タイトル「Unlike water」はビデオ・アートの先駆者の一人、ナムジュン・パイクの 「誰もTVに金を払おうなんて思わない。TVは水のようなもの。見たければ、ちょっと蛇口をひねるようにつけ、また消せばいい。みんなビデオを一度か二度は見たがるだろうが、わざわざ所有しようとは思わない。ビデオ・アートの制作をしていると、本当に水に流してしまうようなものなんだ。いい投資にはならないしね。みんながアートを買うのは、本質的な価値のためではあるけれど、税金逃れのためでもあるわけでしょう?ビデオ・アートは美術界のこういう所にはあてはまらない。だからビデオ・アーティストはここ当分貧乏なままじゃないかな。」という発言にインスピレーションを受けて付けた。
   
  なぜビデオ・アートか?
 80年代にビデオ・アートの先駆者の一人であるパイクは、上記のように、ビデオ・アートが美術界で特異なものであると指摘している。しかし、およそ20年経った現代において、映像を使った美術作品は珍しいものではない。それは、映像メディアが我々にとって、より身近なものへと変化したのが一つの理由である。そこで、日常誰もが消費するように変化した映像メディアと、アートの関係に注目した。

なぜ教室か?
 大学の教室は講義をするために作られ、資料を視聴するためにAV機材が用意されている。つまり、ビデオ・アートを再生できる。ビデオ・アートは、それが流される空間そのものを作品に変える力を持っている。この企画では、インスタレーションとしてでもなく、展覧会としてでもなく、作品を鑑賞することによって、今までとは違う視点で作品を見ることができる。

なぜアーティストを呼ぶのか?
 現代におけるビデオ・アートの意味とはなにか、1960年以降の生まれのアーティストを招き、作品を通して様々な疑問を解決していきたい。パイクの言葉から約20年、本当にビデオ・アーティストは当分貧乏なままなのか? 貧乏なままだったのか? 映像メディアを先進的なものではなく、日常的に消費してきた世代の作家たちと、その作品を通して、鑑賞する側とは別の、作り手から見た現代のビデオ・アートの問題点や意見を伺う。


企画:松澤優理子(和光大学表現学部)