トラバントとの再会、そして東京へ。
冬のムチェニツェ村からもとのプラハへ、各駅電車に揺られて4時間の小旅行。
帰ってきた。なんだかプラハが我が街のような懐かしさすら覚える、のも不思議ではあるが実感だ。
もはや勝手知ったるインペリアルホテルの手動・ベニヤ総張りエレベーター、高窓から注がれるほのかな陽ざし。おじいさんの手のようにごつごつとした階段の手すり。木製の重いドアを2枚、開けると、テレビもスピーカもなくただベッドと机、クローゼットだけが無造作に置かれているだけの部屋。だが、それだけに落ち着く、プラハの我が家。
着いて早々は、この部屋にいるのももどかしく、どこかしら出かけ歩いていた。でも、旅の興奮が落ち着いてくると、今度は普通の生活が恋しくなってくる。部屋で本を読んだり日記を書いたり、お茶を飲みながらぼんやり考え事をするような、そんなささやかな時間がいい。
ベッドサイドのちょっとした空間ですら、知らず知らず自分の領域、「私の部屋」化してるのは、巣作りを始めているということか。人間の習性ということを思う。しかし、残念なことに、この街ともそろそろお別れの時が近付いている。
すでにMスターが経っていったベルリンへ、明日はS二郎さんが合流する。ひと足さきに東京に帰るために。
旅の仲間が減ると、それだけでどこか寂しい気持ちになる。郷愁の想いもふと湧いてきたりする。私なぞ、東京で待っていてくれる恋人がいるわけでもないのに。いや、そんなロマンチックなものではなく、単に蕎麦が食べたい、寿司が食べたい、という食い物への郷愁だったりするのだが、、、、。
さてこのプラハの街を訪れるにあたって、密かな愉しみのひとつは、トラバントとの再会であった。
この素敵なバンドの仲間たちと出会ったのは東京、渋谷のeggmanという老舗のライブハウスだ。それも、ほんのひと月前くらいのこと。思えば、偶然なのか必然なのか、あるいは私のお得意の「思い入れ、ゴリ押し」の成果か、振り返ってみれば、あれよあれよという出会いの手順であった。
「チェコのクレズマ・パンクバンド」という惹句に釣られて買ってみたトラバントのCD、これがみごとに格好良く、まわりにも勧めていたら、ほどなく来日公演するという噂を耳にした。そして偶然、その対バンの日本人バンドのブッキングに、企画プロデュース・巻上公一(vo)さんの関係から関わることになり、こまっちゃクレズマを初め、自分の「お気に入り」バンドいろいろを推薦したら、それがまかり通って、、、、。私にとっては最高のメンツが揃った、素晴らしい企画が実現したのである。(知名度は別としても、、、、) 運がいいというのか、あるいはちょっと自慢げに、これも幸運の実力、と言ってしまおうか。
阿佐ヶ谷のクラシック喫茶「ヴィオロン」のMスターの口車にまんまと乗せられ?て、このたびのプラハ探訪の道行をすでに決めていた「くものすカルテット」の4人にしても、しかりである。
互いに好きなタイプの音楽が出会い、言葉はよく通じなくても、ちょっと話してみれば、あるいは一緒に呑めば、それで「いい奴」だとわかる。仲間になるには、十分だ。そして、あれよあれよという間に「東京〜プラハ ネット」が構築されたわけである。
渋谷の居酒屋でビールで乾杯(ナスドラヴィ!)し、「じゃあ、プラハでまた会おうね」と言って別れたのが、3月の上旬のこと。その約束の果たされたのが、早くも翌々週なのである。まるで、我々がトラバントをプラハにまで追いかけていったみたいではないか。昨今、「じゃあ、また今度ね!」などと軽く別れて、次に会えたのが数年後、あるいは思いもよらずそれが今生のお別れになってしまった、などということも少なくない世の中。さらに長年にわたって、不義理を各方面、世界中にまき散らしている私である。今回ばかりは口約束でなく、ちゃんと果たされて、いやまったくヨカッタ、、、。そもそも、約束するから悔やまれる、と考えると、「もう、約束はしない。きっと会えるから」と歌うキヨシローに倣いたい気もしてくるのだが、、、、。

▲これが噂のトラバント(車)。毎日、同じ場所に止まっていたから、走らない広告宣伝車なのかも。
