単発不定期エッセイ
 アメリカ一週間滞在記

SHOW THE FROG  の始まりはまず、きっとアルバム「SHOW THE FROG」がニューヨークにある 「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー」というCD屋の目に止まった事にあった。

 いや、もっと前に去年ピットインの40周年で厚生年金で演奏している KIKI BANDをジョン・ゾーンが見て「今年中にNYでやろうよ」と、気軽に言っ てくれた事が始まりなのかもしれない。

 所は最初からジョンがオープンした「Stone」が見込まれていた。 でも、そこからは簡単ではなかった。昔と違っていまやマンハッタンには 「Stone」と「トニック」くらいしか自由な音楽の出来る場所は無い。 たのみの「ニッティング・ファクトリー」は、とっくの昔にコマーシャルな スペースに変わり果てている。したがって、当然「Stone」に出たがるミュージシャンは多い。 それにシステムとして毎月ブッキング・マネージャーが変わるのも厄介な所だった。 こちらのスケジュールが出せて、 ブッキングマネージャーと連絡がとれる頃にはおおかたスケジュールはうまってしまっていた。

 KIKIでの出演をあきらめた時に、最初に書いた「ダウンタウン・ ミュージック・ギャラリー」のブルース君からメールが届いた。5月24 日「12月は僕がブッキングしてるんだけど、27日だったら空いてるんだ。来ない か?」
その時期、25日は清志郎のクリスマス・イヴェントが決まっていたし、 31日には同じく清志郎の幕張メッセが入っていた。それに普通に考えて も鬼怒や早川が空いている訳がない。つまり、ツアーを組むには前後の予定がきつ過 ぎる。交通費、泊まりをこちらで考える為には多少ツアーの体裁が出来て いかないと持ち出しが多すぎる。そこで一旦断りのメールを入れると、予期しない メールが帰って来た。「バス・クラリネットのソロというのはどうだろ う。素晴しいアルバムだ。生で聴いてみたいんだ。」

 私の気持ちは決まった。12月27日は空いている。25日イヴェント を終えて26日には飛べるし31日の大晦日にも帰って来られる。(結 局、その心配は無くなってしまったのだけれど)行くべきだ。行こう!行く理由が出来 た。

 その話が決定してしばらくしてワシントンからメールが届く。ラリー・ アップルバーム氏。6月4日「ニューヨークでやるのだったら28日にワ シントンでやらないか?」
私は以前一度共演したエレクトリック音楽のアップルバーム君と勝手に勘 違いした。「OK。29日に出れば大丈夫だから一緒にやろう。」「一緒に はやらない。私はミュージシャンではない。君のソロと必要なら誰かデュエットの 相手を探す。」アップルバーム氏は別人で、会った事の無い人物であっ た。 

 7年ぶりのアメリカ、ニューヨーク。1999年にマーク・リボ、ブラッド・ジョーンズ、 ケニー・ウォールセンと「パンドラのカクテル」のレコーディングをし、 同じメンバーでニッティング・ファクトリーで演奏したのが最後だった。
それまで、毎年のように行っていたニューヨーク。9.11以降のアメリカの動きに幻滅し、 なにより80年代からずーと親しくして、いつでもライブが出来ると思っていたニッティング・ファクトリーの変わりぶり。 そして、トム・コラが亡くなり、サム・べネットは日本。ウェイン・ホービッツはシアトル。 ニューヨークに対しての興味がしぼんでしまっていた。行く理由が無かった。

 なれたワールド・トレードセンターが見えない違和感は確かにあったものの、
とても7年来ていなかったとは思えない街の変わらなさぶり。
「いっぱい変わったんだよ。ほら、あそこの店も無くなったし・・。」 好きだった店は確かに何軒も無くなっていた。でも、街のかもし出す雰囲気 は今もなにも変わらない。道ばたで立ち止まってお喋りしている人、枯れ葉の舞い散 る中ベンチに座って本を読む人、犬の散歩、ヘッドフォンに繋がっている マシンはウォークマンからiPodに変わったとはいえ、無表情にジョギングする人。 ダウンジャケットを着込んだ人の横をタンクトップの人が歩く。7年前どころか、 住んでいた30年前とも変わってやしない。それぞれみんな、別な人のはずなのに。

