トランペットのテクニック(デルバート・デール著)

前頁の“マジオ金管教本”と同じ時期、私の中学〜高校時代の奏法のもう一つの情報源として
デルバート・デールの“トランペットのテクニック”があった。

当時、中学校に入学して吹奏楽部に入るとすぐに上級生やOBの先輩方から
この本を買って勉強しなさいと薦められることが普通であった。
私の場合は、“マジオ金管教本”を先に買ってから数ヵ月後に
この“トランペットのテクニック”を手に入れることになった。

この本は、練習課題などの楽譜が載っているいわゆる教則本の類ではなく
技術をはじめとするトランペットに関する様々な事柄の解説と
楽曲目録など豊富な資料が含まれたハンドブックで、
短期間に虫のよいことを期待させてしまうようなことのない(むしろその逆で)
中学生の私が読むにしては少々難しい
権威ある、いわば“正統的な”解説書であった。

内容は、

第1章 楽器とマウスピース
第2章 アンブシュア(“口”の作り方)
第3章 “トーン”
第4章 その他の技術的要点
第5章 練習法
第6章 シンフォニック・オーケストラにおけるトランペット
第7章 バンドにおけるコルネット
付録  楽曲目録

という多彩な構成になっている。



中学〜高校時代の私にとって一番関心があったのは当然
第2章 アンブシュア(“口”の作り方)であった
ことなどはいうまでもないが、
当時の私では、
トランペットを演奏する行為について客観的に分析することができず
(一極的な目線で捉えてしまった為に)
まさに“アンブシュア地獄”とでもいうべき“奏法の秘密”へと
突入することになってしまったのである。

 今読み返してみると、かなり重要で勉強になる記述が多く含まれていたことに気付いて驚かされてしまう。非常に貴重な文献であると思う。

 まずはじめに、この本の翻訳者の西岡信雄(現・大阪音楽大学学長)氏がここ日本で普段あいまいに使われがちになっている用語のいくつかを訳者注として丁寧に解説(少々難しいが・・)して、この本の著者の意図するところをより理解できるように配慮しているところに出版当時(初版昭和41年)の意気込みを強く感じるものである。

 これらの用語は、今現在でも結構あいまいに使われているような気がするので、この機会に是非ご紹介したい。以下は訳者注の引用である。

アンブシュアについての訳者注
 管楽器の奏法を解説する時に常に使われるフランス語のアンブシュア(embouchure)という単語は、それに適切な日本語をさがすことが非常にむずかしい。なぜならば、アンブシュアということばは、けっして単に、口(mouth)とか唇(lips)とか歯(teeth)などを総称する具象的な名詞ではない。むしろ、その楽器を演奏するために奏者の口(または唇、歯、舌など)がある特殊な機能を持たされた状態を呼ぶ抽象的な名詞である。つまり“トランペットを吹くための口の形、およびその機能”と訳すならば、もっとも近い概念が得られると思うが、この章ではこれを省略して“口”と書くことにする。

イントネーションについての訳者注
 イントネーション(intonation)という語は、これと非常に近い意味を持つ“ピッチ(pitch)”という語と混用されやすい。日本語に直訳すれば、いずれも「音程(または音調)」ということになり、教則本や解説書の中でもこの二つが非常に混用されている例が多い。しかし、“ピッチ”とは本来奏者の演奏の如何にかかわらず、すでに楽器そのものに与えられている音程であって、そのよしあしは奏者の技術に関係のない要素である。したがって楽器や音響現象に対して物理的、あるいは客観的に音程を論じる場合に使われる用語である。これに対し、“イントネーション”とは、ある“ピッチ”を持った楽器がある人に演奏された時の音程であり、その良し悪しは全て奏者の責任である。したがって技術的・主観的(音楽的)に音程を論じる場合の用語である。これをわかりやすくするするために極端な例をとれば、悪い”ピッチ”の楽器でよい“イントネーション”の演奏が可能であり、また逆に正しい”ピッチ”の楽器でありながら、その演奏は“イントネーション”が悪いということがありうるのである。以上のような使いわけをするならば、とうぜん、鍵盤楽器についてはこの“イントネーション”という問題が存在しないのである。
トーンについての訳者注
 前に注釈した“embouchure”や“intonation”の時と同じく、この“トーン(tone)”という語も、日本では解釈が統一されていないことが多い。音楽からはなれて“トーン”という語を用いた場合、“音”あるいは“音質・音色”という概念でまちがってはいないだろう。しかし、音楽的な解釈に使われた場合、とくに管楽器の奏法上に関して使われた場合の“トーン”は、けっして音質・音色だけに解釈してはならない。さらに、音の響き(鳴り)、音の“ぬけ(投射力)”、ヴィブラート、さらにはイントネーション、ダイナミクスといった要素すべてがこれに加わっていなくてはならない。つまり音に関するこれらすべての要素が同時に満たされた時にはじめて、美しい”トーン”と呼べるのである。

