吉田流とは
(「放鷹」宮内省刊)によると、吉田流とは次の通りである。
吉田多右衛門 家久に始まる。家久は根津流の、根津松鴎軒の弟子にして、初め織田内府に仕へ
後、徳川家康に召され御手鷹匠になる。徳川八代将軍吉宗の時、この流を学ぶ者多く後も世迄残る。
室町幕府以前の鷹狩りの獲物は、オオタカではキジを最高としていました。
しかし、鷹狩りが武士の娯楽になり捕獲する獲物もガン、ハクチョウ、ツルと大型化して行きました。
織田信長の(「信長公記」大田牛一著)にも、鷹の贈答や売買する中で(真鶴捉り(まなずるとり)一居
とか、鶴捉り一居(もと)の記述がみえる。室町幕府の頃より大名は朝廷に鷹狩りで捕獲した、鶴、白鳥
雁、などを献上していた。鶴等大物が捉えられるオオタカが重要視され、その技術がある鷹匠及び
流派が、吉田流でした。吉田流はいち早く鶴を捉える技術が完成しており、それが吉田流の秘伝
(鶴の肉当て、つるのししあて)と呼ばれるもので、あった。
吉田流鷹書について