 相変わらず機内食は最低ランクだけど、予想よりシートが広かったアメリカン・エアライン。 これも、気分がおっくうだった理由の一つだったのだが、意外なほどあっさりと通過出来た入管。 JFKからマンハッタンのグランド・セントラルまでのバス、15ドル。 そして2nd Aveのロッド・ウィリアムス、ジュンコ・ウィリアムス夫妻のアパートまでのタクシー、 チップ込みで10ドル。
「タクシー代、高くなったでしょ。」と、 言われても所沢から自宅までの料金と比較してしまうと、「いや、ぜんぜ ん。」

  ンタホーンを押すと「ハーイ、ウメヅ!」と聞き慣れた低い声。7年の空白が嘘のように、 当たり前に部屋に招き入れてくれる。この部屋にこの20年間、 何度お世話になって都合何日滞在したのだろう。私にとってはここがニューヨークでもあるのだ。 ジュンコさんはテキスタイルのデザイナー。 ロッドはジャズ・ピアニストで、90年代の最初の頃はよく一緒にツアーで日本をまわった。 50近くなって彼は今、ブルックリン・カレッジでエレクトリック音楽を研究する大学生になっていた。 部屋にはMacとウィンドウズの二つのコンピューターと、それこそ7年前には考えられなかったシンセサイザーが どーんと幅を利 かせていて、ロッドは分厚い本と格闘し、 いかにも彼の作品らしいちょっと不思議な音楽がスピーカーから四六時中流れていた。

 さて、まず問題は年とともにひどくなる時差ボケ。玄米と脂の乗った 美味しいニシンの焼き魚の夕御飯にワインをいただいてそうそうにベッド に潜り込 む。まだ夜の11時。朝5時頃目が覚め、「ダメじゃん、やっぱり眠れな い」などと思うものの、次に目を開けると、いつのまにか6時「あれ、1 時間気失ってたのか?」と、次には時計は午後1時を指していた。

 「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリー」の場所はバワリーの反対側になっていた。 記憶違いかと、けっこうショックだったのだけれど、 「4年前に引っ越したんだ。」とブルースから聞いて安心した。 店には「エクレクティシズム」「デザート・イン・ア・ハンド」など私のいくつかのCDが壁 にかけてあ り、KIKIのCDも最近の2枚は置いていたのだが現在は売り切れ中。

 店の客に「こまっちゃクレズマのCDは今回持って来なかったのか?」 と尋ねられる。「BNKのことじゃないのか?」と聞き返すと、「もちろ ん、BNKのも欲しいのだが、こまっちゃも聴きたい」との返事。こちらで 「ベツニナンモクレズマ」は巻上公一君がボーカルをやってる事もあって わりと知られているのだが、まさかこまっちゃの事まで知っているとは思わなかっ た。「ロシアのツアーは大成功だったんだって?」なんで、そんなこと ニューヨークで知ってるの?実に世界は狭くなったものだと痛感した。

 久しぶりに食べたピザ、ワン・スライス2ドル。クリームチーズ入り ベーグルとコーヒー4ドル。7年前よりは少し高くなった。地下鉄とバス はトークンではなくなってカード。10ドルで6回乗れる。

  27日のライブ。サウンド・チェックと言っていた6時には店は開いていなかった。 「STONE」の前でブラブラ。
とはいっても楽器2つを持っていると歩き回れる訳でもない。ちなみに 「STONE」はAve Cと 2nd stの角にあって、看板も何も出ていないし電話も無い。 情報紙とWebだけがたより。Ave C!昔は恐くてそうそう足を踏み入れられる場所じゃなかった。 安全になったものだ。

 「Stone」はチャーリー・パーカーの頃から面白いライブには必ず顔を出していた ストーン夫妻の名前を取ってジョン・ゾーンが作った場所だ。ストーン夫妻は 私のライブには80%位の確率で現れた。それに70年代に私が NYに住んで色々なスタジオ(ロフト)に出入りしては演奏していた事も知っていた、 数少ないお客の一人でもあった。「**のサックスが水だとすると、 お前のサックスはまるでワインのようだよ。」と、言ってくれた事が忘れられない。 ストーン氏は亡くなったが、こうしてライブの場所として残る。お客の名を冠した場所はそうは無いだろう。

