● 余談
! 三省堂「新明解国語辞典」、「新解さん」
ほかの国語辞典にはない独自の語釈で人気の辞典。一部のマニアの間で親愛の情をこめて「新解さん」と呼ばれる。その語釈、用例には感動をすら覚える。下記例を参照。「新解さん」の実態についてはぜひこちら(「新解さん」検索結果)からご覧になってみてください。
【恋愛】特定の異性に特別の愛情を抱いて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる(まれにかなえられて歓喜する)状態。
【合体】(2)「性交」の、この辞書でのえんきょく表現。
【性交】成熟した男女が時をおいて合体する本能的行為。
【女たらし】 美貌と巧言とで次つぎ女性を誘惑し、遍歴することに生きがいを感じる反社会的な男
【白痴】知能指数の非常に低いもの。「一億総―化・一美(=ある種の女性に見られるような、知性・表情に乏しい美しさ)」
【一本】(二)(1)独立して用をなす物<長く続く物が多い>の単数を表わす語。例、<甲>「電車・バス・列車の運行・路線、映画・劇・戯曲・ドラマ・演し物・講演・番組・作品、書付け・記事・原稿・手紙・はがき・電話、日差し・光・電灯・照明・火・ランプ、安打・ホ−ムラン・イレギュラ−・打撃・シュ−ト・フリ−キック・ショット・シュプ−ル・トライアル、川・泥流、----券・始末書・紹介状・調書・証明書・契約書・シ−ル・高札、植物の根・茎・枝、折れ目・穴・尾根・亀裂・傷・跡、刀剣類・商品一般・<乙=五十音順>「アクアラング・襟・桶・カリキュラム・(乾)電池・ギタ−・くじ・薬・化粧回し・コイル・サイロ・地金・ショ−ケ−ス・スピ−カ−・スプリング・整髪料・石けん・セットの構成数・センサ−・染色体・千羽づる・ソフトウェア・ダイナマイト・タイヤ・中継器・注射・堤灯・塵・出入口・電柱・ドラム缶・トンネル・歯・ハ−モニカ・パイプ・旗・花輪・埴輪・歯みがき・高層ビル・ファイバ−・風帯・踏切・ブラウン管・法・望遠鏡・欄干・リベット・リング・リンゲル液・レンズ・ロケット」など。
最後の「など」がなんともいえません。
! 赤瀬川源平(=尾辻克彦)
芥川賞作家。建築探偵団、路上観察学会、現代考現学などの活動で知られる。そっちの方面では「老人力」「新解さんの謎」「外骨という人がいた!」「奥の横道」「路上観察学会」「超芸術トマソン」「よみもの無目的」なんて著書が有名。
! 理科系、技術系が淡泊っていうか、まったくの苦手なのね。
「新解さん」では、理科系、技術系の用語はかなり少なく、また、文化系用語にしても科学的な基準からは使い物にならないかたよった記述が散見されるようです。いちおうほかの国語辞書も見てみましたが、まあ、似たり寄ったり。その中でも「広辞苑」は良く書かれている方だと思います。
実際は、技術用語、科学関係用語などはそれ専門の用語辞典などを参照するのが本当なのでしょうが、日本の国語辞典って、文学関係の用語や文化人類学的用語はまあいいとしても法律用語とか経済用語なんかにはやたら手厚いんだよなあ。英語の辞書なんかだとちょっと変質的なんじゃないかというくらいの技術用語のしかも正確な解説があったりするんですけどねえ。
ま、なんといいますか、これが三流の文系人権力者に牛耳られる科学技術立国の象徴的な現実というところなんでしょう。
! あ、申し添えますが、ここでは理系文系の優劣をどうこういっているわけではありませんので、誤解無きようお願いいたします。自分はいちおうは理系に入るとは思いますが、どうひいき目に見ても知力体力ともに平均以下、それでいい思いをしたことだってありませんから、理系文系はその性向は違うにしても、人間としての能力には全く関係ないことを、自信をもって断言します。
理系人文系人の考察については、こんなページを見つけました。しゃっちょこばった分析なんかよりよほど気が利いています。
! 久留米のからくり義右衛門
