張切羅をもって鷹を捕る

 日本山海名産名物図絵【社会思想社)より                         

甲斐山中、日向、丹後、伊豫等に捕るもの皆小鷹にして、大鷹は奥州黒川、上黒川、大沢、
富沢、油田、年遣(とっかい)大爪、矢俣等にて捕なり。
凡七八月の間柚の実の色付きかかる折を渡り来るの期とす。

羅ははり切羅といいて目の広さ一寸或い二寸、すが糸にても苧(お、麻糸の事)にても作る。
竪三四尺横二間許なるを張りて、其下に提灯羅とて長三尺ばかり周径一尺計りのもめん絲の
羅に鵯(ひよどり)を入れ杭に結い附け、又其傍に木にて作りたる蛇の形のよく似たるを
竹の筒に入れて絲を長く附きて夜中より仕かけ置き、早天に鷹木末を出て

求食を見かけ、志かきの内より蛇のi絲を引きて鵯のかたを目がけ動かせば、
恐れて騒ぎ立つを見て鷹是を捕らんと飛下て羅にかかる。
両方に着きたる竹の釣(ち)に漆をぬりて能く走る様にしかけし物にて

鷹触れば自編寄(おのずからしじまりより)て、鷹の纏わるるを捕うなり。
此羅を張るに窮所ありて是又容易のわざにはあらずといえり。
其猟師皆総髪にして男女分かちがたし。

冬も麻を重ねて着せり。此に捕る鷹多くは鷂、またハシタカともいいて兄鷂(このり)の
雌なり。逸物は鴨、鷺を捉り白鷹に似て小也。其の斑色々有り。

森 覚之丞の著した(鷹術四季書)によると巣鷂(すはいたか)は、日光、秩父、上州、
甲州、飛州(飛騨)より集められ、網掛鷂(あがけはいたか)は日光、笠間【茨城県)より
供給される。江戸幕府の夏の鷹狩りにおいて、巣鷂の利点は夏の雲雀狩りを


鷂の成長後、すぐにねり遣い(換羽中の雲雀)に使えて九月上旬まで使用する事である。
又、もう一つの網掛若鷂は秋捕獲後翌年の三月初め頃より繋ぎ、仕込みだし
夏の手前(鷂によって違うが)塒をさせない様に雲雀狩りをするのです。

それでも塒(換羽)になる前年捕獲の若鷂は上尾(尾の真ん中)二本高羽(風切り)が二枚
抜くまで雲雀狩りに使用するのです。

ねり遣い初めより七月中頃まで網掛若鷂と塒鷂、塒巣鷂を中心に使用、その後今年の雛巣鷂へと
変えてゆくのです。幕府鷹匠はねり雲雀(換羽中の雲雀)を雑司ヶ谷組、千駄木組各五千羽づつ
捕獲、納入するのが勤めでした。



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