| ジョン万次郎物語 |
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1、太平洋の無人島「あらしだ、あらしがくるぞ」万次郎が空を見上げると、そこには、墨を流したような黒い雲が立ち込めていました。 「急いで引き返すんだ!」 1841(天保十二)年、一月五日、土佐(今の高知県)から出た一そうの小さなカ ツオ船が、急なあらしに巻き込まれそうになっていました。乗組員は全部で五人、その中に、まだ十四才の万次郎が乗り込んでいました。 万次郎は土佐、中の浜(土佐清水市)の貧しい漁師のこどもで、九才で父親をなくした時から、家族の暮らしを支えるために、漁の手伝いなどをしてお金をかせいでいたのです。 みんなは必死で船をこぐのですが、あらしのほうが、もっと早いスピードで追いかけてきます。そして、とうとう厚い雲が空全体をおおうようになりました。波はうねり、冷たいしぶきが頭から降りかかってきます。 と、とつぜん、大きな波がやってきて、櫓の片方をもぎ取りました。しばらくすると残ったもう一本の櫓も、ぼきりと音を立てて、折れてしまいました。こうなっては、もう船を自由にあやつることができません。 「これは、大変なことになった」 いちばん年上で、船長役をしていた伝蔵は、その場にすわりこんでしまいました。 このままでは、どんどん沖に流されてしまいます。それがどういう事になるのか、みんなは分かっていました。 そのころ、江戸幕府は『鎖国令』というきびしいおふれを出していました。いったん日本の外に出た者が、ふたたび日本に帰ってきた場合には、死刑のような、重い罰が与えられることになっていたのです。 風がおさまると、万次郎は船から顔を出して、あたりを見まわすのでした。はるか水平線の向こうには、かすむように陸が見えます。 「あれは紀伊(和歌山県)だろうか、いや、伊豆(静岡県)かも知れない」 伝蔵はとほうにくれたような声で言いました。 陸は近付くどころか、どんどん遠ざかっているようです。しかし、櫓を失った万次郎たちは、何もできないまま、じっとそれをながめているしかありませんでした。空からは、強い吹雪が吹き始めます。きびしい寒さで、手足はこおりつきそうでした。 二回、三回、とまっくらな夜がやって来て、見渡すと、もう陸のすがたはどこにもありませんでした。船は潮の流れに乗って、広い海の真ん中に、放り出されてしまったのです。 「島だ、島が見えるぞ!」 船が流されてから、七日目のことでした。見ると、はるか向こうに、岩のような小さ な島が、ぽっかりと浮かんでいるのです。 船は潮の流れに乗って、どんどんと島に近付いてきました。そして、次の朝になると行く手をさえぎるように、目の前に、大きくたちはだかっているのです。 「飛び込むんだ!」 と伝蔵は大声で命令しました。このまま行けば、船は島にぶつかってこなごなにくだけてしまうにちがいありません。 万次郎は海に飛び込むと、必死に泳ぎ始めました。高い波がはげしく体を打ちつけます。そして、どのくらいたったでしょう。やっとのことで、島の岩場にはいあがりました。ふと見ると、ほかの四人も島に泳ぎついたようです。何人かはけがをしているようでした。 五人が流れついた島は、鳥島という太平洋にぽつんと浮かぶ、周囲四キロばかりの無人島でした。東京からは六百キロも南に離れた所です。もちろん、万次郎たちにはここがどこの国の何という島なのか見当もつきません。 木はほとんどなく、ただ黒くてかたい岩が空に向かって、せり立ってるだけでした。島の一番高い所では、火山が怪しげに煙を上げています。岩場の上には、アホウドリがのんびりと巣を作っているのが見えました。 島のようすを見ながら、五人はがっくりと肩を落としてしまいました。もう日本には帰れないかもしれない、そう思ったからでした。 万次郎たちは、岩場にたまった水溜まりの水で、のどの乾きをいやします。もう立ち上がることができないほどくたくたでした。 それでも、傷を負っていない万次郎は、気力をふりしぼって起き上がります。なんとか、みんなの分まで、食べる物を探そうと思ったからでした。 しかし、この島で食べられそうな物といえば、少しばかりの海草と貝、それに、木の根っこくらいです。とても、全員の口にはいるほどの量はありません。 ふと、万次郎は岩場のアホウドリを見ると、するするとよじ登っていきました。あれを食べれば、みんな生きのびることができるかもしれない。やがて、万次郎は何羽かの大きな獲物を背にしょって、おりてきました。 火打ち石を船に残して来たので、火をつくることはできませんでした。しかし、ぜいたくは言っていられません。みんなは生のまま、鳥の肉をほおばります。ここで生きていれば、助かることがあるかもしれない。こんな所で死んでたまるか、と万次郎は思うのでした。 岩のほら穴をすみかとして、一月、二月、と月日は流れて行きました。雨は降らず、アホウドリもだんだん捕まらなくなりました。飢えと乾きはきびしくなるばかりです。 そして、とうとう五か月がたったある朝、いつものように、海辺を歩いていた万次郎は信じられないような顔付きで、目をこすったのでした。確かに遠くの方で、船のようなものがゆっくりと動いているのです。 「おおい、船だ、船が見えるぞ」 万次郎は夢中でさけびました。 |