本名、田中 久重(ひさしげ) 。久留米うまれ。生業はべっ甲細工師で、15歳で井上伝に教えられ「絵がすり」を考案。のちの久留米絣となる。明治4年(1872)上京して珍器製造所を開設し、3年後工部省指定工場田中製造所を創立する。他に、「気砲」「懐中燭台」「鼠燈」「無尽燈」「縮象儀」「蒸気船雛形」「電信機」「蒸気砲の雛形」等の製作。東芝の創立者として有名。東京上野の国立科学博物館に展示されている「自鳴鐘(じめいしょう)」は和時計の最高傑作といわれ、
田中久重(53才の作品)の作品の中でも頂点に立つ発明品。太陽と月に関する天体現象までが盛り込まれ、ゼンマイを1回巻くことにより225日間動き続ける。
! カレルチャペクの戯曲RUR
チェコの劇作家チャペックによって 1920 年に発表された演劇「ロッサム万能ロボット会社(Rossum's Universal
Robots) 」のこと。「ロボット」という言葉が初めて考案され、使われたSF古典としても有名。ある学者が、人工的な方法で原形質を得ることに成功し、これによって、外見は人間と少しも変わらないが、肉体的苦痛を感じず、喜怒哀楽や死に対する恐怖を欠いた人造人間をつくりだす。この点に目をつけた企業家が、ロボットの大量生産に着手し、やがて彼らに人間の仕事のすべてを肩がわりさせる。労働はロボットによって行なわれるので、人間はいつか生活を楽しむだけの存在と化する。チェコの国民作家カレル・チャペックの若き日の代表作。
! そう、ぼくらはみんな、モノをつくるからこそ、人間なんだ!
ところが、なんということか、広辞苑第4版では「こうさく‐じん【工作人】(homo faberラテン)」の項目がなくなっているのです! モノを作ることよりも、マネーゲームで金をもうけることのほうが重視され評価される現代の世相を反映したものなのでしょうか?はたまた、モノを作らずモノを作る人をバカにしながら搾取し栄華を誇る金融界経済界からの有形無形の圧力のなせるわざだったのでしょうか?結局のところ岩波も、性根はこの国を牛耳る三流の文系人エライさんの身内だったということを認識させられた、かなしい発見でした。
! 2001.9.23 追記
と思っていたら、新事実発見! なんと、広辞苑第4版に、ホモ-ファーベルという見出しがありました。そこに第2版の「工作人」の語釈が記述されていたのです。念のため確かめてみると、第2版にもホモ-ファーベルという見出しはあり、語釈は、→「工作人」となっていました。第4版では、本体がこっちに移り、他のホモ関係の見出しもいっしょに並べられているので、「人間」に関する定義が一覧できるというわけ。
ふむ、べつに工作人をないがしろにしたわけではなかったということなのかもしれませんが、「工作」の見出しからホモ-ファーベルにたどり着けないのは、やっぱり寂しいというか、おかしいと思う気持ちには変わりはありません。
工作という実世界から、人間の定義という学問的世界、博物館入りの世界になっちゃったわけで、いかにモノを作るということを実感していない輩が主導権を握っているかということを表しているようにも感じます。
広辞苑第4版の「人間の定義」関係の見出しを並べてみると、
ホモ【Homo ラテン】(人間の意) サル目(霊長類)ヒト科ヒト属の学名。
ホモ‐サピエンス【Homo sapiens ラテン】(知性人・叡知人の意)
現生人類の学名。新人。
ホモ‐ファーベル【homo faber ラテン】(「工作する人」の意)
動物と人間とを区別する本質は物を作ること、特に道具を作ることにあるとして、人を指す語に用いる。
ホモ‐ルーデンス【homo ludens ラテン】遊びをする人。ホイジンガによる人間の規定の仕方、また、その著作名。
ホモ‐エコノミクス【homo oeconomicus ラテン】経済人。もっぱら打算的・合理的な考慮から行動する人間。
ホモ‐ロクエンス【homo loquens ラテン】話す人。ことばをもつ点を人間の本質とする人間像。
ちょっと簡単すぎるので、さらに解説を加えると、