 特に後の二つの“イントネーション”と“トーン”に関しては、私自身再認識をさせられ、まさに模範解答を得たような気さえする。



 これらの注釈を踏まえて本書を読むとより著者(デルバート・デール)の意図が理解しやすくなるものと思う。

■第1章 楽器とマウスピース■

 近代トランペットの歴史をごく大雑把にふりかえることで、楽器の構造上の特性が奏者の“奏法”にいかに影響し、またそれらを克服させるようにするということを考えるための土台となる知識を与えてくれている。また、現代の楽器とマウスピースについても述べられていて、特にマウスピースが奏者の”イントネーション”に与える影響についての考察も興味深く、ごく一部を除いてベーシックな資料として今現在(21世紀)でも十分に通用するものであると思われる。


■第2章 アンブシュア(“口”の作り方)■

 ある程度以上のレヴェルに完成されていたであろう著者(あるいは著者が観察した奏者や生徒)の状態を客観的な目でこと細かな角度から捉えて、実に見事に解説されているのではないかと思われる。

1.歯と唇の形
2.マウスピースの当て方
3.唇の筋肉およびその機能
4.唇(中央)の開き
5.唇の両端
6.音域の拡張
7.マウスピースの圧力
8.イントネーション
9.正しい“口”を作るための基本的な練習

 最後の項目の一部には賛同し難い(私個人的に)ものもあるが、ほとんど正しく観察され解説されているように感じられる。ただ残念なことは、“楽器を演奏するために奏者の口にある特殊な機能を持たされた状態(*訳者注のことば)”をつくりだし維持させていく為の“空気(吐き出す息)の圧力の調整”とのバランスや接点についてほとんど触れられていないことではないだろうか?

 ブレス(呼吸)については、次の章で音楽的な“トーン”をつくりだすための要素として採り上げられているが、アンブシュアを形成・維持するための要素としての認識も必要であったのではないかと思われる。(全体的な他の記述を通して私が判断する限りでは、著者には間違いなくその認識が十分にあったのだが、ただ文章で表現しなければならない等の都合で、どこかで抜け落ちてしまったのではないかと思う。あるいは、もしかするとただ単にアンブシュアの状態を外面的に説明したに過ぎなかったのかもしれない。)

 したがってこの章は、ある程度の訓練を積み上げつつあるプレイヤーが適宜自分自身の状態を確認し正しい方向へ行く為の参考資料としては非常に有意義かつ有効かもしれないと思われるが、どのように始めていけばよいのか模索している(あるいは迷っている)ような学習者にとってはより深みにはまってしまう可能性があるように思われる。 --- しかしながら、この様な事は他のどの奏法(あるいは解説書等)にでも起こりうる事ではないかとも思われるが・・・ ---

 またこの章全体を通して“口”を作ることが一番大切である(完全な間違いではないのだが・・・)ということが強調されていることで、アンブシュアにこそ秘密が隠されているかのように解釈されてしまいやすかったのではないかと思われることも残念である。 --- 当時の私もそういう解釈をした張本人の一人であったことは確かである ---