 ウンド・チェックと言ってもマイクを使う訳ではない。記録用のレコーディングのマイクがあるだけ。 それでも、こちらとしては3日間まともに吹いてはいないから、 どうしてもこの時間が必要なのだ。ステージは2部に分かれている。 1部がソロ、2部がセッション。 これが完全に入れ替えで別々に入場料が発生する、ということが今頃になって判明。

 演奏前に先日東京であったアルト・サックス奏者のキム・スーン君が訪問。 手には楽器を持っている。「どこかの場面で、一緒に演らせてもらえませんか?」 たいがいの場合、私はこういった事はお断りしている。 ソロはあくまでソロのつもりだし、セッション、インプロといってもその時のメンバー、 楽器編成などからそれぞれいろんな思惑があるだろうから。 でも、私はなんだかこの申し出が嬉しかった。 1974年、初めてのNYで私が最初にやったのもこれと同じ事。場所は「スタジオ・リヴビィ」で 声を掛けた相手はチャールズ・タイラー。彼は断ったが、 「じゃあ、休憩時間にちょっとだけ吹かせて下さい。」との申し出にはOKを出してくれた。 どこの馬の骨とも分からない若造には、このチャンスは大きかった。 アガリまくっていたのか何を吹いたのかも良く覚えていないが、 この事をチャールズもお客の何人かも覚えていてくれた。 そして、偶然遭遇したテッド・ダニエルのオーケストラに彼も重要なメンバーとして参加していて、 スタジオ・ウィのオーナーのジェームス・ディボイスと共に私をメンバー に推薦してくれたのだった。 というわけで、キム君には2セットの最後の方で参加してもらうことにし た。

 1部のソロ。小さい店なので多分40人弱で満員な感じ。飲み物も何も 無い。比較的静かに演奏開始を待っている。NYというよりは東京に近い雰 囲気。ブルースの短い紹介でステージへ。といっても段差もある訳ではない。

 バスクラがメイン。もともと「SHOW THE FROG」が基本線なのだ。まずはサーキュラー・ブレスによる 超ロングトーンのディジャリデドゥ的倍音吹き。これの効用として、 自分を含めかなりの落ち着き感が場内にもたらされる。そして「You don't know what love is 」最も昔から吹き続けているバラード。この辺から緊張がとけてきてアルトに持ち替えたて、 昔NYに住んでいた時の事とかを少し話してその頃に作った「とべとべサンボ」などを演奏。 クレズマの曲やオリジナルを何曲かやって、最後に韓国民謡の「ペンノレ」を思いっきり コブシを回して吹いて最初のセットが終了した。お客さんたちの感触は非常に良かった。 といっても大騒ぎするとか踊り出すとか、そういったKIKIやこまっちゃ等のバンドの時と比べたら とてもおとなしいものだと思われる。CDも最初からよく売れる。 当然「SHOW THE FROG」。

 2部の前になって、その日の共演者たちが現れた。Eギターのジョン・ マードフ。歳は聞かなかったが若そうに見える。頭のてっぺんにはユダヤ 帽。にこにこ、黙々とエフェクター類を並べている。 ベースはシャニール・ブルーメンクランツ、31才。 彼はエレクトリックを持って行くかアコースティックを持って行くかで事前に電話で話していた。 全部インプロでやりたい、と伝えると彼はアコースティックを持って来た。 ディー・ポップ、ドラム この中では年齢はいっていそう。40代だと思う。 全員私は初体面で、彼等同士も実はそんなには知らないとの事だったが、 事前に私のCDはいろいろ聴いてくれていたようだった。 シャニールは学生だった頃に「マーキュリー・ラウンジ」というところで、 私がマーク・リボなんかとやったコンサートを聴きに来てくれていたそうで、 その時 こっそり録ったテープを今度CDRにしてあげるよ、と言われた。  

