|
それはツア−の終焉、疲労と弛緩と幸福の絶頂に、突然起きた。 山梨から長野。たった2日間のこまっちゃクレズマー+おおたか静流(以下、略記こまったか)ツアーであったが、 その内容があまりにも濃すぎたのが災いしたのであろうか。 そう、たとえば1日目の「ギャラリー空(くう)」。おおたかさんの紹介で始めて訪れたスペースだが、 これが、富士山を望むぶどう畑の丘に突然出現する『古木と緑と猫の王国』。 屋根裏の密かな愉しみとオープンテラスの開放感がいっぺんに味わえる、それは贅沢な空間であった。 しかもなんとオーナーは、我々のライブが決定してからたった数日間で庭にステージを作ってしまったというのである。 それを見下ろす絶好の位置には、床板をまだ貼り終えていない作りたてのテラス。 ガウディばりに増殖した有機体のように見えるこの城に、オーナー夫妻と犬たち猫たちだけで住んでいるのだから、 これはもう地上の楽園そのものだ。梅雨入りしてまもないこの日、満月に祝福されて、我々の演奏も、深夜の宴も、 忘れられないものになった。おおたかたんの小指に絡みついた赤い糸はまるで蜘蛛の糸のように四方八方に伸びて、 世界中の途方もない人たちのもとへ繋がっているのだ、などと想像する。 翌日、今度は我らが愛すべき小諸の酒呑み仲間たちへ、おおたかたんをお連れする番である。 もっとも彼女は以前にも小諸の懐古園で唄い、しっとり雨を降らせていたのだが。この日も、待ちかねたように小雨が降り始めた。 何につけ大雑把なマネジャー、ギャラコは、地図を見て、空のある杣口(そまぐち)から小諸まで、 北上してけばすぐじゃん、とかタカをくくっていたのだが、あくまでそれは直線距離。現実にはもう一度中央道へ戻ってから、 また小海線沿いに一般道を小諸方面に抜けるルートが最善であり、それにはけっこうな時間を要したのであった。 当然、皆の冷たい視線を一身に集めた「なび」ギャラコであったが、「そんなはずないんだけどなあ」とか言ってボケまくり、 さらに墓穴を掘ったのであった。 予定時間を2時間ほどオーヴァーして小諸の街に着くと、ちょうど今日のライブの宣伝のために有志によるチンドン部隊が、商店街を流している。 そろそろ疲れてきてるのか登り坂だからか、ゆるっとした演奏がまた良い感じ。軽くご挨拶して会場の「旧笠原邸」へ。 ここ小諸では、数年前、名家・大塚酒造の酒蔵での伝説のシャクシャイン・ライブから始まって、 昨年はりんご風呂で知られる由緒正しき小諸なる「中棚荘」でのHOBO SAX QUARTETなど、 毎回毎回、それは素晴しい場所で演奏させて頂いている。主催連も、まったくの「有志」にも関わらず、 市役所勤務の一見お固そう実は軟派な公務員さんたち(スバラシイ!)から、りんご園のオーナー、治療士、陶芸家、 怪しい集団・酒呑み百姓の会やらカフェの美人ママとか、とにかく実に『おかしな』人だらけ。 蕎麦打ちの名人なんて逸材もゴロゴロしてて、本当に侮れない。そんな彼等が「ど〜だ!」とばかりに用意してくれたのが、 「旧笠原邸」なのだった。笠原さんてお方がどんな方かは存じませんが、この古い館を買い取って、外観の旧家の趣はそのままに、 内装などチューンアップして、民に「好きに使ってよろしい」とおふれをだしたというのだから、小諸市とはなかなか良い奴ではないか。 笠原邸のあるこの本町の通りにはまた昔ながらの店構えの骨董屋あり、かの『そば++』というそばの名店もあり、 まことにひそやかでよい風貌なのである。(ギャラコ、あんたは旅行評論家か?) 中へ入ると、お客さんは畳の間に座布団敷いて、我々芸人は土間に緋もうせんを敷き詰めたステージで、という会場レイアウトもいい雰囲気を出している。 この日のライブもまた、こまったか史上ベストと言ってもいいくらい音響も(我々的には)演奏も素晴しく、打ち上げまで含め大変充実した夜であった。 別項「うめ〜酒ランキング」を参照していただければ判るのだが、ここでの「浅間おろし」はもう、くいくい呑めて止まらない、非常に危険な酒である。 う〜ん、数が限られているのであまり大声では言えないが、やっぱり言っちゃうよ!「アサマオロシめ!おめ〜はうめ〜ぞ〜!」 そしてついにフィナーレの時がやってきた。すべてのライブを終えたツアー最後の日こそ、何かが起きるものである。 