マジオ金管教本(カールトン・マクベス著)

 私が、世の中に“金管奏法”と呼ばれるものが存在することを初めて知ったのは、この『マジオ金管教本』からである。

 1975年、日本語版(パイパーズ)発刊と同時に、著者カールトン・マクベスが来日し全国各地でマジオ・クリニックを開催、日本のブラス・プレイヤーにマジオ旋風を引き起こした。基礎概念として“マジオ・リップス”、“ペダルトーン”、“シラブル”等が解説されていて、おそらく“ペダル・トーン”という言葉が日本で一般的に広く知られ定着しはじめたのもこの頃からだと思われる。

 当時(1975年)、私は中学1年生だった。高い音に苦労していた私は、吹奏楽部の顧問の先生に“バンドジャーナルにこんな教則本の広告が載ってるから試してみたら?”と奨められ、中学校に出入りしていた楽器屋さんに取り寄せてもらったことをよく覚えている。


 前半の基礎コース(5週間)と後半の上級コース(5週間)にわかれていて、終了するころには5オクターブもの音域を楽々に演奏できるようになっているはずであるというキャッチフレーズに、良くも悪くも多くのブラス・プレイヤーの関心が惹きつけられたのだと思う。

 教本は手に入れたが実際どのように練習すればよいのか、中学1年生の私には正直のところさっぱりわからなかった。しかし、わかったようなつもりになりペダルトーンをはじめとする一連のパターンを試行錯誤でよく練習していたものだ。だが、結果は勿論言うまでもない(うまくいく訳がない!)が私にとってこの神秘的とも言える“金管奏法の秘密”は深まる一方であった。


     

  マジオ・システムは、セント・ポール交響楽団の首席トランペット奏者として活躍していたルイ・マジオが、1919年不慮の事故で唇に致命傷を負いプレイヤー生命の危機にさらされながら翌年一年間模索を続けた結果、つかむことに成功した新しい(当時)奏法の概念だそうだ。

 著者であるカールトン・マクベスは、ルイ・マジオに師事しチャーリー・バーネット、スタン・ケントン、ウディ・ハーマン等の有名バンドのリード・トランペットを歴任したキャリアをもち、ルイ・マジオと同じような交通事故に2回遭遇し顔面に百数十針を縫う大怪我をしたが、このマジオが確立したシステムを実践することで2回共見事に復活に成功したらしい。そしてマジオの教えをまとめたこの『マジオ金管教本』が生まれるに到ったそうだ。


余談だが、この本には
“このシステムで学んだプレイヤーたち”を挙げているページがある。
Rafael Mendez, Conrad Gozzo, Maynard Ferguson, Uan Rasey, John Audino等、
多くの著名人の名が連ねられている。
しかしながら、Claude Gordonの名はどこにも見当たらない。
(Claude Gordonもルイ・マジオに師事していたことは事実である)



あくまでも後から間接的に聞いた話なのだが・・・

Claude Gordonの話によると、
ルイ・マジオのアプローチはもともとは52パターンあったらしく、
それらを忠実に再現したものが
Claude Gordonの著書“Systematic Approach to Daily Practice”だそうだ。

Claude Gordonがこの“Systematic Approach to Daily Practice”を出版してまもなく
カールトン・マクベスが
オリジナルの52パターンの中から比較的簡単な10パターンを抜き出し、そのうえ
我こそが“The Original Louis Maggio System for Brass(マジオ金管教本の原題)”であると銘打って
出版したのだそうだ。

この件に関してClaude Gordonはいたくご立腹でこれ以後、
それまでは自分のプロフィールに載せていた“ルイ・マジオに師事”という項目を
削除したらしい。


この話が本当なのかどうか、
あるいはルイ・マジオの弟子同士の何かよくわからない確執があったのかどうかなど、
私にとってはどうでも良いことで、
全く関係も関心もないということだけは一言付け加えておきたい。