■第3章 “トーン”■

 音楽的に美しい“トーン”をつくりだすという概念を育てるにはどうすればよいのかを考えさせるためのアイデアを提供してくれている章だと思われる。

1.ブレス(呼吸)
2.ヴィブラート
3.イントネーション
4.“トーン”
5.“トーン”の練習法

 ブレス(呼吸)について比較的多く割かれている。前半では、われわれが日常でやっている呼吸を三段階(1.横隔膜による呼吸、2.ろっ骨による呼吸、3.さ骨による呼吸)に分類し、物理(生理)的に呼吸のメカニズムを細かく解説し、最終的に楽器を演奏する為の呼吸に結び付けている。しかし、膨大な物理(生理)的な解説の量に比べ楽器を演奏するための呼吸については少々あっさりしているのではないかと思われる。以下に、本文を引用する。

 『〜(物理(生理)的解説)。以上でわかるとおり、少なくとも吸気の行程は平素われわれが無意識に呼吸している時とまったくかわらないごく自然な動作である。ただ一つ普通とちがうところは、与えられている呼吸器官のすべてを常に“意識して”効果的に利用していることと、呼気の行程で横隔膜や腹筋を駆使することによってはきだされる空気を随意に“調節”していることに過ぎない。
 管楽器の奏法上一般にいわれる、“ブレス・コントロール”とは、中でも“呼気”の調整法をさす言葉であって、これにはたしかに系統的な長い訓練が要求される。つまり、息を“いかに有効に使うか”を学ばなくてはならない。
 〜(呼気についての肉体的状態の説明が続き)〜 肺からおしだされた空気は、気管、のど、口を通って楽器のマウスピースにいたるまで完全に継続された“一本の流れ”でなくてはならない。 〜(中略)〜 この息の流れが“静かに”唇の振動部分を通過する状態がもっとも理想であって、けっして楽器の中へ息を故意に吹き込んではならない。呼気における息の調節に関して今までに述べてきた以上にさらに高度のコントロールを求めるとすれば、今度は“口”そのものの訓練、舌や咽頭のコントロール、さらには純音楽的にフレーズや音量などに対する配慮に至るまで広くその課題が拡張されるだろう。したがってそこまでくると、もはや“ブレス”の問題そのものから離れてしまう。』

 非常に興味深く期待が高まるような問題を提起していながら話がここで閉じられしまっている。(私には著者が何か肝心な“秘密のようなもの”を解っていながらあえて伏せてしまい、さも出し惜しみしているように思えてしかたないのだが・・・あくまでも悪気のない憶測であるが・・・。)後半では、ブレスを取る時の姿勢について、マウスピースの型による影響、演奏中に“きれいに”ブレスがとれるようになるための秘訣など現実(現場)的な解説が続いて終わっている。気を持たせるだけ持たされて肩透かしを食らったような、いささか残念な気分もする。

 ブレスの後、ヴィブラート、イントネーションと続きようやく本題の“トーン”に突入することになる。“トーン”の項目の最初に著者が述べている文章を読むと、著者自身がこの“トーン”に対して、単なるテクニックとして捉えるのではなく何か言葉で表現しにくいような壮大な音楽的イメージとこだわりを持っていて、本書の中で本来一番この事を伝えたかったのではないかという推測ができるように思われる。以下に、最初の文章を引用する。

 『もしわたくしが“トーン”というものに対してもっと大きな、そして説得力の強い言葉を見つけることができるならば、わたくしの頭の中にある“トーン”という概念をもっと正確に読者につたえることができるかもしれない。しかも、音楽を学ぶ人に彼らの楽器の持つ本当の“トーン”というものを知らしめる鍵がひそんでいることはたしかである。しかし“トーン”という概念を教え、そこに到達する技術を指導することは、けっしてやさしくない。ほとんどそれは生徒の側にある先天的な、あるいは後天的に訓練された音楽的能力にゆだねられた問題である。つまりかれらが、よいイントネーション、よい音色、よいバランスというものを識別して、自らの演奏にそれを生かしてゆけるかどうかにかかった問題である。そして、指導者がかれらの音楽的進歩をどこまで助けてやれるかは、目標になる“トーン”というものの姿、またはニュアンスを、いかなる言葉で、いかなる手法でかれらにつたえられるかの能力にかかっている。』

