、もちろんコンクリでもいろいろ手抜きのテクニックはありますけど、例えばコンクリート型枠プレハブともなると、施工はある程度マニュアル化されているから、基礎を除けば構造耐力に関する部分に関して本格的な手抜きができるのは工場生産段階からということになりますし、責任の所在は明確で組織的な犯罪になるからペナルティーのことを考えたら極端なことはしないはず、というのは甘いかな?

都会派ナチュラリスト

またまた余談ですが、北海道の某地で、リフトバックのしゃれた車の後ろにカラフルな屋根だけのテントを張り、アルミパイプのテーブルとイスを広げて大自然を楽しんで?いた、アウトドア雑誌から抜け出してきたような半袖半ズボンのカップルが、雲のように大挙して襲いかかってきたヌカカ(米糠のようにちいさな蚊、どういうわけか一定の時間帯になると決まって一斉に林の奥から湧き出てくる)のなかでパニック状態になっていたのを見たことがありますが、あほか、こいつら、とマジで思ったものです。

実はそのとき我々は仕事中で、厚手の長ズボンに古いワイシャツ(目がつんでいるし、白いと虫に刺されにくい)を着込み、首にはタオル、頭にはヘルメット、軍手をはめて、腰には鉈と蚊取り線香をひもでつるした、地下足袋スタイルの現場標準装備で、彼ら、最初、ろくに挨拶もかえさずに奇異な目でじろじろと無遠慮な視線をなげかけ、バカにしたような笑いを漏らしていたので、あらかじめ注意してやる気も失せてしまって、その後の状況も、みなほとんど無関心、関係ないねという状態でした。田舎のオッさんたちも意地悪になるときゃいじわるになるんだぞ。

だいたい自然保護がどうとかこうとかいう奴らにかぎって、山の中に自動車に乗ってやってきて、道の無いところには入ろうともせず、遠目に「素晴らしい大自然」を満喫?し、われわれに自然のすばらしさと重要性をとくとくと語って聞かせながら、宿泊施設に都会のホテル並のサービスがないと文句をつける。おまえらいったいここへ何しに来たんだ?といいたくなるようなのがほとんどです。ま、やりようによっては、いいカモになるのかもしれないけどね。しかし思い出しても、あの、自然保護団体?のグループは不愉快だったなあ。#タメイキ#

プラナリア

和名ナミウズムシ。清澄な渓流の石の下などに張り付いてくらしてます。半分に切っても完全に再生するという有名な生き物。念のために辞書ひいてみると、

プラナリア【planaria】ウズムシ目(三岐腸(さんきちよう)類)プラナリア科の扁形動物の総称。体は扁平で軟弱。体長二センチメートル内外。褐色で腹面中央に口をもつ。流水中の石の裏などにすむ。再生の実験材料として有名。ナミウズムシなど。

おー、そうだった。こいつら、へそのところに口と肛門をかねた器官があるんだよな。

中学校の時、こいつをシャーレで飼って、実験しました。餌に鶏のレバーを煮たものやゆで卵の黄身をやるんだけど、水が汚れるとすぐ、体が爆発したように裂けて死んでしまう。結構繊細な弱い生物なのに、半分に切っても再生する力があるというのが不思議でした。

ところで、半分に裂いても生きているってので名が付いたハンザキって動物がありますが、これはオオサンショウウオのこと。手とか足とかを再生する能力があるそうですが、さすがに半分に裂かれたら生きていられるかどうか・・・

かれら、皮膚にひきがえるのように分泌物を出す腺を持っていて白い液を出すのですが、この液、時間がたつと、なんというか、えもいわれぬよい香りを放つのだそうです。昔はハンザキの肉を薬効があるということで干し肉にして保存食にしたこともあったそうで、又聞きですが、その匂いがえもいわれぬ程良かったという古老の話などもあるそうです。

一見さん

いちげん【一見】(「見」は見参の意)(料理屋などで、馴染みの客と違って)「振り(の客)」の意の通語。「一さん」 

いちげん【一見】初対面。遊里で遊女に初めて会うこと。初会(しょかい)。浄、天網島「一ながら武士の役、見殺しには成りがたし」
―‐きゃく【一見客】初対面の客
―‐ぶるまい【一見振舞】初対面の酒宴

上は「新解さん」、下は「広辞苑」、実用上は「新解さん」の勝ち。文化教養的おもしろさは「広辞苑」。「浄、天網島」というのは、近松門左衛門作の「浄瑠璃、心中天の網島」から引用、という意味ですね。

刃の峰

背、つまり刃がついているほうと反対側のこと。正しくは、「刃」の峰じゃなくて「刀」の峰というんでしょうが、既に小刀の事を話していますし、日本語では、刀身のことを「刃」という言葉で表すばあいもおおくありますから、これで必要十分に通じるはずです。え?こんどは「刀身」がわからない?えーかげんにせえよ、おんどりゃぁ!それくらい、わからんかったら自分で辞書ひいてしらべなさい!

