ご自分の作品をビデオアートと捉えていますか?

結果的には。「監視カメラビデオアート」と言えるかもしれないです。
 
いま、「監視カメラ」という言葉が出てきましたが、「監視カメラ」に過剰な意味はなく、すごく安か
ったのでたまたまジャンク屋で買ったのが光に対するスレッショルド(閾値)が低くて、すぐに過飽和
になる事がわかって、それがおもしろかった、と(つまり、写真で言うソラリゼーション効果ですよね)
。後付けの話になりますが、それで初期のビデオシンセサイザーみたいな効果が出た、ってことでしょ
う。ただ、そのチープな性能じたい、やっぱり「監視カメラ」の持つ属性なのだと言えば、言える。そ
の中間くらいのところじゃないですかね?

「ジャンク屋で転がってた監視カメラアート」そこまで言った方がいいかもしれないですね。

ビデオアートと聞いて、なにを連想しますか?

パイク(笑)ぶっきらぼうな言い方ですけど、あまりビデオアートって今回まで真面目に考えた事なか
ったので……。

絵と映像以外のもので、なにか表現しようということは考えていますか?

ものすごいありますね。今のところ、自分がやろうとした事に一番近い手段として映像を道具として
使ったのが大きいんじゃないかな。

映像でなければ表現できないものもあると考えますか?

もちろん、それも考えます。もう少し辿っていけば、いろんな手段があると思います。映像も手段と
して有効なものだと思うので、これからも作りますね。

絵で表現するときと、映像で表現するときの違いはありますか?

両方とも魅力があります。絵も時間の軸は無いけれど、そこには時間が溜まっているのだと思います。
その前に立つことで、一瞬で全体を見ることができるという魅力にはすごく惹かれますね。立体は、
自分が動かないと見るこどができないので、時間について考えてみるとおもしろいと思います。どれ
もそんなに変わらないですね。

たとえば、絵画は家に飾るなど、所有できる物だと思うんです。ビデオアートを考えたときに、所有
の問題がいろいろとあると思うのですが、それについて作り手側としてどうですか?

いいんじゃないですか? 所有できるものだと思いますよ。

たとえば、絵画は基本的に一枚しかない作品を作家が時間をかけて描いていく。それに対して中間的
な形態でリトグラフ、シルクスクリーンなど版画芸術的なものがある。結局、映像作品の難しさは、
とくにデジタルになると、オリジナルが判別しづらいということですよね。やっぱりコピーされて配
られる。そのため、マスカルチャーのエンターテインメント作品との価格差の説明がしづらくなると
いうことがあります。今はだいたい、海外のビデオ作家の作品でライブラリに入っているものは、特
殊なものでないかぎりはインターネットを通じて上映権付きで購入できるようになりました。昔、ビ
デオ・アーティストたちは、上映権という概念を作った。「これは上映権が付いているぶん、個人・
家庭向けのビデオよりは高いですよ、ただしこれをギャラリーで上映なさろうと、学校で上映しよう
とかまいませんよ」と。そういう感じが多分、今のDVD世代の人たちにはわからないんだと思うんで
す。一方で音楽も映像も、もはやコピーがガンガン出来てしまう。映画のDVDを僕は真面目にこつこ
つ買っているんですけれども、若い人の間では、(現実にそういう流れを止めることが難しいという
意味で)いよいよコピーの時代になってきていますよね。





































僕もすごく考えます。確かに音楽CDって、本当にそういう状態にある。インターネットから音を拾
ってくる事も可能だし。

小林さんは自分の作品をどう流通させたいですか? 

今、どういうことなんだろうと考えている最中というか……

たとえば個人のコレクター向けに、これを一本30万円とか60万円とかで売るように考えているの
か。上映会場などで、大げさに言えばガードマンをつけて、知らない間にもコピーされないようにま
で徹底管理するのか。それとも、じゃんじゃん焼き増ししてしまうのか。学生たちのビデオ作品でも、
下地は放送素材とおぼしきものが多い。そういうものが制作編集の過程ですぐに流れてしまう。昔の
音楽ライブのブートレッグ(海賊盤)みたいなもんですね。

自分の今の状態ですと、エディションいくつかつけて、普通の値段じゃなく、そこそこの値段。

付加価値をつけたアートとしての値段で?

そうですね。ガードマンを付ける感じになるんですかね。ところが振り返ってみると、興味をもった
埋もれているCDが、一枚3000円は結構するので、自分のような経済力では安くはありません。
簡単に入手できる状態でなければ、出会えなかったものもたくさんあります。そういう意味では「複
製されてコピーされて流通する状態」というのは、僕はすごく表現に関しては良いと思うんですが、
いざ自分の事となると「食えないな」とか考えます。そういうギャップを上手くできる手段ないです
かね?

たとえば画集(作品集)でも、高い画集はなかなか学生さんは買えないけれど、印刷程度のよくない
廉価版が学生向けに出ている。いっぽう高級な画集などの美術印刷がどんなに良くなっていっても、
オリジナルの絵画が持っている色や質感には絶対に届かないっていう強みがあります。その中間の、
さっき言ったようなシルクスクリーンやリトグラフのようなものがあれば一番良いんでしょうけど。
映像の場合はどうもそうは上手くいかなくて、そこが難しいとこですよね。

質を落として売る人もいますよね。
 
エンターテイメント作品だと、そういうのは、当然、あるね。たとえばインターネット上でクイッ
クタイム程度の画質で、プロモーションビデオを落とさせるとか、部分を見せるとか、ざらになっ
てきてますけどね。

絵や写真は、写真集や画集が出ていて、本物とはもちろん質感は違うけれど、学生としては、調べ
たい作品を調べる事ができる。しかし、インスタレーションや、ビデオアートになると図書館に行
っても本屋に行っても見る事が出来ない。インスタレーションやパフォーマンスは生で見ることし
か出来なくても、ビデオだったらまだ可能性があるんじゃないか、と考えています。この企画も
「見る機会」を増やすことができたら良いという気持ちがあります。
     
こ 小林耕平 
の 野々村文宏
ま 松澤優理子
  

数字〈1.2.3〉  質問者
 



第一回unlikewater 小林耕平
2004/11/1 
和光大学D112教室にて収録