ホモ‐サピエンスは、スウェーデンの博物学者リンネの分類による現生人類の学名です。人間の本質を規定している語の中でも、最も重要なものとされていて、ギリシア語の、zoon
echon logon(言葉をもつもの)、すなわち「ホモ‐ロクエンス」に対応しています。
つまり、人間は、知的な動物であるという点で他の動物とは異なるとし、その知性のゆえんは言語の使用能力である、という考え方です。
ホモ‐ファーベルは、広辞苑第4版からはなくなってしまった「工作人」と訳されるもので、フランスの哲学者H.ベルグソンの言葉です。B.フランクリンがすでに、人間は道具を作る動物と規定していましたが、ベルグソンは、人間の本質は物を作り己を形成する創造活動であると考えました。そして、ホモ=サピエンスというあり方は、ホモ=ファーベルが己の創作活動を反省するところに生まれるものであるとしたわけです。
ホモ‐ルーデンスは、「遊戯する人間」という、オランダの文化史学者J.ホイジンガの提唱した概念です。著書『ホモ‐ルーデンス
ー遊戯における文化の起源』(1938)は、遊戯思想史上一時期を画しました。ホイジンガは、「人間の文化は遊びの中に遊びとして発生し展開してきた」という見解をもとに、ホモ‐サピエンス(理性人)、ホモ‐ファベル(工作人)、という従来からの人間規定を越えた、ホモ‐ルーデンス「人間は遊ぶ存在である」という新しい規定を提唱し、「遊ぶことにより、理性と技術支配による文化の衰退と不毛を補い、生の豊かな様式として文化、そしてそれに基づく人間生活の共同体が作りだされる」としたのです。
遊びそのものの定義に関しては、フランスの社会学者ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」という、これまた遊戯思想史上一時期を画した書物があります。
ホモ‐エコノミクスとは、近代資本主義社会において、経済的合理性にもとづいて経済活動を行なう人間のことをさし、「経済人」と訳されています。
生物学的な呼称で、広辞苑に載っている見だしは、
ホモ‐サピエンス【Homo sapiens ラテン】(知性人・叡知人の意)
現生人類の学名。新人。
ホモ‐エレクトス【Homo erectus ラテン】(直立人の意) 現生人類(ホモ‐サピエンス)の祖先とされる化石人類。ピテカントロプスや北京原人がこれに含まれ、約一六ラ万年前から三ラ万年前にかけて生存し、火を用い、発達した石器を作り、旧世界のほとんど全域に分布していた。原人。
ホモ‐ハビリス【Homo habilis ラテン】(「手先の器用な人」の意)
アフリカ東部、オルドヴァイで発見された最新世初頭の化石人類。アウストラロピテクスに似ているが、それより脳の容量が大きく、歯の構造も進歩している。猿人もしくは原人の一部とする考え方、あるいは全く存在を否定する見解もある。
この系統の呼称は学名と混乱しそうですが、広辞苑では、人間の定義という視点に絞って見出しを選んでいるようです。
ついでに、その他の「ホモ」ではじまる見出しも並べておきます。
ホモ【homo ギリシア】(同一の意)(1)〔生〕対応する或る遺伝子に違いがない配偶子同士が接合して生じた個体の遺伝子構成。また、その個体。すべての遺伝子について同じ場合、すなわち純系の場合を含む。ホモ接合体。←→ヘテロ。(2)(homosexual
の略) 同性愛。また、同性愛者。
ほ‐もじ【ほ文字】(女房詞) 乾飯(ほしいい)。
ホモニム【homonym】〔言〕ある言語において、互いに同一の音形を持ちながら意義を異にする語。同音(異義)語。(ア)同綴同音異義語。同形(異義)語。英語の
bear (「熊」と「運ぶ」)の類。(イ)異綴同音異義語。「立つ」と「絶つ」、英語の sea と see の類。
ホモフォニー【homophony】単声部音楽。←→ポリフォニー
ほ‐もめん【帆木綿】帆に用いる厚く丈夫な木綿地。
「ほもじ」なんて、なんで見出しに入ってるんでしょうねえ?
