刺羽(サシバ)馴並びにかせ架之事

鳥獣虫魚譜より

江戸幕府において、鷹狩りに使用するのは
オオタカ、ハイタカ、ハヤブサであるが
他によく使われたタカに、ツミ、サシバ(刺羽)
がある。

旧幕時代と名前が、変えられた刺羽(サシバ)
現在は、コチョウゲンポウについて、記述する

明治後期、鳥類学者として有名な黒田長禮氏
の師である飯島魁博士によって、日本全国の
鳥類の名前が、統一されました。

それまでは各藩や地方によって、違うのが
一般的であった。
(「放鷹」宮内省刊)の中(476ページ)にも

鷹匠名ーサシバ(松平子爵による)と有りますが
これをうらずける資料が、不足していた。
何か図譜がないかと、図書館に足を運んだ。


旧幕時代の庄内藩の中級武士であった
松森胤保(まつもりたねやす)が描いた鳥獣図譜
に出会った。

(鳥獣虫魚譜ー「奥羽博物図譜」の世界八坂書房)
これが、写真二枚です。
この写真(絵の説明文)にはっきりと、刺羽慶応三年

と書いてあり、これによって私自身も確信しました。
ちなみに雑司が谷組鷹匠の家に生まれた鷹匠
村越仙太朗氏によると、刺羽(サシバ)はコチョウゲンポウ、現在のサシバはチュウヒと、現在のチュウヒはヒタカであると、教えられている。


上記の本の中にチュウヒの絵があるが、これには
腰白と書かれている。詳細に描かれているので
興味の方は参照されたし。




左の絵は(絵本鷹かがみー河鍋暁斎)
刺羽(サシバ)のかせ架仕込みです。



刺羽(サシバ)馴並びにかせ架仕込の事

(原文のママ)
九月下旬(旧暦)刺羽移し候はば(そうらはば)、夜据二タ廻り程仕(つかまつり…するの謙遜語)
昼据に仕、雀丸嘴数多く飼て、持ちぐせ無之(これなく)様仕込また、雀の飛び流し活もの飼い
渡りをも能々仕込、又御犬頭(犬の前にての意)にて、鶉の活けもの飼い其れより

かせ架仕込候事なり、右かせ架は志もく(しもく)にて最初は、手の届き候程の高さに拵え
土地にさし置きて、右のしもくに餌飼いの度餌を付けて渡らせ、又呼び取りては渡らせ追々高く
仕、最早付け餌(しもくに…)無之候共、右しもくに上げ置て折々下より雀を投げだし、又は鶉なども

活けものに飼い置、架付き宜敷(よろしく)相成候はば、折々広野に出て仕込置追々枯れ野を
刈り取候頃、鶉捉せ候事なり。      以下省略

江戸幕府にて、刺羽(コチョウゲンポウ)を使用するのは判っていたが、獲物が鶉と判明したのは
森覚之丞の著した(鷹術仕季書)によってである。
トップへ