入れ替えでお客がくるのかしら?と思っていたら、満員の上に立ち見が出 る盛況で嬉しいビックリ。演奏はインプロをどう文章で表現すれば良いの か分からないが、少なくとも皆、お互いによく聴き合っているのは当然で、 さらにそれぞれかなり大胆な切り口を持っていて、予測を遥かに超えて面白いもの になっていった。時にルンバになり、ベンチャーズになり、ジャズになり・・。 ある意味、そのまま「エクレクティシズム」や「ファースト・デザーター」 を即興でやっている気分だった。ファーストセットに比べてさすがに客の反応が ダイレクトに楽しんでいる事が伝わる。最後の曲にキム・スーンが加わる。 彼のサックスは明らかに師匠であるオーネット・コールマンに似ている。 全体がちょっとジャズっぽくなるかな?いや?くらいの感じですっきりと演奏が 終了。アンコールの声鳴り止まず、短めのちょっとコンダクションが入った感じの インプロをやって終る。めちゃめちゃ楽しかった。  

 奏後、客席にテッド・ダニエル(Tp)を発見。30年ぶりの再会。 なぜか全然変わった感じがしない。私にとって70年代のNYと80,90年代の NYは大きく違う。どちらもダウンタウンのハウストン周辺が中心なのだが、 70年代は完全に黒人社会に入り込んていたし、8、90年代のその場所には トム・コラやジョン・ゾーンといった、それまでのジャズとはまた別な世界が広がっていて、 私は蝙蝠のように居場所を移した。いや、正確に言えば自分だけ居場所を動かなかったのかもしれない。

 テッドに会う。私は時代を飛び越えて「KAPPO」という名前になる。 その頃、大概の人間はUMEZUという名前を知らなかった。彼は私にCDを手渡してくれる。 私はその時このCDが何かちゃんとは分からず、昔の彼のオーケストラでやっていた頃の音源をCDにしたい、 と口走っていたのだが、帰ってそのCDをよく見るとなんとそれこそ彼の 「エナジー・オーケストラ」の録音だった。オリバー・レイクやアーサー・ブライス、デビット・マレー等に 並んでKAPPO UMEZUとクレジットされていた。

  夜中になっていたがシャニールの提案でキム・スーンと3人でミッドタウンの韓国レストラン街へ。 シャニールの車からレストランに入るのにベースも含め全ての荷物をレストランに移す。 こういうことが大変。いくら昔に比べて安全になったとは言え、 こんな目立つものを車に入れておく事は出来ない。 「マッコリがおいしいと思うよ。」とシャニール。でも彼は敬虔なユダヤ教徒らし く、酒も飲まなければ、お祈りをしていない肉も食べない。 キム君も酒を飲む人ではない。一人で酔っぱらってもつまらないから、でもちょっとは飲みたいし、 ってことで私だけビール。後は見事に菜食メニュー。 でもNYの韓国ものはやっぱり美味い!

