オオタカ

(夏の巻)

鷹術四季の書、法儀目録によると、次の通りである

一、 オオタカばん仕込の事
一、 網掛ハイタカ子雲雀仕込の事
一、 巣ハイタカ飼立の事
一、 同繋場の事
一、 同繋馴けの事
一、 同ねり雲雀仕込の事
一、 巣オオタカ飼立の事

以上であるが、夏のオオタカは、ばん猟が主である
鷹役所(雑司が谷組)の、夏全般にみると、大きく分けて次の様になる
一、ばん猟をする鷹匠、鷹匠同心の班(グループ)数名ずつ何班も有り
一、買い上げ、献上等の巣鷹(オオタカ、ハイタカ、ツミ、まれにハヤブサも有り)
の飼立(養育)する班(グループ)数名ずつ何班も有り
一、鷹部屋内に切り飼う(放し飼い)をする班(グループ)数名ずつ何班も有り
これら全てを組頭に、よって指示される。
ばん猟の班も、将軍の御成が有り、骨の折れる仕事である
ばんも上げ鳥として、出され江戸城にて将軍より大名へ下賜される
「松平 加賀守治修様へ、ばん五羽下賜される 」と、記載され、徳川実記                              
(国史大系)に、多く見られる。
ハイタカにての、雲雀猟も幕府鷹匠」の最も大切な鶴御成と、並ぶ大事な猟である
雑司が谷、千駄木両組合わせて、五千羽の雲雀が必要なので、必ず定量を
差し出さなければならず、苦労した様です
ハイタカの章で、詳しく記す。

幕府の巣鷹(オオタカ)は、日光(栃木県)甲州(山梨県)より持ち出し、
その他は、(鷹屋、江戸小田原町、本国屋伊兵衛、真志屋茂兵衛、上野屋房吉)
に、幕府は全権を与え巣鷹を、東北諸大名より買い集めさせた。
幕府がお買い上げた後で、他の大名が買う事ができた。
代価は、弟、五両である(道法(みちのり)の、遠近によって値段が、変わる。


巣鷹(オオタカ)を買い上げた幕府は、御三家様にも巣鷹(オオタカ)を、下賜され
徳川実記の寛政九年六月六日 (此日、尾紀両邸へ御史して、巣鷹二居(ふたもと)
ずつ、つかわされる。)と記す
大名が、国元へ就封の時、将軍から御馬、御鷹を下さる。
幕府は、これらの理由で、相当な数のオオタカが、必要であったが、
数量は、定かではない。

次回は、オオタカの、巣鷹の仕込みから。 

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