! 辞書の規模
三省堂「新明解国語辞典」は本文一,四三一ページ。
親見出し六万語内外、子見出し八千語弱、別枠の漢字の造語成分二,一七五語、外国地名二七四語、計約七万語。本書に用例として掲げているもので、他書が一見出しの扱いをするものを合わせると、合計七万三千語以上に及ぶ。(あとがきより)
岩波書店「広辞苑」は本文二,四四八ページ。
収載項目はすべて約二十万である。(凡例より)
! ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」
ロジェ・カイヨワって Roger Caillois と書きます。だからフランス語は嫌いなんじゃ。
もちろん英語もロシア語もスペイン語もアラビア語も中国語もマレー語も標準語も、外国語?はみんな嫌いじゃあ、というのはともかくとして、
「遊びと人間」は、「遊び」に関する6つの基本的な定義と、4つの基本的範疇(分類)を基軸に、「遊び」の特性、「遊び」が持つ原動力、「遊び」の由来、「遊び」の社会性等について論述したもの。“競争”“偶然”“模倣”
“めまい”という、あの有名な「遊び」の分類はこの本で初めて示されたものです。
何をかくそう、私もご多分に漏れず、学生の頃この本を読んでかぶれました。今もオパーリンの「生命の起源」とならんで、本棚に大事に飾ってあります。
この人の仕事は、聖なるもの、戦争、遊び、夢、めまい、賭け事など「人間の心を騒がせ、魅了し、ときには隷属させる、不可解で抗しがたい情動」(『人間と聖なるもの』より)にかかわることへの関心に貫かれています。
この人、アカデミー・フランセーズの辞書会議にも参画していたのですが、その席上で、ただ退屈だという理由で、とんでもないいたずらをやってのけてます。つまり、架空の言葉をでっちあげ、語源やなりたちを堂々語って見せ、皆が聞きほれ、その語を採ることに決まったところで得意満面で種を明かして、一同を唖然とさせ、会議を腰砕けにしてしまったというのです。カイヨワの面目躍如というところですね。
また、ある書店の原稿審査委員会では、めいめいが受け持った原稿を読んできて報告し、一級(出版すべし)、二級(見こみあり)、三級(価値を認めず)と評価を述べることになっていたのですが、その当時ユネスコ勤務していたカイヨワは、いつも一時間ほど遅れて現れ、担当した原稿がいかにもすばらしい作品であるかのように、ひとしきり息もつかせず語った後、その原稿の束を足下にばさっと投げ出し、よく響く声で「四級!」と宣言したということです。
このおっさん、エライ学者のわりにはイチビリの度が過ぎるんじゃないかと思うんですが、いったい何を考えてたんでしょうかねえ?
! オパーリンの「生命の起源」
ソ連、もとい、ロシアのオパーリンが1936年に著した「生命の起源」で提示した「コアセルベート説」は知らぬものはないほど有名(なはず)です。なんてったって、あの、手塚修虫の「火の鳥」宇宙偏にも出てくるくらいですから。
生命の起源を天文学、地球化学、生化学の観点から解き明かそうとしたオパーリンは、現在と全く違った状況の原始地球上で簡単な炭素化合物からしだいに複雑な分子ができたと考えました。彼がコアセルベートとよぶ、その複雑な分子で出来た液滴は周囲との境界を形成して独立の存在となり、しだいに生物に見られる性質を供えていった、というのがその説の概要です。
これ以後、生命の起源については、いろいろな分野の研究者により修正されたり別の仮説が出されましたが、基本的には、この化学進化説、化学物質が互に反応しあう系を作り、組織化され、生命という新たな物質系を作り上げたと考えられています。