 朝、朝7時に部屋を出て市バスに乗りチャイナタウンへ。ここから8時にワシントン行きのバスが出る。 片道20ドル。往復で30ドル。これを使わない手はない。
わいわい、朝からチャイナタウンは賑わっている。どう見てもアジアのどこかの風景。 でもバスは充分大きいし、幸いそれほど混んでもいないので隣に誰か居る訳でもない。 昨日はそんなに寝てないがバスの中で眠れば良い。と、思ったのもつかの間、出発すると揺れが凄い。 これも何処かアジア並みだ。 まあ、きっとこの辺の道路の整備具合が悪いのだろう。トンネルをくぐってニュー・ジャージーに出ても揺れは収まらない。まあ、高速に乗るまでの辛抱さ。
しかし高速に乗ってもガタガタ揺れるのは変わらなかった。バスなので NO SMOKEのサインはわかる。しかしNO EAT ,NO DRINKの意味は分からなかったし、 各椅子に引っ掛けてあるビニール袋も意味不明。ここにきてこれらが全てゲロゲロようのものだと判明した。 サスペンションがイカレているのだろう。それに中国人のドライバーは一刻も早く目的地に着きたいらしく、 映画「スピード」のように次々と車線を変えては乗用車やトラックを追い抜いて行く。 急ブレーキ、急発進はそれを誇りに思っているのかと思う位頻繁に使用する。 何人かがその安定しないバスの廊下を必死に椅子に捕まりながら最後部のトイレに駆け込んで行く。 私は目をつぶって、その中でもかろうじて眠りについていった。 シャニールに感謝。そして時差ボケに感謝。
 シントンのチャイナタウンらしき所にバス到着。しばらく待つが待っ ているはずのラリー氏の姿が見えない。少しして待っている場所が本来の 到着地の住所と1ブロックほど違う事に気がつき、歩き始めた瞬間、 向こうから来た白人男性に声をかけられた。彼、ラリー・アップルバーム氏は10年ほど 前に日本にいた事もあり、大の日本ジャズ好きである。なかでも板橋文夫と私の音楽が好きらしい。 ありがたい事に私のCDはほとんど持っている。
ワシントン記念塔。169,3メートル。ワシントンで一番高い。ジョージ・ ワシントンの偉業をたたえた塔で、世界からの石を持ち帰って建てた。勝手に近所のホテルの屋上に登って撮る。
日本にいた時はスィング.ジャーナルに書いていた事もあるらしいのだが、 あまりに訳が違ったので辞めたと言っていた。こちらでもライターで活躍していて、 なかなか面白い経歴の持ち主でもある。日本のテレビCMに出てたり、、 モンクとコルトレーンの未発表テープを発掘したり、ラジオのDJをやっていたりする。
 とりあえず、朝から何にも食べていなかったのでタイ・レストランでグ リーン・カレー。お腹が一杯になったので腹ごなしに歩こう、という事で歩き出したら、近くにホワイト・ハウスはあるし映画やTVで見る有名な場所がいっぱいで、 散歩を止められなくなってしまった。しかも彼なりのビュー・ポイントがあるらしく、 ホテルの屋上に登ったりホワイトハウスの前でブッシュの批判をしたり、 色々と楽しませてくれたので、体力的にはちょっと限界かも、と彼の部屋で2時間ばかり仮眠をとらせてもらう。
ホワイトハウスの前で9/11以降ずーとブッシュ批判を続けている人 達。
 きるとそろそろジャズ・クラブへ向かう時間。双子の女性オーナーが やっている「トゥインズ・ジャズ・クラブ」はそこそこ歴史のある場所らしいが、
あまり詳しい事は聞かなかった。細長いつくり。ちょっと仙台の「サテン・ドール」みたい。
食い物が美味いのが評判らしい。入り口でちょうど同じ時間に来たベースのマイク・フォーマネック氏と遭遇。 彼は日野さんのバンドでやっていた事もあるそうで、すごく紳士、といった感じ。

音合わせの時の写真です。マイクさん、渋い。
 例によってPAは使わない事になったので二人で音を出していると、もう結構面白い展開になっていく。 勿体ないのでさっさと休憩。すると何処から現れたのかひとりの若い黒人 ピアニスト、突然ピアノの前に座ったかと思うと猛烈な勢いで弾き始めた。 「彼、だれ?」と聞くと、全員「さあ?」との返事。どうやらデモンストレー ションらしい。フリーからビル・エバンスの曲(「いつか王子様が」があきらかに一 部違っていて、ものすごくそれが気持ち悪かった)まで5、6曲脇目も振 らず大熱演。そして又さっと外へ消えて行った。おそらく一緒に演奏するのは無理、 というより、声をかけるスキも与えない。なんだったんだろう。

  「この時期、ワシントンは客がいないんだ。学生はいないし、大使館関係 もみんな国に帰っちゃうからなあ」とラリーが言っていたので、あまり期待はしていなかった。 それに、ここでの私の知名度は0に近い。

 それでも「ラジオで聴いた。」と言う客も何人かいて、事前にラリーが組んだラジオの「梅津特集」も 功を奏したようで、それほど悲観するような入りにはならなかった。 (あんまり入らなかったのは確かですよ)ワシントン在住の日本人、 丹治さんが友達を連れて来てくれたのもありがたかった。

 日はソロは短め。できるだけデュオをいっぱいやりたい。でも、バス クラの音色はかなり皆さんの心を打ったらしく、「あんなに良い音のする ファゴットは初めてだった。」などと変わった誉められ方もしたのだった。 曲としてはクレズマもの、アイリッシュものが好評、休憩時間にはサーキュラー・ ブレスを教わりに来るサックスをアンドリュー・ホワイトに習ってる、という学生も いた。ファースト・セット途中からマイクに入ってもらい、入れ替えは無しで2セット、 そしてアンコール。とてもリラックスした良い演奏が出来た。