 ▲最後に記念撮影。Hロヤスさんの髪はプラハいちの美容院でカットした最先端のスタイルであります。
 ▲番外編/ヒヨコを手に作品を制作中のS二郎さん。 街のあらゆる場所で、このように。
いつか一般公開してくださいね。
さて、約束の時間に早すぎも遅れもせず、バンマスのヤルダは、バンドの紅一点、トランペットのヤナちゃんを連れて、ロビーに現れた。部屋からそのまま外にふらりと出たような、素のままのいでたち。そのたたずまいは、渋谷よりも、やはりこの街によく似合っている。
何がしたい?どこへ行きたい?と、我々を気遣ってツアコンよろしく雰囲気を盛り上げてくれるが、なにしろヤルダ自身が忙しい。夕方からはビジネスのミーティングがあると聞いていたし、時間がない中、こうしてわざわざ会いにきてくれただけで、十分に嬉しい。結局、ディナーには少し早い時間ではあるが、チェコ料理店に連れて行って!という我々の要望に、OK!サインで答えてくれた。
それからの短い時間、とりたてた特徴はないが適度に古びて落ち着いた雰囲気のチェコ・レストランで、めいめいに肉や芋やパンをほおばりながら、お互い拙い英語を駆使しながら、それでも目一杯楽しい時間を過ごした。途中からは他のメンバーも加わって、ワインのほどよい酔いも手伝って、さらに賑やかに。
彼等にとっては、初めての日本がほぼ、=(イコール)渋谷だったわけで、次はもっといろんな土地を見たいとも言っていたし、私もぜひそうしてもらいたいと思う。あれを日本だと思ってもらっちゃ、こっちが困るわけで。少なくても中央線までは足を伸ばしてもらわなければ。ヤルダが好きそうな古くて懐かしい時代の香りのする建物、オバチャンが闊歩する下町やら昔ながらの商店街とか、、、、案内したいところは一杯あるが、やはり何を置いても西荻だろうなあ。ワンパターンで申し訳ないが。
また、対バンした日本バンドについては、新鮮であり、ある意味、刺激を受けたところもあったようで、それも直接聞けて嬉しかった。少なくてもお世辞で言っているわけでないことがわかるから。どのバンドが云々、、、、とまでは踏み込んで聞かなかったが、いずれも好意的に受け止めてくれていたようだ。全部が私の仲間みたいなものだから、個人的にも嬉しい感想だった。まあ、別に批評はあって構わないのだけれど。なんだか、打ち上げの続きをプラハでしているような、変な気分。
本当は、もっと微妙なニュアンスのことも伝えたいし、聞きたい、話したいことはたくさんある。普段の生活のこと音楽のこと、クレズマー、プラハという街のこと、これからのこと、、、、。しかし、そこまでは深い会話にならない。うーん、言葉ってつくづくもどかしい。
彼等は、春には欧州ツアーへ、そしてまた秋には再来日の計画もあるそうだ。お互いにどう変わっていくか、それを見ながらまた何か一緒にできれば、最高だ。
後ろ髪は引かれっぱなしだが、とりあえず、この旅の目的(最初からこうと決めた目的はなかったものの)はほぼ達成されて、実にたっぷりと楽しんだ、人生の素敵な数日間となった。このまま汽車に乗って、街から街へ、国から国へ、旅を続けるのも悪くないけれど。一度、自分の家に帰ってからまた出直してくるのもいい。そこまでもこの旅は繋がっている、そんなような気もする。別にこれで「行き続ける」ことが終わるわけではないのだ。そう、プラハへ来て旧市街の広場に立った瞬間、何年も前にこの街に来て同じ場所に立っていた自分と、今の自分がすっと重なった、そんな気がしたように。
ヤルダたちと別れ際、手を降りながら、私はプラハの街にもさよならを言っていた。素敵な友達にいっぱい会わせてくれてありがとう。前よりもっと好きにならせてくれて、ありがとう。きっとまた帰ってくるからね。次はもっとビールの美味しく呑める季節が嬉しいけど、、、いいや、どんな時期だって。
さあ、これからベルリンにちょいと寄って、それからトーキョーだ。また忙しい日々になる。
アエロよ、私を怒らせないで、まっすぐ東京に連れて帰ってね。頼んだよ!
2004.4.18了
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