とまあ、興奮気味で、こんなあまりにも常識的なことを、いつになく?しつこく書いているのは、技術関係の説明資料作成などで毎度毎度、「こんなかきかたじゃ、だめだ!だれにでもわかるように書け!」という職場でのエライさんの言い方に頭に来てるからなんです。

「だれにでもわかる」というのは、「社会人としての一般教養があり、かつ、ある程度の常識と、想像力そして新しい概念を理解することができる、または理解しようと努力したり、学んだりすることができる普通の人にわかる」ということだと思ってたんですけどね?つけくわえれば、「五七五、あわせて17文字の俳句以上の文字数のある日本語をシンボウして一気に読みとおし理解できる人」とでも、いっときましょうか?

「先生方(例えば一部の政治家や一部の政府諮問機関等の委員などのこと)にはわからん!」

それって、あんたがわからんってことでしょう? しかし、ま、そうだとしたら、たしかに一部の先生方もわからんだろーなー。

それにね、いわせてもらえば(いわせてもらえなくても、普通は)、ある程度、技術的に専門性のある知識や概念に関しては、「だれにでもわかる」ということと「学ばないでも、理解しようと努力しないでもわかる」ということはイコールでは無いんですがね。

専門的な知識経験を必要とする大規模石油精製工場のプラント(機械施設)と、多少頭の足りない小娘でも扱える家庭用石油ファンヒーターのメンテやトラブルシューティングを同レベルで扱うなっての!そんなことだから、原子炉の事故が起きるんです。

だからね、技術的なことについてはこうして補足の資料をつけてるんだから、それを見るなり、説明させるなりしろよな!といっても、はなからそういう気も能力もないんだっけ。相手は三流文系人のエライさんだったんだ。

100万歩譲って「だれにでもわかる」という表現を認めたとしても、その「だれ」というのがどのレベルのどういう人のことを指しているのか? 対象を明確にしないまま、そういう表現で指示を出したり、批評、批判をしたりするのは、自分の論理思考のなさ、程度の低さ、(誰にでもわかるように言えば「頭のわるさ、馬鹿さ加減、低脳さ」)をさらけ出してるようなもんですよ、っていうのは、特に三流文系人のエライさんとか「だれにでもわかる」いい方ではないのかもしれませんね。

三流文系人のエライさん

さらに、誤解を招かないように、付け加えます。

誰にでもわかるようにいうと、「三流」というのは卒業した大学や現在の所属する組織(の場合はあるかも)のことではありません。その人間の素質と能力と性格、人格の事です。

一流の文系人は、科学技術の手法と内容をしっかりと理解し、現実的、論理的思考で、物事を判断しているようにお見うけします。ある意味では、理系の素養をもたない優秀な文系の才能なんてありえない。もし否定される優秀な文系人がおられるとしても、それはご本人が自覚していないだけだと思っています。

そう思うだけに、現在の日本の中心周辺にいて、この国の将来を決める立場にいる、文系のエリートどもの実態を知るにつけ、こういう、ともすれば誤解をまねく、不快感を催すような表現を使わざるを得ないのです。

多少頭の足りない小娘でも

この表現、赤石英著「法医学は考える」(講談社現代新書)から引用しました。この本、内容が興味深いばかりでなく、ほかにも「小説家はあくまでも小説の世界にとどまっているべき」とか「(飲酒運転した人は)精神病者の同類と見なして再び運転免許を得られないようにしてやるのが親心」とか、「(日本は)法医学的知識の乏しい弁護士や小説家あるいは政治家などが、専門家の意見や裁判そのものに、やたらと文句をつけ(る後進国)」とか「新聞は公器ではなく私器なのかと疑いたくなる」とかいうような、なんというか、読んでいて溜飲の下がるような、こんな事まで言っていいのかなというような痛快な文が散見されて、そういう視点からもずいぶん楽しめます。