忠海町の沖合いにある大久野島には昭和4年から昭和20年まで旧日本陸軍の毒ガス工場が設置され、毒ガスを製造していた。その間、多くの従業員が毒ガスによる障害を受け、戦後も長く続く後遺症に苦しんだ。昭和27年、一人の肺癌患者が広島大学病院を訪れたのが大久野島毒ガス後遺症の研究の発端となり、旧従業員の登録と健康調査が始まった。現在(平成17年8月)まで6000人の健康調査が続けられており、後遺症の治療に当たってきた当院には4000例を超える臨床記録が蓄積されている。
 当院の対岸に浮かぶ大久野島
びらん性毒ガスを扱う時の
          完全防護作業服
当院病歴室
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大久野島毒ガス障害者の診療