私の一番の関心事は、
いかにしてどのようにして喇叭が上手くなれるかということだけである。

 この教本の最大の魅力は、第一線で活躍していたプロ・プレイヤーが顔面に重症事故を負いゼロからのスタート(やり直し)を強いられ見事に復活したという物語を通して多くのブラス・プレイヤーに“自分もやれば出来るかもしれない”という希望と可能性を見出させたことではないだろうか?巷では、あちこちで“ブチュブチュ”とペダルトーンの音を耳にするようになった。まさに当時の社会現象とでも言えるこのブーム(?)は、それからしばらく続いたように思われる。

 いろいろな情報が飛び交う中、“マジオをやると良いよ”という人もいたし、“あれ(マジオ)は良くない”という人もいた。挙句の果てには“潰れてしまった人が大勢いる”という噂も聞いたことがある。そんなこんなで(マジオ金管教本に関して)私の中学時代と高校時代があっという間に過ぎ去ってしまった。

 1981年大学受験生だった私は、東京でのトランペットのレッスンの帰り道に銀座のヤマハで雑誌“パイパーズ”創刊号に出会った。立ち読みをしていると、特集記事の中にトランペット奏者の佐藤哲夫氏の“我が青春の軌跡〜ダブル・ハイC”を見つけた!この記事には、佐藤氏がカールトン・マクベスから後にフレッド・フォックス(金管ハンドブックの著者)に師事し、奏法の確立に取り組んだ苦労話などが盛り込まれていた。すぐにこの雑誌を購入し、家に帰って何回も読んだ(以来、私はパイパーズの定期購読者となった)。続いて翌月発売のパイパーズA号では、佐藤氏と同じくカールトン・マクベスに師事した細田忠義氏が登場し、佐藤・細田両氏と途中から話しに割り込んできたお医者さんの3者の座談会“はじめ興奮、のち麻痺”が特集されていて、やはりマジオ・システムなどの奏法への取り組みについての話が中心であった。私は、日本でもマジオ・システムで成功した人達が居ることを知り、私の中でいったん諦め消えかけていた“奏法の謎の解明”が再びできるかもしれないという期待感で一杯だった。だがその期待感とは裏腹に記事の中では“『とにかく、ド〜ソ〜ミ〜ド〜とやってみろ』としか言いようがない”などといったハッキリしない漠然とした表現が多く、やはり文字や言葉では伝えることの出来ない何か“秘密”があるに違いないという気持ちがますます膨らむのであった。

 その後のパイパーズでは、“ペダルトーンは役に立つのか?!”等いろいろな金管奏法に関連する特集記事が何度も組まれた。その度に私は一喜一憂していたことは言うまでもない。


 『マジオ金管教本』について考える時、いくつかの点で押さえておかなければならないポイントがあると思う。

 まず第1に、このシステムは不慮の事故で顔面(あるいは唇)に重傷を負った人(ルイ・マジオ)が自分の失った演奏機能を回復させるため模索した結果生まれたもので、決して超高音域を攻略あるいは音域の拡大を本来の目的としたものではない(はずである)ということだ。 --- 結果的に広い音域をカバーしているのでいつの間にかそのようにみられがちになっていったように思われる・・・。

 また、元々重傷を負った人が機能回復できたようなシステムなはずなのに、なぜ何の問題もない五体満足な人達がやってみて上手くいかなかったり挙句に潰れてしまったりするような事(あるいは噂や評判)が起こってしまうのだろうか?考えてみたらいろいろな矛盾が生じる妙な話でもある。 --- 本来の目的とそれに対応する身体的機能を正しく理解せず、安易にただ“これ(マジオ)さえやれば!”と思わせてしまったり、先を急いで超高音域(音域の拡大)の完成を目指させてしまった可能性があるのではないかとも思われる。 --- 私には、中学の時にこの教本を練習していて“重症患者には出来たのになぜ自分には出来ないのだろうか?”と思って凹んで落胆した日々を過ごした記憶がある。やはり本来の目的を知り正しいやり方でやらねば意味がないと思った。

