吉田流とは

(「放鷹」宮内省刊)によると、吉田流とは次の通りである。
吉田多右衛門 家久に始まる。家久は根津流の、根津松鴎軒の弟子にして、初め織田内府に仕へ
後、徳川家康に召され御手鷹匠になる。徳川八代将軍吉宗の時、この流を学ぶ者多く後も世迄残る。

室町幕府以前の鷹狩りの獲物は、オオタカではキジを最高としていました。
しかし、鷹狩りが武士の娯楽になり捕獲する獲物もガン、ハクチョウ、ツルと大型化して行きました。
織田信長の(「信長公記」大田牛一著)にも、鷹の贈答や売買する中で(真鶴捉り(まなずるとり)一居

とか、鶴捉り一居(もと)の記述がみえる。室町幕府の頃より大名は朝廷に鷹狩りで捕獲した、鶴、白鳥
雁、などを献上していた。鶴等大物が捉えられるオオタカが重要視され、その技術がある鷹匠及び
流派が、吉田流でした。吉田流はいち早く鶴を捉える技術が完成しており、それが吉田流の秘伝

(鶴の肉当て、つるのししあて)と呼ばれるもので、あった。

吉田流鷹書について

上記は吉田流鷹書左側は表紙、中央は奥書右側は書の一部である。
奥書には、村越半七 正利の花押(かおう)が捺してある。

鷹狩りが特権階級のステイタスとして、もてはやされた江戸期には鷹匠の肉筆本や
木版画印刷本など数多く出版されました。私の推測では現在でも三千冊以上の鷹書が
図書館や個人蔵となっています。

国会図書館、内閣文庫、宮内庁図書寮、宮城県立図書館、日比谷図書館、等々です
興味のある方は、一度閲覧に出向いて下さい。
上記の鷹書は内閣文庫にあります。
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