 マイクとのコンビネーションはとても初顔合わせとは思えなかった。 

 店のオーナーの双子の一人は(もう一人は見なかった。途中で入れ替 わっていたとしたら分かりませんが)、「ワシントンに来た時はいつでもやってくれ」 と言ってビールを驕ってくれた。どうやら、食事もさらにその後もっと飲んで行っても構わなかったらしいのだが、 疲れているだろう、とラリーが判断したらしく、そうそうにおいとま。 家に着いて「何か食べに行くんでしょ?」って聞いて彼は 「えっ?休憩時間にもう食べただろうと思ってた。」と驚いていた。 近所のフレンチ系の店へ。クスクスを頼むが何故か羊のソーセージ付き。 ラリーはムッセルンのワイン煮。美味しかったけど少々胃にもたれた。 ラリーの家のソファーで爆睡。

 、胃の調子がいまいち。昨日のソーセージが消化していない感じ。こ ういうときは、とヨーグルト、そして近所のお茶屋にいってハーブ・ティ。 少し気分は良くなったが、とてもじゃないが、またあのバスに揺られる気はしない。
ネットでアム・トラック(列車)を予約してもらう。 今日の観光スポットはフリー・メイソンのシュライン(神社と訳すと変ですが)。 中には入れなかったが(いつもは入れるんだそうですが)、変なスフィンクスとか、 ローマ風の建物とか、なんか秘密結社にしてはラブ・ホとか、 ブライダルなんとかっぽい印象を受けた。

 ラリーにタクシーで駅まで送ってもらって、初めてのアム・トラック。
フリーメイソンの建物
フリーメイソンの建物です。もっと秘密のところにあるのかと思ってた。
飛行場みたいに各ゲートで時間が来るまで待って、ファーストクラスや障害者、 子供連れの順番で列車に乗り込む。 指定券なんだけど、それはあくまで座る権利がある券ということらしく、 席は決まっていなくて自由に座れる。せっかくだから窓際。 外の景色を楽しもうと思っていたのだけれど、結局、また眠ってしまった。ちなみに、汽車は快適でありました。

 約3時間でニューヨークに着く。図々しいもので、帰って来た、という気分になる。 やっぱりこの街が気楽だ。「ダウンタウン・ミュージック・ギャラリ ー」に顔を出す。 ブルースもこの間のライブは大喜びで、おかげで私のCDの注文も増えているらしく残りのCD、すべて買い取ってくれた。

 後の夜はロッドとジュンコさんを何処かレストランに招待する約束。 だって、ずーと世話になりっぱなしなのだ。場所はロッドに任せる。セントマークのキューバ・レストラン。 安くて美味しいとロッドが太鼓判。「安くて」を強調してくれる心遣いが嬉しい。 豚肉の料理。酢がかかっていて酸っぱいのだが美味しい。 でも、最後までおんなじ味だとちょっと飽きる。ロッドに言わせると、 前来た時はこの酸味が絶妙だったけど、今日は酸っぱいだけで、全然だめ!とのこと。 美味しい!と推薦した手前、かなり残念だったみたいだった。

 次の朝、乗り合いタクシーが7時に迎えに来る。みんなが、 空港のチェックは大変だから今は3時間前に入らなきゃ危ない、けっこう焦るよ、 と助言してくれた。11時半のデパーチャーに7時半にチェックイン。 予想に反していとも簡単に手続きはすんでしまった。
「なんで、こんなに早く来たの?」と、係のお姉さん。
「いや、空港をゆっくり楽しみたいんで。」
「それじゃあ、どうぞ。」
私は売店でコーヒーとマフィンを買って、 これからの3時間、どうやってすごそうか、ちょっとだけ途方にくれていた。

 った、6日間のアメリカ。実質4日間。移動のなかった日は2日だけ。 それでも、なんだろう、トンネルの向こうのもう一つの自分の居場所みたいな所を 確認したような気がする。ここ数年、けっして好きではなかったアメリカ。 でも、やっぱり現実にはとても好きなアメリカもやっぱり存在する。 中央線の駅のひとつみたいなアメリカ。今度はそうは間をあけずに又行こうと思う。 2000年代のアメリカで、また誰かに会えるかもしれない。

2007.1.10 梅津和時