 先に紹介した翻訳者の注釈と併せてこれを読むと、著者の関心がとてつもなくスケールの大きな“音楽的なテーマ(トランペット奏者、あるいは音楽家としての使命のような)”に向かって突き進んでいることがうかがえるように思える。もはや私にはこれにつけくわえる言葉など見つからない。


■第4章 その他の技術的要点■

 この章では、トランペットという楽器だけのもつユニークな課題、あるいはすべての器楽演奏家にとってとかく“おとし穴”になっているいくつかの問題について述べられている。

1.リップ・スラーとトリル
2.スラー、音階、フィンガリング(運指)
3.アタックとタンギング
4.トリプル・タンギングとダブル・タンギング
5.レガート・タンギング
6.インターバルとアルペジオ
7.まとめ

 実践的なテクニックを具体的に解説し、またその攻略法が述べられていて、それらのすべてが非常にためになるものであると思う。特に“3.アタックとタンギング”においてタンギングに関する興味深い記述があるので、以下に引用で紹介する。

 『アタックの時の舌の役割については、指導者たちのあいだに多くの論争がある。ある人は、舌の先端が上歯の”先の方”を内側から打つべきであると主張している。また他の人は、上歯の歯茎にあたる部分、あるいは歯茎の線に近く上あごを打つべきだと主張している。さらに人によっては、舌の先端を上歯の先につけ下歯にも軽くふれる状態にしたまま、舌の前寄り中央で上あごを打つという方法を好む人もいる。しかしどんな主張にも共通していえることは、第1に舌の運動はすべて舌の前半分、つまり前舌によってなされるべきであること、第2にごくまれな例外をのぞいては舌が歯の並びに対して直角方向に動くことがないということである。』

 私は、この年代(本書が出版された)既にこのように正しく分析・記述がなされた文献が日本語版として存在していたということに驚かされた。中学・高校当時、私は間違いなくこの部分も読んでいたはずなのだが、まったく記憶になかった・・・見落としたというよりも理解度(力)に問題があったというのが正解だろう・・・あらためて読み直してみて再発見したような気がする。当時からこのような情報があったにもかかわらず、(ここ日本では)いまだに舌が歯の並びに対して直角方向に動くいわゆる“ペック(peck)”の状態でタンギングをしている人がまだまだ大勢存在しているようにみえることはとても嘆かわしいことのように思われる。

 この章の最後のまとめに著者の“トランペットのテクニック”というものに対する考えの真髄ともいえることが述べられているので、ここに紹介する。

 『“テクニック=技術”という言葉の意味を、単純に“速度”と考える風潮がけっして少なくない。しかし舌や指の反射運動がどんなに敏速だったとしても、ごく単純な旋律をもし音楽的に演奏できないようであれば、けっして“テクニックがある”とはいえない。 〜(中略)〜 オーケストラのトランペット奏者として一定の金銭的報酬を得られるようになったとすれば、それはかれの一般的な音楽的能力、アタックの確実性、さらには、ごく単純な音符に対して音楽的に一定した“トーン”を作れるという“確実性”、“信頼度”に対し支払われた報酬なのである。』


 第5章、第6章、第7章は、現実的に演奏していくためのアイディアが実例などを挙げ述べられており、読者がさらに独自の発展的応用ができるようにした非常に楽しく勉強になる読み物になると思われる。付録の楽曲目録は、現在では少々情報が古くなってしまっているものもあるが、当時としてはたいへん貴重な資料であったことに間違いはない。


 今振り返ってみて、やはり中学生や高校生の頃の私では到底理解できる代物ではなかったことがわかる。しかし、何(十)年間もの年月を経て読み返してみると、自分自身の喇叭吹きとして歩んできた道のりを振り返り、さらに今後の成長を目指すために自分を見つめ直すいい機会を得たようで、非常に有意義な思いがした。

 今現在もこの本が出版・発売されているのかどうか私は知らないが、もし廃刊になっていたとしても音楽大学や公共の大きな図書館には所蔵されているはずで、読み方次第ではもっともっと深い発見があるかもしれないので、もし興味を持たれて機会があれば一度読まれてみることをお勧めする。

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