田中さんの作品を考えるにあたってひとつの作品例をあげると、森美術館で行われている企画展「ストーリーテラーズ――アートが紡ぐ物語」に出品されているマーク・ウォリンジャー(1959〜 イギリス)の「王国の入り口」という作品があります。その作品は空港でゲートをくぐる人を撮影したものを、スローモーションにしてプロジェクターで壁に投影したものでした。彼の作品は、空港から人が出てくるという何でもない風景をスローモーションにすることによって、そこではなにも起こらないにもかかわらず、さもなにかが起こるような動揺を観客にあたえ、物語とはなにかということを観客に考えさせる作品でした。いっぽう、田中さんの作品は繰り返されること(ループ)が作品の一つの特徴にあり、短いループによるカタルシスの繰り返しが行われることで、物語を否定しているかのように見えます。マーク・ウォリンジャーと手法は違うのですが、同じ問題を扱っているように私は感じました。物語というのは現代美術の中でも重要なキーワードですが、田中さんにとって物語とはなんですか?

まず、ウォリンジャーと自分は似ていると思いますか?

いや、全然違う。

どこがちがいますか?

ぼくもおもしろいとは思ったんですけど、ぼくだったら音楽をかぶせない。スローにするのはわかったのですが、音楽をかぶせるのはちょっとギャグっぽく見えたんですよ。

ウォリンジャーのほかの作品も、聖歌などといった宗教音楽が使われていますね。わたしには同じ物語性を扱っているように感じたんです。

田中さんの作品に、物語性がないようであるじゃないかということ?

物語性を否定しているように見えるということは、物語性を問題としているのではないか。そういうところで共通点を感じました。田中さんは物語について、どういう風にお考えになりますか? 



           
 
 
 
        会場風景




 














観客A

そもそも、物語はキーワードになるんですか? 現代美術のなかで重要なのかな? そういう作家がいることはあるけど、僕の中ではあまり重要ではない。物語ということに関して考えない方がいいかなって思っています。「ストーリーテラーズ」を見に行って、意外とそういう作品があるんだなって思いました。物語を作品の題材として使っているということが、そんなにおもしろいと思わなかった。物語に関しては、映画や小説やマンガを読んでいる方がいいです。

ストーリーというよりも、物語性の方については?

全然題材にしていないです。

反物語とか、非物語とかは?

僕の作品を見てそうおもいますかね?

田中さんの作品でいえば、「ワン・ベッド・ルーム(2004)」と、「Light My Fire(2002)」が興味深かったです。「ワン・ベッド・ルーム(2004)」はトイレットペーパーを浮かせているという面で、「Plastic Bags into the Sky(2004)」と手法として似ている。たとえば「滝を使ってサラダを作る(2004)」で、サラダが誰かに食べられるのではないかと思わせるシーンが最後につけてあったら、ナラティブも無くはないと思います。あと、ウォリンジャーと田中さんを比べると、スローモーションで「なにか起こるかもしれない」「起こったかもしれない何か」を想像しているので、手法のレベルでは似ているとおもいます。




    レクチャーする田中功起


















ループのビデオでは物語とかを特に気にしていなかった。出来事と言ったほうが、ぼくの中ではわかりやすい。一回しか起きない出来事は、出来事として撮ろうとしています。そういうのは、物語性とかぶると言われればかぶります。

田中さんの作品の出来事は、「スニーカー(2004)」ではスニーカーを落とす、「ビール(2004)」ではビールをこぼすといったように、作品を作るときに起こしている出来事ですね。先ほどの発言のように、ウォリンジャーの場合はそこでゲートをくぐる演技をさせているのではなく、自然に通っている。そういう面では、モチーフの扱い方は異なっていると思うのですが、その意図とモチーフの関係について聞かせてください。

僕はたぶん自分が操作しないものを、そのまま映してそれを変えるということはしないです。最新の自分の考え方としては、あんまり映像をいじりたくない。

編集のときにいじりたくない?

そういうのが、最近すごく気になるんですよ。それを全部OKにすると、映像作家みたいになっちゃう。ウォリンジャーはインスタレーションで見せていない。プロジェクターあって、サイズが決まっていって、流す。実際に彼が来ているかもどうかわからない。フィーだけ貰ってOKみたいな感じがします。今の僕の考え方としては、そういう扱いにしたくないです。なんでもないものを撮ったりもしたりしたんですけど、それは編集をしてしまうんです。たぶん、その差が自分ではすごく大きくて、できるだけシンプルなものとして見られるように自分でなにか出来事を起こす。なんでもないものをいじって、おもしろく見せてもしょうがないんじゃないかと。そうではなくて、こっちが出来事として起こしたことを、そのまま撮るということがおもしろいんじゃないかな。似性を指摘するかもしれませんね。




 

 
会場での観客
unlike water ウェブサイトのarchiveページでは、作家の作品画像、レクチャー風景、レクチャーの一部抜粋を掲載しています。 (2005年5月16日  記録時間2時間38分)
 
た 田中功起
の 野々村文宏
ま 松澤優理子
  

観客A   質問者
 



第三回unlikewater
2005/05/16 
和光大学D112教室にて収録