そうだ、あの98年?のこまっちゃgoes to west tourラストでも。関島・松井と笑顔で別れた梅津・多田・張の3名は、宮崎からフェリーに乗って東京へ。 酒とつまみもしっかり買い込んで、楽しい豪華客船の旅となるはずが、その夜からの台風襲来。 床にへばりついて、トランプどころか酒どころか、まったく起き上がることすら出来なかった、辛い思い出よ、、、。 小諸ライブの翌日、もう食って遊んで東京に戻るだけ、という幸せな1日。 小諸での歓待のすべてをこなすことなどはとても時間が許さなかったのだが、それでも薬湯治療班やカフェ探検隊などに分散して小諸を堪能させていただいた。 名人の蕎麦も食って満腹満足、いよいよ皆さんとも、名古屋からはるばるおおたかたんを追っかけてきた親衛隊長かもめさんとも「笑顔でお別れ」だ。 さあ、上越道を一路、東京へ。ほどよい疲れで皆の言葉も少なくなりかけた頃に「それ」は起きた。パン!という何か軽く不吉な音と、 その後に立ちこめる焦げ臭いようなニオイ、、、。こりゃヤバイ!と、すぐにハザードを点滅させながら間近のインター出口へ。この対応は、おそらくパーフェクトだったと思う。 が、料金所からすぐの絶好ポイントに止まった車の前部から、モウモウと煙が立ったのには仰天。しかし、さすがに梅津・新井田は、そう慌てていない。 台詞にすると「ああ、やっちゃいましたね」(タメ息)程度で、その落ち着きぶりにバンドマンとしてのキャリアをふと感じてしまったのはギャラコだけであろうか。 それにしても、確かに困ったことになった。 考え得る適当な処置としてJAFを呼び、車は曳かれて工場へ、というのは想像できたのだが、何しろ我々が乗っていたのは日産ホーミー。 乗員7名+楽器もろもろ、で結構な荷である。一体どうやって工場まで運ばれるのかと思いきや、何と人ごと車ごとトラックの荷台のようなところへ乗っけられた! よく見かける、車を運搬する車みたいで、これに人が乗っているのはいかにも格好悪い。そのうえ満員バスだ。だが、バンドマンはへこたれないのだ。 というよりオメデタイっちゅうのか、こんな様を自ら笑いワイワイ楽しんでいたのだから、何をか言わんや。通りすがりのアベック車に笑われたときには、 もう車内は楽器でもとりだしかねない勢いであった。どこまでも受けようとしてしまう、この気質がうれしい、いや悲しい。最後は、 この「絵」を誰かにデジカメで撮ってもらってジャケットにしよう、などと言い出す始末である。誰もデジカメなんか持っていないのに。 しかし、お楽しみもそこまでだ。事故は事故、陽気に騒いでみても心の底には一抹の不安と落ち着かなさが。結局レンタカーを借りてその日は帰ってきたのだが、 当の車はやはり軽傷という具合にはいかなかった。後日、見積もりをしてもらい、交渉し、なけなしの知恵を絞ってみたものの、 やはり完治させるには相当のお金がかかってしまうというので、オーナーの意向で廃車処分、という我々にとっても悲しい結末となってしまった。 実はこの車は、ツアーのたびに我々が「美華」のマスターに借りていたもので、マスターの好意で我々をはじめ遊び仲間に貸し出してくれていたものだ。 さんざんツアーに使わせていただいた我々としては、もちろんお詫びはできる範囲で尽くしたつもりだけれど、何より、ずっと親しんできたこの「ビカ号」とのお別れが寂しい。 もっと注意深く乗っていれば、とか、もう少し早く対処できていれば、とか色々「タラレバ」な悔恨の思いにも襲われるが、 そうは言っても、起きてしまったことは元には戻せないのである。せめて華ばなしく、ビカ号のお別れ会でも、と企んでいるのだが、 マスターはさほど乗り気でないのか、遠慮してるのか、まだ実現はしていない。そうね、ユキちゃんのことだから、チャリティーライブをやろうって言っても 、旨い酒やら料理をふるまっっちゃって結局のところ儲けにならないであろうことは十分、予測できるわけで。 こんなとこにも、我々バンドマンはシンパシーを感じてしまうんだな。 これでまた我々もゼロからの出発、地道なツアーをさらに続けなければいけなくなった次第で、全国津々浦々および村々で我々を見かける確率もさらに高くなることでしょう。 これからは「こまっちゃ!赤字解消ツアー」とでもタイトルしようかな。(了) 2000/6/30記 |