 次に、本書の中でルイ・マジオやカールトン・マクベスはゼロからのスタートをしなければならなくなったと述べられていることで、全くの初心者と同じような状態に立ち戻ったと思い込んで(ある意味で安心してこの教本に取り組んで)しまった読者はおそらく私だけでなく大勢いたに違いない。しかし・・・意外と気にしなかったのだが・・・失ったのは演奏機能だけで音楽家としてのソルフェージュ等の基礎能力まで失って初心者に戻ったわけではない(彼らは、既にプロ・プレイヤーとして活躍していたのだから一定水準以上の音程の概念や音感は確立されていて当然で、またパイパーズに登場した佐藤・細田両氏についても当然同様の事が言える)。

 しかも、その演奏機能の中で失われた要素は“エアーに対して振動の媒体となるもの(すなわちアンブシュア)”だけで、呼吸機能に障害を起こしているわけでもないしまたエアーをコントロールするための舌等の身体的運動能力まで失ってはいないということも見落とされているのではないかと思われる。 --- その事を踏まえて本書を読むと、失われた要素に関しては合言葉などを用いかなり事細かな指定がなされているが、失われなかった機能についてはごく当たり前のことのようにシンプルな説明でさっと流されているようにも感じられる。 --- 本書の中でマジオ・システムの基本原則は“息”、“アンブシュア”、“リラックス”、“シラブル”であると強調されてはいるが、“息”、“リラックス”、“シラブル”の3点については比較的あっさりとした解説で済まされているのに対し一方“アンブシュア”に関しては“マジオ・リップス”、“リップス・トゥギャザー”、“リップス・フォワード”、“マジオ・アプローチ”等の合言葉で細かく解説されていて、さも“唇(アンブシュア)”に秘密が隠されているかのように(唇が一番重要なポイントであるかのように)印象付ける結果になってしまっているのではないかと思われる。

 “息”、“シラブル”に関しては、実際のトランペットの演奏における音程やアーティキュレーション等のコントロールと息の圧力の調節に深く関わる非常にデリケートで大きな問題であるにもかかわらず、特に“シラブル”では音節の違いによる雰囲気を伝える程度の少々物足りない漠然とした記述に終始している。この事が、後の“シラブル肯定派(説)”や“シラブル否定派(説)”等の論争(?)の引き金の一つになった可能性があるかもしれないという推測ができる。 --- “シラブル”そのものがどうのこうのと言うよりも、実際の演奏における音程・アーティキュレーション・ダイナミクス等を自由にコントロールできるようになるための“空気の調節”を訓練するための補足的要素の一つとして捉えた方がより健康的ではないかと思われる。

 “ペダルトーン”については、当時(1975年)日本ではごく一部の専門家を除いて初めて一般に知られた言葉ではないかと思われる。これも様々な話題を投げかけた要素であることは間違いない。 --- “ペダルトーン”は通常の楽器として自然になる最低音より低い音域で、いわば人工的に作るものなので、演奏者はまずこの音域が(実際に鳴らすことが出来る出来ないに関わらず)あらかじめ頭の中で音が鳴っている必要がある。まして音程の概念がまだ確立される途上の段階にある学習者がいきなり取り組もうとする場合、かなりの誤解と危険性が起こりうる可能性があり、よほどの注意(例えば専門家に絶えずチェックしてもらえるような環境)が必要とされるのではないかと思われる。 --- 最近ではペダルトーンが含まれる教本が以前より多く見かけられるようになったが純然たる“ペダルトーンの吹き方”についてについて述べられている文献はきわめて少ないように思われる(私の知るところでは・・・)が、中でもClaude Gordonの著書“Systematic Approach to Daily Practice”または“Brass Playing is No Harder than Deep Breathing”により詳しい記述があるので参考になると思う。

   

 今現在ではある程度明確に説明がつく事でも中学・高校時代の私にとっては非常に難解極まりないもので、この“マジオ金管教本”にはそれこそ掴み所のない奏法の秘密へ向かっての苦い思い出しかなかったのだが、振り返ってみればそれはそれなりに楽しかった思い出のように感じる今日この頃である。

“金管奏法に秘密なし”に戻る


“トランペットのテクニック(D.デール著)”(次)へ